- 作者: 石破茂
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2014/02/15
- メディア: 新書
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一読した感想は「読みやすい」。
二つの章に大きく分かれ、第一章(入門編)では、以下のような流れで、「集団的自衛権の行使は、憲法を改正しなくても十分に可能である」という石破茂本人の考え方が説明される。
- 集団安全保障と集団的自衛権
- 国連憲章における集団的自衛権(第51条)と世界での受け入れられ方
- ベトナム戦争、チェコスロバキア侵攻、ニカラグア事件における集団的自衛権に関する議論
- 日本における「自衛権」の解釈の6段階(現在は「持っているけど使えない」という解釈)
- 従来の日本政府の解釈の問題点
この中で、集団的自衛権をめぐっては、さまざまな議論が行われていることを改めて知る。
この問題については、現在、自公で喧々諤々の議論が行われている最中。少し前までの争点では、公明党は「従来解釈との整合性」を重視する立場を示しており、朝日新聞なども「1972年の政府見解と矛盾」するかどうかという観点で議論を見ていたが、この本では時代に応じて解釈が変わるのが自然と考えているようだ。
何十年も変更されてこなかった政府の解釈ですが、それについてどこまで正面から考え、法的、論理的な検証をしたのかといえば、はなはだ疑問です。また、既に述べたように、法律の解釈は絶対に変わらない、変えてはいけないというものではありません。
憲法第25条で保障されている「健康で文化的な最低限度の生活」の基準も、時代と共に変わります。かつでは「生活保護を受けている家庭がクーラーを持つことは認められない」となっていましたが、現在はそのようなことはありません。
すでに解釈が出ているから、それ以上は考えないで良い、というのは思考停止の典型です。そのような思考法が、「想定外」の事態において役に立たないことはご存知のとおりです。
p91
以前は、憲法解釈の変更の議論は小手先っぽいとも思っていたが、本を読んで、時間のかかる憲法改正の前に、まずは現行憲法の範囲内でできることの議論をしておくことは重要かもしれないと思うようになった。
そして、「集団的自衛権」を巡る世界、日本での議論の状況を1章で踏まえたあとの、さまざまな質問・批判を想定してそれに回答するかたちでまとめられた第二章(対話篇)が面白い。回答している想定質問は以下の通り。
- 地球の裏側で戦争するつもりでは?
- ソフトパワーの時代ではないか?
- 卑怯で何が悪いのか?
- アメリカは本当に望んでいるのか?
- 想定されている事態は非現実的では?
- 個別的自衛権で何とかなるのでは?
- まずはお前が隊員になれ
- 自衛官は嫌がっているのでは?
- アメリカの巻き添えになるだけでは?
- テロリスト掃討もやるつもりですか?
- 憲法第九条のおかげで平和なのでは?
- アメリカとの関係は対等になるのか?
- 中国・韓国を刺激しないか?
- 一体、どんな危機があるというのか?
- 徴兵制への布石では?
- 結局、イケイケドンドンになるのでは?
「まずはお前が隊員になれ」「徴兵制への布石では?」など、ありがちで極端なツッコミも網羅しているのに驚いた。
また、これまで特に考えることもなく信じていた憲法第九条の「平和憲法」としての効果についても、指摘されてみると、こういう見方もあるのかと気付かされた。
私たちが思っているほど、世界の人は憲法第九条を知っているわけではありません。ましてやテロリストが「日本の憲法第九条は素晴らしいから、攻撃はしない」といった方針を取るはずもありません。
中東での活動に限らず、「憲法第九条があったから戦争に巻き込まれなかった」というのは一種の日本人独特の思い込みでしょう。
日本が他国に攻め込まれなかった主な理由は、日米安全保障条約があり、アメリカという強大な軍事力を持つ国と同盟関係にあり、自衛隊という自国を守ることができる組織があり、といった条件が揃っていたから、と考えるのが自然でしょう。だから他国が攻めてこようとはしなかった。それが現実です。p154
ということで、今回、この本を一冊読み終えて、石破さん(自民党執行部)の考え方はよく分かった。
しかし、世界から見た憲法九条の部分や、自衛隊員の気持ちについて書かれた部分は、石破さん本人の意志が少なからず入っていると考えられ、この問題について反対する立場から書かれた本も読んでみたいと思った。
そんなとき、ちょうどTBSラジオのセッション22(6/16放送分)で憲法学者の木村草太さんが、現在の憲法を変えないままでの集団的自衛権の行使が違憲になる理由について説明しているのを聞いた。違憲である理由を簡単にまとめると以下の通り。*1
- 集団的自衛権の行使が行政権にも外交権にも含まれていないので、日本国憲法がそれをやることを想定していない。(「具体的な記載がないからやっていい」という理屈は通らない)
- 集団的自衛権の行使については、それをどういう手続きで行なうかについて、憲法で国民自身が定めたルールに従う必要があるが、憲法上に手続きがない。法律で新たに定めたとしても、これは違憲ということになる。
- 9条1項について集団的自衛権は禁じられていないという解釈が可能になったとしてても、9条2項(集団的自衛権を行使するための実力を持てない
木村さんは、法学者のほとんどがこのような解釈をしており、現政権が取ろうとしている道は訴訟リスクが高く、とてもまともな議論とは言えないとしている。
特に、一つ目の指摘は、『集団的自衛権入門』の中で、自分が疑問を感じた部分(「国際紛争を解決する手段」の国際紛争とは国家間を想定しているため、相手が国家ではなくテロリストなら、今の憲法内で武力の行使が可能、というのが石破さんの説明)も否定でき、気持ちの中でムズムズしていた部分が解けて良かった。なお、木村草太さんは、この部分について「野球部の部長がいきなりサッカー部の遠征費用を支出しようとしている局面」にたとえているが、確かに規約にないからそれがOKという理屈は成り立たないと考えるのが普通だ。
ということで、石破さんの説明は、この本を読む限りでは分かりやすかったが、議論の前提部分が法学者の常識と外れている部分があるということは、やはり別の立場の人の説明を聞いてはじめて理解出来た。
また、第二章(対話篇)において、こういった点についての反論は取り上げず、「お前が隊員になれ」に回答している意味は、自論を展開するのに有利な質問のみを抽出したためだと考える。集団的自衛権について安倍首相が出した具体的事例もそうだが、自論を通すために、クリアしやすいハードルや反論を掲げてみせてから説明するのは、見かけの分かりやすさを重視しているからだと言える。
ということで、こういった問題については、(右も左も)本質的な議論を避けて、相手側の極端な反論を掲げてそれを論破することで、自論の正しさを主張している場合があるから、少し気を付けなければいけないなあ、と感じた一冊でした。
なお、この本では、最初に集団的自衛権と集団安全保障は異なるということを説明し、集団的自衛権に絞った話をしているが、最近は、集団安全保障についても意欲的なようで、この問題については、公明党にもっと頑張って欲しいと陰ながらエールを送っています。
参考(過去日記)
- 2010年代の日本と政治〜石破茂×宇野常寛『こんな日本をつくりたい』(2013年5月)
*1:書きおこしがこちらにあります。参考にさせて頂きました。>憲法学者・木村草太が語る【集団的自衛権行使が違憲となる理由】