- 作者: 手塚治虫
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2009/05/20
- メディア: コミック
- 購入: 1人 クリック: 12回
- この商品を含むブログ (16件) を見る
ロビタ、ムーピー、猿田博士、そして核戦争。
先日読んだ1巻(黎明編)とは異なり、手塚治虫のメッセージ性も非常に強くなり、物語としてはシンプルである。
また、未来編は、黎明編と大きく異なる演出上の特徴がある。
密室劇のような内容だからなのか、未来編は全体的に、演劇の脚本っぽいのだ。
これは、登場人物がごく限られているからなのかもしれないが、場面転換も少なく、読む方は舞台を見ているような気分になる。
例えば、p140-144のシーンでは
- 研究に協力してほしいとタマミにお願いする猿田博士
- (それを盗み見ていたロック)
- (猿田博士は退場)
- 一緒に逃げようとタマミにお願いするロック
- (それを見つけたマサト)
- (マサトに殴られたロックは退場)
というように、ここでは、基本的に固定した場所で2人が喋って、順に人が入れ替わる。
他にもロビタ−猿田博士、猿田博士−タマミなどのやり取りも同様なシーンがある。
背景に人が入り込むことが絶対にない、ということも、演劇っぽさを強くしているのかもしれない。
さて、未来編でのメッセージは、(ブラックジャックでも同様のテーマの回があったが)”病気”になっている地球を救うために、人類は知恵を絞り、努力を続けなければならないというもの。
これ自体は非常に納得しやすい話だ。
しかし、具体的に人類が何をすべきか、ということが「火の鳥」の口から語られると、どうしても違和感を覚えてしまう。
そもそも火の鳥とは何か?
これについて未来編では、火の鳥の口から何度も何度も語られる。
まず、猿田博士に向けてこう言う。
地球は生きているのですよ
生き物なのですよ
その地球がいま死にかかっているのです
人間が病気でたおれるように
地球も病気にかかって死にそうなのです
(略)
わたしは地球のからだの一部なのですよ
…動ける細胞みたいなもの p49
その“生きている地球”のことを、火の鳥は「宇宙生命(コスモゾーン)」という言葉を使って説明する。
宇宙生命もあなたがたのように病気になります
そして ひからびて死んでいくのです
…ほんとうならずっとずっと長く生きられるのに…p51
そして、山之辺マサトに向けても次のように話す。
地球は死んではなりません
「生き」なければならないのです
なにかがまちがって地球を死なせようとしました(略)
人間を生みだして進化させたのに
その進化のしかたがまちがっていたようです
人間をいちど無にして生みなおさなければならないのです p154
電子頭脳の暴走によって5つのメガロポリス(ヤマト、レングード、ピンキング、ユーオーク)で同時に超水爆が爆発し、人類の滅亡がほぼ決まった。
そういう、ただでさえ混乱しているときに、選択の余地なく「死なないからだ」にされて、「人類を復活させる、地球のために復活させる使命があなたにある、」と突然言われた山之辺はよく耐えたと思う。
黎明編では、さまざまな人間の「生への執着」を咎めておいて、一方で未来編では「地球はもっと生きなければならない」と、“地球の一部”が、生に執着するのは、明確な矛盾があり、火の鳥の言うことをどこまで信じていいのか、読んでいる側は警戒してしまう。
自分以外の人類がいなくなり、ムーピー(タマミ)も死に、5000年が経ち、孤独感が限界に達してから、「話相手が欲しい!」、ただその一心で、マサトはロボットを作ろうとする。
しかし、失敗作を何体も作って途方に暮れているところに、火の鳥が表れて叱責する。
マサト…
なぜロボットをつくるのですか?
私はあなたにいったでしょう?
人類は新しく生まれかわるんです
それをやるのがあなたの役目ですって…! p226
話相手がほしい、その気持ちに何ら答えることなく、ただマサトを責めるだけの火の鳥。
そして、マサトは合成人間をつくろうとして失敗し、結局、生物の進化をもう一度くりかえすという方法に辿り着く。
そのトライも、ナメクジが支配する世界を経て、再度リセットされて、やっと人類が誕生したころになってから、火の鳥は(すでに体のない)マサトにこう言う。
あなたにはからだがいります
わたしのからだにとびこみなさい
あなたは私になるのよ!*1
(略)
わたしのからだには宇宙生命(コスモゾーン)が何倍も何十倍もはいっています
あなたもそれにくわわるんです
さあいらっしゃいマサト
わたしの中に飛び込んで!! p270
こうして、マサトも体のうちに加えた火の鳥は、未来編の最後にこういう。
でも こんどこそ
こんどこそ信じたい
こんどの人類こそ きっとどこかで まちがいに気がついて
生命を正しく使ってくれるようになるだろう p283
結局のところ、手塚治虫は、これから起きるかもしれない「暗い未来」を、既に起きてしまったものとして何パターンか見せたあとで、「明るい未来」を勝ち取るために、一人一人の努力が必要だと言いたいのだ。
免許更新の講習会で見せられる交通事故ビデオのような効果を狙っているのだろう。思えば眉村卓『なぞの転校生』の「見せ方」も全く同じやり方であり、60年代には、こういったやり方が流行したのかもしれない。
しかし、このメッセージは「ひとりひとりが、それぞれの人生を満足して終えれば良い」としていた黎明編のものとは異なり、「ひとりひとりが自分勝手に過ごしているような世界では地球環境はどんどん悪化に向かう」というもの。(1)(2)を連続して読むと、その差異が際立ち、もぞもぞしたまま終わってしまう。
この巻の猿田博士
未来編の猿田博士は、心を寄せる女性に恵まれないまま160年生きて、女性型ロボットをつくり空しさを覚えて、タマミ(ムーピー)と一緒にロケットで宇宙空間に逃げようとする。
結局、その構想は頓挫するも、結局は、孤独な山之辺マサトを置いて、衛星軌道から地球復活を待つという方法を取ることになる。
「ぼくひとりだけにしないで!」と懇願するマサトを「ばっかもん!そんなことで地球の復活がのぞめるか!」(p188)と叱ってだ。
この部分は、その後のマサトの苦悩を考えると、もう少し何とかしてあげられなかったのかと思う。
構造的には、3404年から始まる「未来編」は、その後、人類滅亡以降数万年を経て、「黎明編」に繋がるという円環構造をなしていることが分かる。
その意味では、この「未来編」は、火の鳥という物語全体を結ぶ、非常に重要な位置づけにある作品なのだろう。未来編の始まった1967年は、環境庁は未だ無く、(水俣病対策の一環として)公害対策基本法が出来たばかりの年で、それこそ「未来」に対する信頼が揺らいでいた頃なのかもしれない。
時代背景を考えれば、読者を「啓発」するような口調はよく分かるが、今回読む分は違和感の方が多く残った。
参考
- 手塚治虫漫画の感想 目次(火の鳥、ブッダなど)