Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

感想『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』


考察を色々と読みだしたら止まらなくなってきたのでシンプルに感想を。
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pocari.hatenablog.com


メカ

冒頭のパリから良かった。

メカ造形を見た場合、エヴァンゲリオン自体は、カヲル君の乗る6号機以外は特にそそられない(2号機も好きだが、複数バージョンのどれがどれか認識できない)んだけど、今回は、マリの乗る8号機の冒頭のバージョンが素晴らしかった。
腕の作りが特殊ということ以上に、マリの運転方法がカッコいい。
いつもの両腕レバーではなくて自動車タイプなので、今回マリは車庫入れするようにエヴァを運転する。最後もシトもどきにエッフェル塔をねじり込むんだけど、そのときにもねじり込む動作とハンドル操作が一致していて、エヴァには乗ったことがないけど自動車は運転したことのある自分のような人間にも、「体感できるエヴァ」になっていた。
一方で、Qの予告編で登場していた8+2号機はカラフルで面白いデザインだと思っていたのでかなり期待していたけど、結局出番がなく残念。

シンジ

さて、冒頭シーンが終わると、やっと主人公のシンジ君が出てくる。
今回、直前にQを見て、改めて、見る人に苛々を抱かせるシンジ君のキャラクターを不憫に感じた。

ニアサードインパクトを起こした張本人でありながら、14年ぶりに復活して、カヲル君への友情と唐突な使命感からフォースインパクトを起こしかけるバカシンジ。
何かと「逃げるな」とばかり言う大人たちもずるいのだが、今回、「映画の尺」的にも、シンジ君のいじける時間があまりにも長過ぎるので、やはりここでもイライラが募る。
だからこそ、(その体験の凄まじさを知らない人から見れば)あまりに常識はずれで身勝手な態度に業を煮やして起こるトウジ義父に共感。
なお、そんなときにも冷静なケンスケは凄い。今回の影の主役。

村の風景

で、シンジ君がいじける間も、底をついて立ち上がってからも「村」の話が続く中盤が、本当に良かった。
最初のパリの街並みも良いけど、何といっても村の「風景」が最高。

何で自分があちこちを走るのが好きなのか最近分かってきて、それは「風景集め」が趣味だから。
でも、自然風景ではなくて、やっぱり人がセットでないと「萌え」はなく、エヴァの醍醐味である電柱・鉄塔描写は、まさに自分の好きな風景の代表。
しかも、今回の鉄塔は特別バージョンで、村の山側にある鉄塔が赤く光りながら空中で横回転している!(この理屈はケンスケが説明していたけどよくわからなかった…笑)
勿論、真に意味があるのは、ここで示されるような生活なのだが、この風景が観られただけでも、今回の映画は満足して帰ることができた。

群れ鉄塔

群れ鉄塔

  • 作者:一幡公平
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


父子と成長

そして後半。
おー!予想されたこととはいえ、親子喧嘩の展開になるのか!
まさにウルトラマン同士が戦うような、都市の中でのフィジカルなぶつかり合いから、いつの間にか「撮影用セット」を抜けて、心理的な戦い=父子の会話への移行していく様子も、素晴らしい。
結局、これがエヴァだよね。第四の壁を越えてくるよね。
と観ながらニヤニヤが止まらない。
シンジとゲンドウが話しているのは、彼ら自身のことじゃない、観ているお前らに言ってるんだからな!というお節介な感じが素晴らしい。
リアル綾波のやり過ぎている「気持ち悪さ」も嬉しい。
マリ登場突然の絵コンテ風映像も含めて、普通のアニメ表現ではやらない部分に踏み込むのがエヴァっぽい。


で、今回はゲンドウの自分語りが長かったのが良かった。
電車で対面に座るゲンドウ…
半袖のゲンドウ…
知識とピアノが好きだったゲンドウ…
サービスショット的に入れられているのも含まれるのか、親子が似ているのも本当によくわかるし、ゲンドウの深いところを理解した上でのシンジ君が最後に残るので、その成長の程度が腑に落ちる。

成長と村

成長という意味では、物語の中での14年の時間経過はとても意味がある。
コミックスを最終14巻だけ読み直したが、描きだそうとしていた結論は同じでも、時間経過や成長が描かれないため、旧劇場版やコミックスは「あまりに理屈っぽい終わり方」という印象がどうしても残る。
それに対して今回は、トウジやケンスケらが作った、ある意味では、「人類補完計画」ではない「別の正解」がはっきりと描かれるし、彼らが14年かけて人間的成長だけでなく、コミュニティの成長を通じて、それを実証してみせている。

最後にミサトが間に合ってゲンドウは負けを認めるが、ここも、神(自然)が与えた2つの選択肢しかないと思っていたゲンドウに対して、シンジやミサトが、神を超える第三の選択肢を示す形になる。


このあたりの、世界が行き止まりにハマっている感じは、エヴァの始まった20世紀末よりも今の方が、より「世紀末」的で、逃げ道が無いように見える。

また、(本の内容については)別の機会に書きたいが、斎藤幸平『人新世の資本論』に書かれているように、今、世界が進んでいる方向には絶望しかなく、それとは別の選択肢の方に希望を見出してしまう自分の感覚と、シンエヴァが見出そうとしている希望(村の生活に代表されるもの)はリンクしているように見えた。
人間の叡智、協力、工夫は神を超えることができる、という「希望」を前面に出す終わり方は、自然災害やコロナ禍で不自由な生活を強いられている多くの観客にとっても「希望」(逆に、希望に向かっていないことが明確であれば「絶望」)として伝わったように思う。

人新世の「資本論」 (集英社新書)

人新世の「資本論」 (集英社新書)


親切設計とbeautiful world

マリがゲンドウやユイ達と同世代であることは、Qの時点でも示されていたようだが、今回の映画だけを観ても理解できるし、カヲル君がどういう存在だったのか、ということも然り。全体的に、考察抜きでもモヤモヤがなく見終えることが出来るという親切設計なのも良かった。

また、宇多田ヒカルの新作は、今回、まだあまり聴いていない状態だったけど、やはりエヴァには宇多田ヒカルだよな、と思っていたらエンディングでは2曲目に「Beautiful world」。
この歌は、エヴァンゲリオンに合い過ぎているので、エヴァシリーズの「締め」にかかる曲としてはこれ以上のものはなかった。
これも含めて、自分にとっては大満足・大団円の映画でした。


『Q』のときは、これで次が終わりということは全く信じられなかったけれど、こうもしっかり終わることが出来るのは凄いと感心しきりです。
途中にも書きましたが、実は『人新世の資本論』はまだ途中。それ以外にも、気候変動など地球システムを対象とした問題を、資本主義に乗らない方法で考えていくような本はありそうなので、こちらにも食指を伸ばして、自分なりに「新世紀」を考えていきたいと思います。



次は、『シン・ウルトラマン』か!本当に今年の夏に公開できるのか分かりませんが、気長に待ちます。楽しみです。

映画『シン・ウルトラマン』特報【2021年初夏公開】