Yondaful Days!

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もっとカウフマンの心を知りたかった〜手塚治虫『アドルフに告ぐ』全5巻

アドルフに告ぐ (1) (文春文庫)

アドルフに告ぐ (1) (文春文庫)

神戸に住むドイツ領事の息子のアドルフは、パン屋の息子でユダヤ人のアドルフを通じて、アドルフ・ヒットラーの秘密を知る。その秘密とは……!?第2次世界大戦を背景に、3人のアドルフの運命を描く著者の代表作(Amazonあらすじ)

十数年ぶりに『アドルフに告ぐ』を読み返した。
文庫版全5巻を読み返してみて、確かに傑作だと思ったが、不満も目立った。
具体的には、全体を通して、語り手の人物や、舞台が速いテンポで変わっていくため、思っていたよりも分かりにくい。明確に記憶していたのは、アドルフ・カウフマンとエリザのエピソードくらいで、その他についてはほとんど覚えていなかったのはそのせいだろう。


同じような歴史的事実を元にした創作漫画には、最近は、有名なものだけでも『エウメネス』『へうげもの』『大奥』などがあるが、どれも、話が整理されていて分かりやすい。
アドルフに告ぐ』の読みにくさは、内容を詰め込み過ぎというのとは少し違う。
登場人物も必要最小限だと思うし、彼らの人生が物語の要所要所で交差する部分も、理解できないほど複雑ではない。物語が(虐げる立場としてのユダヤ*1にスポットが当たる)1983年のイスラエルで終わり、最後にタイトルの意味するところ*2が分かるという点まで含めて図式としては完璧だし、手塚治虫でなければ、ここまで上手く物語をまとめることは出来なかったのではないかと思う。


つまり物語の構造ではなく、話の進み方、いわば「間」に問題があるように思う。一般週刊誌の連載漫画ということもあったのかもしれないが、場面転換が全体的に早過ぎる分、登場人物へ共感しにくくなっているように感じた。
中でも、もっと丁寧に語られるべきと感じたのは、3人のアドルフのうちの一人、ヒットラー・ユーゲントに入ってヒトラーに忠誠を尽くしたアドルフ・カウフマン。物語を通してもっとも感情だけでなく性格(人格)の動きが激しい人物だ。

  • 幼少の頃はアドルフ・カミルへとの友情からユダヤ人に親しみを感じる
  • ヒットラー・ユーゲントに入り、ユダヤ人に対する思いは変えないまま、ドイツ人(アーリア人)としての誇りを強く持つ
  • カミルの父親を殺害するなど、組織の中で、ユダヤ人弾圧を行うことに慣れるも、一目惚れしたエリザ(ユダヤ人)には優しくする
  • Uボートで日本に来た頃からドイツの敗戦が濃厚となり、人々の心がヒトラーから離れてもなお、ヒトラー崇拝の心がむしろ強くなり、周囲とのずれが目立つ
  • カミルがエリザと婚約したことに腹を立て、エリザを奪う
  • ヒトラーの死を知り、全ての希望を失う
  • 戦後、パレスチナ解放戦線の組織に入り、ユダヤ人と敵対しつつも妻子を得る
  • 妻子をイスラエル軍(カミル)に殺される
  • 個人的な復讐のためにカミルと対決する

ざっと流れを書いただけでも、相当に波乱万丈な人生だ。読者からすると、子どもの頃は非常に共感しやすいキャラクターだったが、カミルの父親殺害あたりから、次第に不快な人間になり下がっていく。特に後半部は、周囲から狂人扱いされているヒトラーを崇拝するという、やや憐れなタイプのキャラクターに見えて、とても共感などできない。
特に、この漫画が恋愛について、かなり重きを置いて書かれているからこそ、カウフマンがエリザを強姦するシーンは、嫌な気持ちが最高潮だった。
自分は、そういうカウフマンに対して、もう少し共感を抱ける、少しでも同情の余地を残すような流れにしてほしかった。そういった共感できる軸があってこそ、民族問題というテーマについても深く考えられたように思う。
勿論、進行についての問題は2度3度読むことによってマイナス部分は減っていくのかもしれないが、もっと出来たはずなのに…と感じてしまう。
ただ、パレスチナ問題や第二次世界大戦などに対する強いメッセージ性があり、国際的な問題を考えるきっかけとなるという点は、素晴らしかった。関連漫画として、『虹色のトロツキー』なども読んでみたい。

虹色のトロツキー (1) (中公文庫―コミック版)

虹色のトロツキー (1) (中公文庫―コミック版)

(参考)ヒトラー出生の秘密とJ・エドガー

J・エドガー』(J. Edgar)は、2011年の伝記映画。クリント・イーストウッド監督、ダスティン・ランス・ブラック脚本で、レオナルド・ディカプリオジョン・エドガー・フーヴァーを演じた。
FBI長官のエドガー・フーヴァーの生涯に基づき、1919年から20年までの彼のキャリアに焦点を合わせ、さらにクローゼット・ホモセクシュアルであったと言われる彼の私生活にも触れられている。

先日の町山智浩のキラキラpodcast*3で、ディカプリオ主演映画の解説を聴いて知ったのだが、1924年から1972年に亡くなるまでFBI長官を務めていたエドガー・フーヴァーは、自らが同性愛者ゆえに、同性愛者を憎み、冷酷にふるまったそうだ。(事実というより説)
アドルフに告ぐ』の中心にある「ヒトラー出生の秘密」を暴く書類は、彼がユダヤ人の血を引く者であることを示していた。そのようなヒトラーが、ユダヤ人に対して非道の限りを尽くしたことは、エドガー・フーヴァーの例を引くまでも無く、同族嫌悪や自尊心などの言葉を使って説明できそうだ。なお、ヒトラーの血統については、ほぼ否定された事実だという。

本作品は「アドルフ・ヒトラーユダヤ人である」という仮説を前面にして創作されたものである。この仮説は手塚が連載を始めるかなり前に、プレラドヴィクやクライン、マーザーという歴史学者の綿密な調査によってほぼ否定されている。

*1:カウフマンの妻となったアラブ人女性の言葉「あなたはユダヤ人がどんな仕打ちをパレスチナにしたかご存知でしょう?あいつらは冷酷に女子どもを虐殺するのよ、何百人も。ユダヤ人を殺すことは正しいことだわ」

*2:アドルフに告ぐ』は3人のアドルフについて峠草平が書いている本のタイトル。峠は、この本を世界中の何百万といるアドルフ名の人物に読んでもらいたい、そしてその息子、孫へと伝えることにより、「正義ってものの正体をすこしばかり考えてくれりゃいい」との願っている。

*3:TBSラジオ小島慶子キラキラのpodcast。ダウンロードできる期間は1週間くらいで今は聴けません。