Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

我ながらひねくれた感想〜ケイト・ディカミロ『愛をみつけたうさぎ』

愛をみつけたうさぎ  エドワード・テュレインの奇跡の旅 (ポプラ文学ポケット)

愛をみつけたうさぎ エドワード・テュレインの奇跡の旅 (ポプラ文学ポケット)

『ねずみの騎士デスペローの物語』の著者による、感動の物語が新装版で登場!
ニューベリー賞受賞作家がつづる愛の物語。

陶器のうさぎエドワードは、誰のことも愛していない。持ち主の女の子に可愛がられていたが、ある日はぐれてしまい、旅に出る。さまざまな人と出会うなかで、エドワードは愛すること、そして失うつらさを知り――。
2006年ボストングローブ・ホーンブック賞(フィクション部門)受賞作。


自分で言うのもなんだが、タイトルも装丁も、いかにも自分が読まなさそうな本。
しかし、そんな本でも読んでみようと思ったきっかけは、9月に参加したビブリオバトルだった。
そのときのビブリオバトルは「ブラインドビブリオバトル」という特殊ルールで、主催されたビブリオエイトさんのHPから引用すると、具体的には…

○本の紹介の際に以下の発言を禁じるビブリオバトル
・タイトル、サブタイトル、シリーズ名
・著者、編集者、訳者等
・出版社
・判型
・価格など
○本は必ず持参しなくてはならないが、投票が終わるまで見せてはならない。
○参考書籍は通常通り。
○質問でも、上記についての質問は禁止。
○投票での判断基準は本の紹介のみ
「○○さんの紹介した本」として投票を確認する。
○チャンプ本発表後、発表された本すべての正体を明かす。 ※投票する際に、作者や価格などにとらわれ、発表ではおもしろそうと思ったのに投票しない、と言うことがあるので、本のタイトル等を隠すことで、内容だけで判断するので本当の意味で「一番読みたくなる本」を選ぶことができる、かなと思っています。
ビブリオエイトHP

ということで、表紙とタイトルを見ていたら投票しなかったであろう本に自分は投票し、さらに実際に読むに至り、まさに、このビブリオバトルの主旨通りの「優秀な参加者」だと思う(笑)。
なお、紹介者の方は、普段よく読むジャンルであるハードボイルド小説の中で、登場人物が大切にしている本として、この本の名前が印象的に登場した、という話をしていたが、その小説が何なのかはよくわからなかった。少し調べると、「大ヒット韓国ドラマ『星から来たあなた』のモチーフとなったことでも知られる。」とのことだが、こちらの情報は聞いていたら投票しなかったかもしれない(笑)


本のタイトル

本のタイトルだが、原題は「The Miraculous Journey of Edward Tulane」という主人公の名前を前面に出したタイトルで、邦題の副題「エドワード・テュレインの奇跡の旅」がこれにあたる。
それに比べて、邦題は、エドワードが旅で何を得たのかをタイトルに持ってくる「日本」的なタイトル付けで、何かというと、主人公の名前を入れたがる英語タイトルとは大きくイメージが異なる。


しかし、捻り出した日本語タイトルも、「ベタ」なだけでなく、物語の焦点をエドワードに当てすぎていて、ミスリーディングのように感じる。
むしろ、自分は、エドワード以外に目を向けたい。

ペレグリーナの話

この話の一番のポイントは、エドワードの生みの親であるペレグリーナの存在。エドワードは、最初の持ち主アビリーンの7歳の誕生日プレゼントに、祖母であるペレグリーナが人形師につくらせたものだった。
エドワードの運命を大きく変える船旅の前のある夜に、ペレグリーナが話してくれたのは、美しいが「愛を知らない」お姫さまが、魔女によってイボイノシシに変えられたあと、家来から銃で撃たれて死んでしまう、という話。
「そんなのひどい」、(おとぎ話なのに)「だれも”いつまでも幸せに”くらしてない」と文句を言うアビリーンに対して、ペレグリーナは言う。

けれど、考えてごらんなさい。愛がないのに、どうやって”いつまでも幸せに”くらせますか?

さらに、ペレグリーナは、エドワードをベッドに横たえたあとで、顔を寄せて、「おまえにはがっかりした」と、魔女がお姫さまに言ったのと同じセリフを言う。つまり、彼女は、エドワードに「お前も、悲惨な最期を遂げたお姫さまと同じだ」と言いたかったのだろう。


そのことがずっと頭の片隅に残ったまま、アビリーンらと船旅に出たエドワードは、船の上から落とされて海底に沈んでしまう…。その後、愛を知らないエドワードが「奇跡の旅」を続ける中で、(お姫さまとは異なる人生を選び)愛を見つけられるのか?というのが、物語を駆動する筋になる。


さて、色々な人との出会いと別れを繰り返し、一度バラバラに壊れてしまったエドワードは、ラスト近くになるにつれ「ぼくはもう希望なんて持たない」と考えるようになる。そして、ルシウス・クラークという修理師の施しを受け、商品として店に並んだエドワードは、隣にいた女の子のかたちをした人形から、再び「がっかりした」と言われることになる。この部分が、物語の一番のメッセージになっている。

「だれか来てくれるかどうかなんて、興味ない」エドワードはそっけなくいった。
「ちょっと待って。そんな風に思うなら、生きつづけていたってなんの意味もないじゃない。それじゃだめよ。心のなかを希望でいっぱいにしなくちゃ。わくわくして待つの。今度はだれが愛してくれることになるのか、楽しみにしながら待つのよ」
「ぼくはもう愛されなくてもいい。愛さなくてもいい。だって、どっちもあんまりつらすぎるよ」
「ふん」人形は軽蔑したように言った。「あなたの勇気はどこにあるの?」
「どこかそのへんに落ちてるよ」
「あなたにはがっかりしたわ」と人形はいった。
(chapter26)

その人形は、小さな女の子と父親に買われて店を去るときにエドワードに言った。

「心をひらくのよ」人形はやさしくいった。「だれかがやってくる。きっとあなたのところにやってくるわ。でもそのためには、まずあなたが心をひらかなくちゃだめ」
(chapter26)


つまり、「どのようにして愛を見つけるのか?」という気持ちで読者が読み進めると、「絶望せずに心のなかを希望でいっぱいにすること」「心をひらくこと」が重要だ、という答えに辿り着く。そして、エドワードが心をひらくと、感動のラストが待っている。
その意味では間違っていないタイトルだ。

ロボットに心はあるのか?

突然だが、ここで、AIBOのようなペット型ロボットについて考えてみたい。
ペット型ロボットには心があるのだろうか?


この本の一番のポイントは、当然のことだが、主人公エドワードが、うさぎの人形であること。心を持たない人形が、心があるように振る舞うところが面白いのだと言える。しかし、物語を通じて、エドワードは人間と会話をしない。エドワードは言葉を理解するが、自分から話をできないし、動くこともできない。
したがって、人間の側から見ると、まさに「ただの人形」であり、この話は、長い時間をかけて、多くの人の手に渡った人形の話を、人形側を主人公として脚色した話とも読める。


つまり、AIBOのようなペット型ロボット、そしてエドワードのような人形には、実際には心はない。正確に言えば、ロボットや人形、単体では心はない、と、自分は考える。
アンドロイド研究の第一人者である石黒浩は「心とは、観察する側の問題である」と言っている。ロボットに人間並みの知能があるかどうかは問題ではなく、人間側がロボットの中に「心」を感じることができるかどうかが重要ということだ。
したがって、ペット型ロボットや人形の心は、彼らと接する人間の愛情によって、そこに宿るのだと思う。エドワードの「心」を与えたのは、「奇跡の旅」の途中で、エドワードに出会い、ともに暮らした人たちだ。

タイトルとラストに向かう流れが嫌いな理由

「人形単体には心はない」とする自分の考え方は、エドワードの「心の成長」に焦点を当てた物語の読み方と食い違う。
エドワードの「心の成長」に焦点を当てると、旅の途中で出会った沢山の「恵まれない」人たちが、「エドワードが愛をみつける」ために犠牲になっていると見えてしまうのだ。枡野浩一が、映画『君の名は。』について、男女がくっつく、ただそれだけのために、あれやこれやと色々なものが犠牲になり過ぎると非難していたが、そのイチャモンに近い感覚かもしれない。


そもそも、訳者あとがきにも書かれているように、旅の途中でエドワードが出会うのは、「社会の中心から少しはずれたところにいる人たちばかり」である。

子どもに気をつかいながらくらす、年老いた漁師の夫婦。家族とわかれ、犬とともに放浪する渡り者の男。病気で寝たきりの女の子と、彼女をけんめいに守ろうとする兄。

そんな彼らが、うさぎの人形に愛情を注ぐ中で、心の安らぎを得て行く。
エドワードの「心」のありように関わらず、人は、どんなに恵まれない状況の中にいても、人形のようなものを心の支えとして生きていくことができる。
エドワードに「心」が、そして「心の成長」があるとしたら、それは、「心をひらく」ことではなく、そんな風にして別れてしまった人たちの人生を想像すること、心配すること、祈ることによって成し遂げられるのだと思う。


その意味で、やっぱりラストに向かう流れと、タイトルは、自分の好みとは合わない。
ただ、物語としてちゃんと出来ているし、自分みたいなひねくれ者でなければ、素直に楽しめる寓話だと思いました。
また、全26章すべてに非常に美しいカラーの挿絵が1枚ずつ入っているところも魅力で、絵本的に読めるシンプルストーリーで、そういう意味では色々な人にオススメできます。