Yondaful Days!

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それでも野外排せつを続ける理由~佐藤大介『13億人のトイレ -下から見た経済大国インド』


つい先日もテレビで「クアッド」と呼ばれる4か国のニュースがあった。

日本とアメリカ、オーストラリア、インドの4か国の枠組みによる初めての首脳会合が、オンライン形式で行われました。「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向け、さまざまな国々と協力するほか、ワクチンなどの分野で作業部会を立ち上げ、年内に対面で首脳会合を開催することで一致しました。

「クアッド」と呼ばれる4か国の枠組みによる初めての首脳会合は、菅総理大臣、アメリカのバイデン大統領、オーストラリアのモリソン首相、インドのモディ首相が出席し、日本時間の12日午後10時半ごろから、オンライン形式で、1時間半余り行われました。

中国に次ぐ人口を抱え、中国への対応を考える中でも欠かせない存在となったインド。
経済大国として注目される国であり、かつ、「0を発明した国」だからということで理数系が強い、ITが強い、というプラスの印象もある。
しかし、実際のところどんな国なのか、ということはあまり知識がなかった。
そんなインドの実情を「トイレ」という視点で切ったのがこの本。


モディ首相が就任して間もない2014年10月の演説で「スワッチ・バーラト」を重要政策として打ち出す。その内容は

  • 2019年のガンジー生誕日までに
  • 約1億2千万基のトイレを新たに設置し
  • 屋外での排せつをゼロにする

というもので「史上最大のトイレ作戦」と報じられた。

そして、まさにその2019年のガンジー生誕150年の記念行事で、「スワッチ・バーラト」の成功を祝う祝典が開かれたのだが、実際にこの政策は成功したのか、そしてその成否の原因は何か、というのがこの本の主題になる。

第一章「「史上最大のトイレ作戦」-看板製作の実像と虚像」

この章のタイトルが示す通り、この看板政策は上手く行ってはいない。

ユニセフとWHOの調査(2015)では、インドにおいて野外で用を足している人の数は約5億6425万人で、インドの人口の4割以上。さらには、全世界の「トイレなし人口」のうち、6割がインドに集中しているという。

日本から見て、「もうすぐ先進国なんでしょ」と思っていた国で、人口の4割の人がトイレなしで暮らしているとは思いもよらなかったので、度肝を抜かれた。

ただ、読み進めると、驚くことに、トイレを設置しても野外で排せつする人が多い、ということもわかってくる。この章で言う「虚像」とはつまり

  • 維持費の面から足踏みするケースが多数ある(日本であれば「下水道の整備率」を目標に掲げるところを「トイレの設置数」としているところに注意)
  • 政府はトイレの設置数のみを追い求めるが、そもそも補助金のみを得て設置しないケースが多数ある
  • 設置しても生活慣習や宗教的理由から使用しない(野外排せつを続ける)ケースが多数ある(その理由は後述)
  • トイレを設置したい思いが強いのは女性だが、その意見が男性家族に受け入れられないケースが多い

と言ったところ。
最初にも書いた通り、日本でトイレといえば下水道(そうでないところも勿論ある。後述)を思い浮かべるが、それがない中でのトイレの設置が意味するところは確かに分かりにくい。

モディの政策評価に対する国民の反応として、ゲイツ財団のインド事務所に勤務していたハミドさんの意見が、この本の後半の話題も含んでおりわかりやすい。

スワッチ・バーラトは、それ自体はいい考えだと思います。だけれども、それを『成功した』と強調するのは、あまりに事実と離れています。独立した機関の調査結果でも、インドは地方を中心に野外排せつを続けています。それに、トイレや下水管の清掃にあたる人たちの環境改善がなされておらず、今でも事故が多発しています。トイレをいくつつくったかという、ごまかせる数字が大切なのではなく、いかに生活にトイレを根付かせているかが重要なはずなのです。p56

ハミルは「平等」という観点からモディ首相のやり方を疑問視するが、それはカシミール州の生まれということも関係があるようだ。カシミール州はインドで唯一イスラム教徒が多数派の州で、パキスタンとの国境未画定地域を抱えるなど、治安上不安定なエリアにあり、モディ政権は、カシミール州の自治権はく奪も含めイスラム教徒に差別的な政策をとっている。
人口の多い国ということで、中国と似た側面があるようだ。なお、後述するが、トイレの普及はヒンズー教の教えと強い関わりがあり、イスラム教コミュニティではトイレの普及率が高いとのこと。

第二章「トイレなき日常生活-農村部と経済格差」

この章では、特に農村部において、貧困の問題が、トイレを設置しない大きな理由になっていることが示される。
読み進めると「トイレなき日常生活」は、日本人の自分にはやはり想像を絶する厳しさがある。
取材を受けた30歳の女性は、トイレに行くのは日が昇る前の1日1回と答えているが、とても考えられない。
そして何より、野外での排せつは、安全面に問題がある。実際、ヘビに襲われて亡くなる人も多いようだが、女性の場合はレイプ被害も多く、インドの家父長的な考え方とも強く関連しているという。
この章でも、モディ首相の「国内にある60万あまりの村落すべてに電力供給を実現させた」というtweetが話題に上っているが、あくまで「すべての村」の「一部の建物」に「送電線がつながった」という状態を指し、言葉のマジックであることが示される。
都市の利便性のみに視点が行き、置いてけぼりにされる人が出てくるという格差の拡大の問題は、どの国にも多かれ少なかれあるが、中でもインドの格差は大きいように感じられた。

第三章「人口爆発とトイレ-成長する都市の光と影」

3章では、聖なる川であるガンジス川(ガンガー)の深刻な水質汚染について触れられる。
2015年の統計結果によれば、インドの人口10万人以上の都市での下水処理能力は発生量の23%だが、5万人以上10万人以下の都市では5%で、9割以上の下水がそのまま河川に流されているという。
さらにこの章では、「盗水」(水道管を掘り出して穴を開け漏れた水を勝手に持って行く)や「盗電」(電柱や住宅の配電盤から不正に電線を伸ばし自分の家で使う)行為が多いことから、インフラの維持管理のための財源が不足していることも示される。
また、急速な都市化と人口増の中で、地下水の減少や地下水の汚染も進行していることを考えると、今後も貧困層の生活が犠牲になり、国自体が不安定化することが示唆されており、かなり恐ろしい。

第四章「トイレとカースト--  清掃を担う人たち」

この章が、最も興味深かった。
最初に、下水管清掃の過酷な現場が取り上げられるが、下水道やトイレの清掃に関わる労働者の多くは、カースト制度の最下層で不可触民とされた「ダリット」と呼ばれる人たちだという。*1
ある地域の出身者の就業先が一つの業種に絞られるという話は衝撃的だ。

ウィルソンの出身地である南部カルナタカ州の地区では、住民の大半がトイレ清掃や排せつ物の処理労働に従事していた。故郷の若者たちは、清掃労働者になる以外に仕事を得ることはほとんどできず、自身も高校卒業後、職業紹介所から示されたのは清掃業だった。p134

下水管の仕事も過酷だったが、特にきついのは乾式トイレの清掃労働だというのは本を読むとよくわかる。その内容はもはや書きたくないほどだが、(下水道などはないため)トイレの下にそのまま放置された排せつ物を、素手やほうきを使ってかき集めてゴミ捨て場に持って行く仕事で、ほとんどが女性。インド全体で16万人の女性たちが、いまだにこうした作業に従事しているという。(マニュアル・スカベンジャーと呼ばれる)


ヒンズー教の教えによれば、そもそもトイレが家の敷地内(人間が住むところの近く)にあるのはいけないことで経典にも書かれているという。そして、ヒンズー教の高名な僧に意見を聞くと、次のような言葉で「水洗」自体を否定する。

トイレで排せつ物を観ずに流せば目の前から消えるけれど、それは水を汚し、そして土を汚すことになります。水洗は便利なシステムかもしれませんが、聖なるものではありません。野外で用を足せば、太陽の厚さによって肥料になり、微生物が分解して姿を消します。しかし、水洗は乾燥できず、いつまでも汚いものとして残るのです。p166

そしてその「不浄」と「浄」の概念が強く浸透しているために、ダリットへの差別はなくならない。

トイレや排せつ物は「不浄なもの」であり、それを扱うダリットたちもまた「不浄な存在」であるから、「浄」の世界に立ち入るべきだはない、という考えだ。これが、トイレの普及や清掃労働者の環境改善に大きな壁として立ちはだかっているのは間違いない。p154

この章では、「スラブ国際トイレ博物館」の館長にしてNGOの代表を務めるパタクさんの取り組む簡易水洗トイレの普及と清掃労働者の環境改善について多く取り上げられる。
ここでの作者の佐藤大介さんの関心が興味深い。パタクさんは、清掃労働者の環境改善には熱心だが、清掃労働に携わるのがダリットに固定化されていることには関心を示さないのだ。
ガンジーカースト制度はそのままにして差別の撤廃を訴えたというので、インドにおいては、カーストをなくすという考え方はあり得ないのかもしれない。

第五章「トイレというビジネス――地べたからのイノベーション

第5章では、インドの学生が開発する清掃ロボットのほか、日本企業の例も紹介されている。

日本の「浄化槽」の仕組みも注目されているというのも興味深かった。この本を読むと、インドにおいて下水道整備を進めるのはあまり現実的ではなさそうなので、下水道によらない浄化槽のような方法はまさにベストマッチなのだろう。

インドとコロナ

終章では、インドでのコロナの状況が描かれる。ロックダウンによって影響を受けるのは、多くの出稼ぎ労働者で、中でもダリットの人たちは、身分証明書を持っていないことを理由に、国からの支援の外に置かれてしまっている話なども、この本を読んでくると、さもありなんという感じはする。
各国の諸問題に上乗せされる形で加わったコロナ(COVID-19)の問題では、それぞれの国で影響を受ける職種に偏りがある。インドにおいては、さらに、カーストの問題は切り離せないようだ。
また、別視点で見れば、排せつ物処理の問題は、地震などによる断水時には、日本においても個々人の問題として降りかかってくる。自分自身が処理する必要がある場面が出てくるかもしれない。そういう意味では、インドの問題、カーストの問題ではなく、もう少し、下水道の仕組みや災害時の排せつ物処理の方法について勉強しておくべきだと思った。

*1:カースト制度では、バラモンクシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラの4つのカーストがあるが、その外側にいる人たちがダリット