Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

『大奥』と似てるとこ・似てないとこ~池田理代子『ベルサイユのばら』(3)~(5)

※(1)(2)巻の感想はこちらです→どの作品にもつい桜小路君を探してしまう~池田理代子『ベルサイユのばら』(1)(2) - Yondaful Days!


今年のGWは前半に池田理代子ベルサイユのばら』、後半によしながふみ『大奥』全19巻を読んだ。
『大奥』を読む前は、この文章(ベルばら後半の感想文)は、髪型変更によるアンドレの覚醒の話を書きたいと思っていたが、今は頭の中が『大奥』でいっぱいになってしまっている。そこで、大きく方向性を変更して2つの作品の比較について書いていこうと思う。


さて、特に意図したところはなかったが、連続して読んだ二つの作品は史実を元にしているということ以外に類似点も多い。
女性でありながら男性を率いるオスカル や、国王ルイ16世が目立たず、何かと王妃(マリー・アントワネット)が前面に立つフランス王政の状況が、女性将軍が支配する『大奥』の世界観と似ている、という見た目の類似点はある。
勿論、この設定の中で描かれる女性キャラクター(オスカル)が「この社会において否定的で受動的な意味を持たされがちな女のセクシュアリティからも、野暮な男臭さからも、解放されている」(4巻:松本侑子による解説)という、フェミニズム的なテーマが込められているというところも共通するだろう。


しかし、それだけではない。
以下に、名シーンの台詞を引用しながら両作品に共通する点を書き出し、最後に『ベルサイユのばら』に特有で、作品の大きな魅力について整理した。

共通点1:異物排除からの融合

(オ)さあ こい!フランス衛兵隊のあらくれ兵士ども
(ア)オスカル!!
(オ)なんだアンドレ!! あっ!!
がら~ん
3巻p138(オスカルとアンドレの会話)

「黒い騎士」を取り逃がしたオスカルは自ら近衛隊除隊を願い出て、貴族出身者の少ない衛兵隊長となる。しかし、初登庁の日、そこには誰一人も部隊の人間がいなかった。
こんなシーンも『大奥』では多い。例えば、田沼意次に招かれて大奥に来たオランダ人との混血児である青沼も、当初は大奥の人間から受け入れられず、初講義の日は誰も来なかった。
そういったゼロの状態から協力関係を築いていくのが、ともに漫画として面白いところで、ワクワクしながら読んだ。特に、衛兵隊では、後述するがオスカルとアランの関係が大好きで最後まで読ませる。

共通点2:学ぶことの重要性

身分を問わず…!?
なんて自由な若々しい熱気にみちた空気だ
ロザリーや黒い騎士のことさえなかったら
わたしも仲間にはいって議論にくわわりたくなってしまいそうだ
政治や経済や文学、演劇、音楽…
3巻p24(オスカルの言葉)

オスカルがオルレアン公のサロンを訪れたときの言葉だが、これは、そのまま学びの場として機能していた大奥に通じる。
そして何より重要なことは、このあとオスカルがサロンの若者からかけられる言葉にある。

古典もいいがよかったらジャン・ジャック・ルソーを読んでみたまえ
『人間不平等論』を知らないかい?
世界が貴族のためだけにあるんじゃないってことがよくわかるよきっと

新しいことを知ることで、これまでの縛られた考え方から自由になること。こうした学びが、フランス革命期の市民を動かし、幕末そして家斉の時代の蘭学者や医師たちを赤面疱瘡の撲滅にまい進させた。
学ぶことが、社会の前進に繋がっている。この描写は、それだけで胸を熱くさせる展開だ。社会人になってみれば「ブルシットジョブ」などと呼ばれる、あってもなくても変わらない雑務に多くの時間を割き、大学や義務教育課程でも、何のためなのか?と疑問を持ちながら勉強を続けることの多い現代日本から考えると羨ましい。

共通点3:政略結婚

ジャルジュ家にはあとつぎが必要だ
ぜひはやく強くかしこい男の子を産んでわたしを安心させてほしい
3巻p266(ジャルジュ将軍の言葉)

このようにオスカルの父ジャルジュ将軍が唐突に告げ、オスカルにも結婚話が持ち上がる。
しかも相手はかつて自分の部下だったジェローデル少佐。
このときのオスカルは弱っていて、一度はジェローデルに身を任せ唇を奪われることになるが、アンドレの存在を知りジェローデルは潔く身を引く。オスカルは、フェルゼンの時に見せたような気の迷い(女装してフェルゼンの気を引く)は断ち切り、軍神マルスの子として生きることを誓う。

そもそも序盤のフェルゼンの結婚や、ロザリー、ディアンヌ(アランの妹)の結婚など、当時の貴族社会では政略結婚が日常。
『大奥』の世界は、将軍家の話がメインなので、基本的に政略結婚か、将軍と大奥との関係しかないのだが、その上での恋愛が描かれる点が『ベルサイユのばら』とは異なる。例えば、家光と有功(お万の方)はその最たるもの。
ベルサイユのばら』では、基本的に「かなわぬ恋」がメインで、既に結婚した相手への愛慕の情が描かれることは少ない。その中では、ルイ16世が、フェルゼンとの関係を知った上で王妃への愛を語るシーンが最も『大奥』っぽい関係性だ。

でも…愛しているのだよ
いつもほったらかしにしておいたけど
わ…わたしが…もう少しスマートで美しくて…そしたら…
そしたら愛しているということばを
ひとことでもあなたにいえただろうに…
いえただろうに…!
3巻p206(ルイ16世の言葉)

ルイ16世のこの言葉は、フェルゼンとの不倫を告発する匿名の手紙を読んでショックを受けたあとに出てくるもので、少し辛い。ルイ16世がもう少し我が強いタイプだったら、国王処刑という結末は避けられたのかもしれない。

共通点4:幼い命を奪う病

オスカル、こんどぼくにピストルと銃をください(略)
でもその銃を肩にになえるほど大きくなるまで
生きてはいられないだろうけど…
4巻p18(ルイ・ジョゼフの言葉)

マリー・アントワネットルイ16世の間に生まれた王子ジョゼフ。
待望の第一子だったが病弱で、脊椎カリエスにかかり7歳で亡くなってしまう。このあたりは、大奥で言うと、綱吉の子や家治の子の話が重なる。
なお、ジョゼフの病床を移す際に、「貴族のガキ」と悪態をつくベルナール・シャトレ(黒い騎士)に、オスカルは「だが、子を思う親の心に貴族も平民もない」と反論する。そこの絶対原則を犯すキャラクター(徳川治済、家慶)が出てきてしまうのが、『大奥』という作品の怖いところではある。

共通点5:この人のためなら

ともに死ぬためにもどってまいりました…
あなたの忠実な騎士に
どうぞお手を…
5巻p45(フェルゼンの言葉)

スウェーデンの貴族でありながら、最後までマリー・アントワネットのために行動したフェルゼン。オスカルと違って実在の人物にもかかわらず、2度の脱走計画に直接手を貸し、さらには独房にいるマリー・アントワネットにもジャルジュ将軍(オスカル父)を通じて脱出を持ちかけるそのマンガみたいな行動選択に驚嘆。

ただ、物語としてやはり胸を熱く打たれるのは、相手に振り向いてもらえないことが分かっている恋。中でも衛兵隊のアランは、恋敵にあたるアンドレとの友情も含めて『ベルサイユのばら』で1,2を争う推しキャラだ。

お…まえも…か…
アラン…!
むくわれぬ愛にこれからじっと…
長いときのいとなみをたえるの…か…
4巻p122(強引にオスカルにキスするアランを引き剝がしたアンドレの言葉)

『大奥』のキャラクターにもこのタイプは多いが、後半では、家茂のために、自分の主義信条を度外視して働いた勝海舟や、田沼意次のことを最期まで思っていた平賀源内がこれに通じる。

相違点:『大奥』にはなくて『ベルばら』にあるもの

三部会がひらかれる
壮大なドラマがはじまる…
175年ぶりにフランスのすべての身分の代表があつまる
三部会がついにひらかれる…!!
4巻p30(オスカルの言葉)

18世紀のフランスと幕末の日本、新しい時代の幕開けを描きながら、 国王の処刑で終わる『ベルサイユのばら』に対して『大奥』では「王政復古」で終わるわけだからその方向性は180度異なる。
端的に言うと、『ベルサイユのばら』でメインで描かれる「市民革命」は『大奥』どころか、日本と縁がないものだ。
ベルサイユのばら』での政治的な枠組みの変化を書き出す。

  • 新税と借金に関する申し入れを却下した高等法院の判事を、国王と王妃が一度追放(1788年8月)するも、民衆の力に圧されて判事を元に戻す(1788年9月)3巻p260
  • 再度開かれた御前会議で、高等法院は、国王側の新税と借金の要望に対して三部会の開催を要求(1788年11月)
  • 国王が三部会の招集を布告(1789年1月)4巻p30
  • 三身分(平民)と第一・二身分(聖職者、貴族)との対立が深まる中、第三身分は一部の貴族・僧侶議員の合流に力を得て国民議会の成立を宣言(1789年6月)4巻p86
  • 会議場からの締め出しを食らった第三身分の議員たちは、球戯場に集まり、憲法制定まで国民議会を開催しないことを誓う(球戯場の誓い/ジュドポームの誓い/テニスコートの誓い:1789年6月)4巻p100
  • その後、スイス人連隊、ドイツ人騎兵連隊、フランス衛兵隊からなる2万の兵がパリに集結、市民は義勇軍を編成するなど対立は深まり、ついに衝突。国王軍から離反したフランス衛兵の一部(オスカル達)が民衆側についたこともあり、バスティーユが陥落(1789年7月14日)5巻p23
  • 国民議会が人権宣言*1を採択(1789年8月26日)5巻p38
  • (その後、ルイ16世マリー・アントワネットが処刑されるのは1793年)

このような後半の怒涛の流れを見ると、そして、ベルナール等、平民側に配置されたキャラクターの躍動を見ると、フランス革命が「市民革命」であることを強く感じる。
ベルサイユのばら』は、国民全体を巻き込んだ大きな流れの中で、貴族であるオスカルが国王を裏切り平民の側に立つという展開の妙、そしてオスカルとアンドレの恋愛と死。クライマックスにすべてが重なるから良い。オスカルの死後は読むのをやめてしまった、という人がいるのもわかる。


さて、1789年の三部会では代表を選挙で決定しているが、175年前の三部会でどのように代表を選んでいるのかはよくわからなかったがフランスの選挙の歴史はそれよりも古いものなのだろう。日本で初の選挙は1890年(明治23年)の衆議院議員選挙で、1789年の将軍は家斉。
市民革命どころか選挙ですら100年以上の差があるのだから、「お上意識」の強さはやはり日本の国民性ということだろうか。
2021年の今であっても、それは変わらないように思える。度重なる不明瞭なコロナ対策の中で五輪開催が強行されても、僕らは唯々諾々と従ってしまうのだろうか、と考える。
バスティーユ監獄にあたるものとして、スリランカ人女性が亡くなった名古屋出入国在留管理局あたりを襲撃するか…とか。*2

ベルサイユのばら』という物語が愛されるのは、「市民革命」という動きそのものが、日本人には成し得ないもので、潜在的に憧れを抱いているからなのではないかとさえ思う。
今後は、こうした諸外国の「市民」の運動や、日本人の「お上意識」や江戸時代の「市民」(農民や町人たち)の政治的行動についても関心を持って読書を進めたい。


なお、池田理代子作品は引き続き読んでいきたい。(歴史の勉強のために…)

オルフェウスの窓(1)

オルフェウスの窓(1)

聖徳太子(1)

聖徳太子(1)


また、フランス革命については、『ベルサイユのばら』ではオスカルと一度すれ違うナポレオンも気になるが、何度も登場して頭脳明晰な善人に見えるロベスピエールが、この後、恐怖政治を敷くことになるというのがイメージしにくいので、補完しておきたい。お、『第3のギデオン』という漫画もあるのか。

*1:この人権宣言の主体として女性は想定されていなかったという。

*2:入管法改正の話題や、入管施設の実態については、知れば知るほど怒りが湧いてきます。元々から問題があったのに、五輪開催を前にさらに恥の上塗りをするようで、国際的な観点からも恥ずかしさでいっぱいです。