Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

ほんとうのさいわいは一体何だろう〜山本文緒『ブルーもしくはブルー』

最近、歌人枡野浩一と漫画家の古泉智浩がやっているラジオ番組『本と雑談ラジオ』のpodcastを聴くのが楽しい。二人とも癖があるが、何だかんだいって、自分は枡野浩一の面倒くさい感じが好きなんだなあ、と改めて思う。だけでなく、ここで取り上げられる本は、どれも面白そう。
いつだったか、番組内で枡野浩一が好きな本として口にしていたのが、この『ブルーもしくはブルー』だった。以前も書いたが、山本文緒は、自分が大学生だった20年くらい前に、「本の雑誌」で激推しされていたことから、ずっと気になっている(でもほとんど読んでいない)作家。中でも、この本はタイトルが印象に残っていた。

広告代理店勤務のスマートな男と結婚し、東京で暮らす佐々木蒼子。六回目の結婚記念日は年下の恋人と旅行中……そんな蒼子が自分そっくりの〈蒼子B〉と出くわした。彼女は過去の記憶をすっかり共有し、昔の恋人河見と結婚して、真面目な主婦生活を送っていた。全く性格の違う蒼子Aと蒼子B。ある日、二人は入れ替わることを決意した! 誰もが夢見る〈もうひとつの人生〉の苦悩と歓びを描いた切なくいとおしい恋愛ファンタジー。万華鏡のように美しい小説。

この本『ブルーもしくはブルー』は、上にあらすじを引用したように、タラレバ人生を送っている「もう一人の自分」と人生を入れ替える、という内容。ドッペルゲンガーで「入れ替わりもの」をする、というのが特徴だろう。


入れ替わる前の二人の心情が面白い。

  • 見方を変えれば、この河見との生活は、東京で暮らす蒼子から押しつけられたものであるとも言えるのではないか。二台ある自転車のぴかぴかの方をあちらの人が先に乗って行ってしまったので、自分は仕方なく残された錆だらけの自転車に乗って人生を走っているのではないだろうか。(p60:蒼子B)
  • 正しい選択をした私が、違う土地で幸福に暮らしている。知らなければ知らないで済んだことなのに、私は知ってしまった。もうひとつの人生、それも正しい人生が、別の場所で営まれているのだ。私は選び間違えた。きれいな見かけに騙されて、私は欠陥車を選んでしまったのだ。埃をかぶっていたもう一台の車こそ、人生を快適に走り抜ける性能のいい車だったのだ。(p65:蒼子A)


そして二人は、一か月という約束で生活を入れ替える。
東京での生活で自由を満喫している蒼子Bは、これまでの人生を次のように振り返りながら福岡に渡った蒼子Aに思いをはせる

それは考えようによっては幸福な生活だった。いつでも自分のことを考えてくれる人がそばにいるのだ。(略)
蒼子は、もうひとりの蒼子が目の前に現れるまで、そういう生活に何の疑問も持っていなかった。自分が我慢をしていることすら気が付いていなかったのだ。
ないものねだりなのだろうかと、蒼子は思った。余るほどの自由があれば心の拠り所が欲しくなり、強く愛されればそれは束縛に感じる。
p125

一方の蒼子Aは、まさに、夫・河見の「強い愛」に満たされ幸福を感じていたが、ある晩、夫の暴力を受けて世界が一変する。

皮肉なもので、こうなると佐々木の良さが見えてきた。確かに彼はクール過ぎるところがあるが、暴力で自分の妻を押さえつけるような人ではない。(略)
河見と佐々木、どちらが正しい選択であったのか、すっかり分からなくなった。いったい私はどうしたらよかったのだろう。
p149


入れ替わり前、この物語の主人公である蒼子Aは、人生には「正しい選択」があり、「人生を快適に走り抜ける性能のいい車」を自分は逃してしまっていた、と思っていた。しかし、実際に入れ替わってみると、そうではなかった。「正しい人生」なんてない、ということを、蒼子Aも蒼子Bも知る。つまりどちらを選んでもブルーな人生、「ブルーもしくはブルー」なのだ。
入れ替わり体験によって、別の視点を得て、もとの自分の生活にあった幸せを再確認する、というステレオタイプの展開を裏切り、この小説では、元の生活も輝きを取り戻さない。そこが、ある意味では救いになっていると思う。
ラスト直前の蒼子Bの言葉は、決定打になりそうなメッセージを含むが、蒼子Aが即座に否定する。この部分がとても良かった。これが決定打になってしまうと、「所詮はお話」ということになってしまう。綺麗すぎる。

「私達、ちゃんと愛されてたのよ。河見君にも牧原君にも。佐々木さんでさえ、結婚した時はあなたのことが好きだったのよ。それをねじ曲げたのは私達なのよ。愛されてたのに愛し返さなかったのよ、私達」
彼女は話し終えると、大きく溜め息をついた。私は彼女の言葉の意味を考えた。彼女の言うことはもっともだが、では、どうすればよかったのだろう。私は自分なりに精一杯佐々木を愛したつもりだった。拒絶されようが相手に愛人がいようが、努力して愛するべきだったというのか。努力して愛すれば、この冷えて虚ろな気持ちが満たされるというのだろうか。努力して愛する、それは演技ではないか。上手い演技をすれば、素晴らしい人生の舞台ができ上がるとでもいうのだろうか。
p248


小説の中では、ひとつだけあるSF設定(二人が並んでいるときに、他の人から見ると片方しか見えない状況がある)もきっかけにしながら、自分が今ここに存在していることの意味を、2人の蒼子が悩み続ける。
吼えろペン』で、炎燃(島本先生)が、実生活でも二股の恋愛漫画家に「自分でも解決できない問題を読者に丸投げするな!」とアドバイスする場面があったが、まさにそれ。作者自身も「生きる意味」について悩みながら、そして安易に回答を出さない中で、小説としてどう届けるのかを考えている様子が伺える。


ラストでは、ふたりの蒼子は、ともに離婚に向けてバタバタしている。そんなとき福岡に戻った蒼子Bから届いた手紙を読んで苦笑いする蒼子Aに、自分は、何というか安心した。「幸せ」というものに「正解」はないし、浮き沈みの中で、泣き笑いしつつ、それぞれの幸せを追い求め続けるのが人生なんだと思う。『銀河鉄道の夜』のジョバンニのように。

苦労して離婚したところで、この先いいことがあるとはとても思えません。けれど、死にたいわけでもないのです。
この生きることへの執着は、どこから来るのでしょうか。分からないまま、年を取って死ぬのかもしれませんね。p257