- 作者: 神谷和宏
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2015/03/09
- メディア: 文庫
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この本を読んだ経緯
そもそもこの本を読もうと思ったのは、アニメ『TIGER&BUNNY』がきっかけです。
この作品を見るまで、あまり意識してきませんでしたが、自分の中には「ヒーローものはこうあるべき」という明確な基準があり、タイバニはそれをクリアできていなかったことが、本当に大きかったのです。「辛口」だと前置きしてはいましたが、アニメの感想に「誠実さを感じられない」とまで書いてしまった自分自身に少し驚きました。
この感想の中で、多く例として挙げたのは仮面ライダー(平成ライダー)でしたが、自分が「ヒーローもの」に必須な条件として考えていた「正義」の問題を、そのままタイトルとしている、この作品『ウルトラマン「正義の哲学」』が目についた、というわけです。
事前予想を裏切る傑作
とはいえ、自分はそれほどウルトラマンに思い入れがありません。子どものときは、家にソフビ人形もありましたし、ウルトラマン80は本放送を、初期作品も再放送である程度見ていた覚えがあります。
ただし、やはり年齢的に子ども過ぎてそのメッセージ性について考える機会はなく、大人になればなったで、平成ウルトラマンは何となく子ども向けのもの、として全く食指が動きませんでした。
(逆に、自分が平成ライダーに惹かれたのは、オタク性を自覚し始めた中学生の頃に『仮面ライダーBLACK』『仮面ライダーBLACK RX』という作品を見ていたのが大きかったように思います。)
一方で、ウルトラマンやウルトラセブン、ウルトラQについては、その社会派な内容について、たびたび話題に上るので、何となく食傷気味で、また「そっち系」の話かなという警戒がありました。
いや、言っていることが正しい正しくないではなく、昔のウルトラマンは凄かったんだ、どや!みたいなのは読みたくないなあ、という不安がありました。
しかし、それらの不安や警戒は見事に裏切られました。
そういった自分の事前予想を踏まえると、この本で良かったのは、以下の点です。
- 初期作品だけでなく、平成ウルトラマンが多く取り上げられている
- 取り上げられる多くのエピソードについて、それぞれのあらすじを知った上で、作品の評価をすることができる
- 最後のまとめ(第7章 『ウルトラマン』正義実現へのメッセージ)でも、これまで取り上げたエピソードをおさらいしながら、シリーズ全体を貫くメッセージを改めて学ぶことができる
それぞれについて簡単に書きたいと思います。
1.平成ウルトラマンの扱い
この本の目次は以下の通りです。
【目次】
プロローグ
・「怪獣」から「kaijyu」へ
・日本特有のあいまいさとポップカルチャー
・『ウルトラマン』とは何なのか
・怪獣映画の「祖」ゴジラ第1章 「正義」と『ウルトラマン』
・正義の味方 ウルトラマン登場
・血を吐きながら続ける悲しいマラソン
『ウルトラセブン』―第26話「超兵器R1号」(脚本・若槻文三/監督・鈴木俊継)
・「正しさ」を疑う
『ウルトラセブン』―第42話「ノンマルトの使者」(脚本・金城哲夫/監督・満田穧)
・ウルトラマンの正義第2章 『ウルトラマン』の「科学」と「自然」
・ウルトラマンと「科学」
・バルタン星人の過ち
・ウルトラマンが人間を倒す時
・科学への憧憬
・機械化=非人間化する恐怖
ほか第3章 近代化する日本と『ウルトラマン』
・合理主義という正義
・文明的正義へのアンチテーゼとしての“ウー”第4章 『ウルトラマン』に描かれた心の闇
・悪いのは誰か
・物言えぬ遺児の怨念
・裏切られる善意とウルトラマンAのメッセージ
・自己有用感と、すがる思い第5章 反逆する大衆と『ウルトラマン』
・ウルトラマンメビウス――大衆という脅威
・狙われた街、狙われない街第6章 『ウルトラマン』とナショナリズム
・秩序という名のウルトラマン
・デラシオンという宇宙正義
・怪獣使いと少年――虐げられる者
・戦争が怪獣を生む
・悲しみの沼
ほか第7章 『ウルトラマン』正義実現へのメッセージ
・「原理主義」から「多神教」へ
・「他人の力を頼りにしないこと」――昭和のウルトラマンのメッセージ
・「与える者」から「与えられる者」へ――「光」の物語
・戦いは何のために?
『ウルトラマンティガ』――第38話「蜃気楼の怪獣」(脚本・大西信介/監督・川崎郷太)
・本当に武器を捨ててみる
・非戦の哲学エピローグ
・果てなき「正義の味方」願望
・「正義」を求める心
第1章から第3章は、ウルトラQからウルトラマン、セブン、新マンと「予想通り」の品揃え。
しかし4章以降は、ティガ、メビウス、マックス、ギンガSなど、平成ウルトラマンのエピソードも多く紹介されます。
これらを読んで、ウルトラマンシリーズの「伝統」を強く感じました。仮面ライダーシリーズは、何だかんだ言っても好きなように作っているように見えて、キャラクターデザインに特に強く表れていますが「過去作品からの逸・破壊」を常に目指しているように感じていました。(10月から始まる仮面ライダーエグゼイドのデザインがまた凄いですが…)
それに比べると、ウルトラマンは、先輩方から受け継いできたものを、どう形にするか、という部分を大事にしているように見えました。
特に同じ敵の出てくるエピソードは、音楽でいう「カバー」や「アンサーソング」的な内容が見て取れ、こういう部分はファンにはたまらないだろうなと思わされます。
勿論、テーマ的な部分、特にラストの持って行き方については、各シリーズごとに工夫が凝らされているようで、そこにも興味を惹かれました。特に6章で詳しく書かれるウルトラマンコスモスのラストの「これまでの『ウルトラマン』シリーズの最終回の慣例にはない異例の展開」(p150)には驚き、ここまでしっかりお話しを作ってあるのだ、と感心しました。
2.各エピソードのあらすじ
この本の構成が少し変わっているのは、本の成り立ちに関係があります。作者は公立中学校の国語教師で、年に数回程度「ウルトラマンを題材にした授業」を行い、それがこの本のもとになっているのです。
したがって、読者は授業で行っているように(授業では、「教材」を見る前に、テキストで音読させる場合もあるようですが)、各エピソードの内容について、しっかりと鑑賞した上で、作品のテーマや主張について考えていくことになります。
いわゆるオタク的な文章の場合、元ネタが(今さら説明するまでもないことと)最小限の内容でしか紹介されないことが多いため、この形式は自分にはとてもユーザーフレンドリーな、読者に優しい印象を受けました。そして、このお膳立てがあるので、国語の授業を受けるように、作品テーマについて考えることが出来ます。
ウルトラマンメビウスのクライマックスについて要所を踏まえて紹介される第5章も、メビウスというウルトラマンの位置づけも含めて、非常に分かりやすく紹介されていました。
3.最後のまとめ
この文庫版は、2011年に出た本(『ウルトラマンと「正義」の話をしよう』)に大幅な改訂増補を加えたものということもあって、構成が非常に練られているように思います。その中でも、それまでの章の内容を振り返って「ウルトラマンからのメッセージ」として再整理した7章のまとめ方は素晴らしいです。
『ウルトラマン』シリーズでは、現実を生きる私たちに対して、平和や調和を目指すいくつかの策が提示されています。それは『ウルトラマン』シリーズの作家たちが論じた平和論であり、作品が成立した時代の諸問題に即応した平和論でもあります。p192
最初に、ウルトラマンが説く正義実現へのメッセージとして2つが挙げられています。
一つ目は「多様な価値観の共生」。
ウルトラマンは、自己の正義に懐疑的で、「人間寄りの正義」一辺倒になることなく、他者(怪獣)の存在価値を認める存在です。それだけでなく、ウルトラマンガイアに出てくる二人のウルトラマン(ガイアは人類の味方、アグルは地球の味方)、また映画ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティスという、「信念の異なる二人のウルトラマン」が登場し、価値観の異なる多様な正義が(どちらが勝つかではなく)収束していく様子が描かれます。また、コスモスやメビウスの最終回は、そのような「共生」に力点を置いたものになっているようです。
二つ目は「他人の力を頼りにしない」=「自分がヒーローになる」ということです。
昭和のウルトラマンシリーズは、最終回でウルトラマンの力を借りずに怪獣を倒すという傾向があり、平成ウルトラマンでもやはり人間の力を合わせることの重要性が説かれています。
これらのメッセージを踏まえて、最後に「人はなぜ戦い続けるのか」をテーマにして、ウルトラマンティガ第28話「うたかたの…」、第38話「蜃気楼の怪獣」、ウルトラマンマックス第15話「第三番惑星の奇跡」を取り上げ、最後に、ウルトラマンの正義の本質には、戦いによらない解決、つまり「非戦」があると説きます。
「正義」という概念は皆が「正義」であれば生じ得ず、相対となる「悪」があって初めて成立します(強引に正義を名乗ろうとすれば、自分と立場の異なる者を悪とみなす危険な”鬼ごっこ”になり得ることは前章で述べたとおりです)。となれば、正義が先なのか、悪が先なのか…この問いに目を向けたのが、『ウルトラマンティガ』第28話「うたかたの…」です。 p206
イルマ隊長のいう「なぜ怪獣は出てくるのか」の問いに図らずもマユミは答えています。「あいつらは敵だ」という視線こそが、敵を生み出すのだと。 p210
自分は知らなかったのですが、このようなヒーロー物ではお約束の疑問「なぜ怪獣は日本ばかりを襲うのか」に対して、既にウルトラマンレオの時点で「レオがいるから怪獣が来るのでは?」という懸念が作品内で描かれていたと言います。
ウルトラマンティガの「うたかたの…」は、まさにそのようなテーマを扱った回だというのです。
「非戦」という言葉は、「お花畑的」なキーワードで、、理想論としてはあり得ても、国防という視点からは現実離れした言葉と言えるでしょう。
しかし、この本では、超人的な存在であるウルトラマンからのメッセージとしてそれが伝えられるため、素直に受け取ることが出来ます。
また、エピローグで語られている通り、中庸の視点に立つということを大事にするとすれば、決して「イエス」ではなくても、絶対に切り捨てることの出来ない概念が「非戦」だとも考えられます。
「イエスなのか、ノーなのか」ではなく、「なぜイエスとノーにわかれるのか」「イエスとノーの距離感や、その落としどころはどこだろう」という視点を持つことが、「中庸」「中道」の立場に立つということであると思います。 p228
7章のラスト近辺でも引用されている「平和のための戦いはない。平和のためには許すしかないのだ」という信条を持つ市川森一さん。彼の手掛けた最後のウルトラマン作品であるウルトラマンAの最終回で、少年たち、そして地球の人々に残すメッセージにも、やはり「非戦の哲学」が貫かれているように思い、これを最後に引用して文章を締めたいと思います。
自分たちは、ウルトラマンからも正義を、平和を学ぶことができる。それは信念のある作り手が、作品にメッセージを込めて、受け手がしっかりとそれをキャッチすることによって成り立つ。
観る側、読む側にこそ、そういったメッセージを受け取るための努力が必要なのだと改めて気づかされました。
これまであまり見てこなかったウルトラマンですが、この本で取り上げられているものは、出来るだけ機会を作ってたくさん見たいと思います。
優しさを失わないでくれ。弱いものをいたわり、互いに助け合い、どこの国の人たちとも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。たとえ、その気持ちが何百回裏切られようとも。それが私の最後の願いだ。(『ウルトラマンA』第52話「明日のエースは君だ!」