Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

肖像画って面白い~佐藤賢一『フランス革命の肖像』


ベルサイユのばら』と『大奥』を読んで本当に良かったのは、歴史に興味が沸いたこと。
これまで、フランス革命に対する自分の認識は「非難爆発(1789)フランス革命」という年号語呂合わせのみで、何も興味関心を持っていなかった。江戸幕府については、それよりは関心はあったものの、あくまで多少。歴史好きの人からすると、不思議でしょうがないことなのだろうが、これまで歴史上の人物に、あまり「推し」や「ヒーロー」を作って来なかったことが大きい。(この辺はプロスポーツに対する姿勢に近く、プロ野球やサッカーも関心はあるが「推し」がいない)


さて、『ベルサイユのばら』で一気に関心の高まったフランス革命については、難しくなさそうな雰囲気に満ちた、この本を読んでみたが大正解だった。
というのも、タイトルこそ出ないものの、『ベルサイユのばら』と完全に地続きの内容だからだ。(いや、もちろんそれは逆で『ベルサイユのばら』自体がかなり歴史に忠実に作ってあるからこういうことが起きるのだろう。)


『ベルばら』読後は、マリー・アントワネットルイ16世は当然として、フェルゼンが実在の人物であることに驚いたが、この本を読むと、そのほかも漫画に名前が出てくるキャラクターは、ほとんどが実在の人物であることが分かる。
それだけでなく、おそらく池田理代子先生も、肖像画を見てキャラクターを造形したのだろう。肖像画を見ても見知った顔が多い。例えば重要キャラで言うとミラボーロベスピエール、ルソー、オルレアン公などがそうだし、ルイ16世も(一般的なイメージ通りということなのかもしれないが)肖像画にそっくりだ。


また、外見をあれこれ言いながら歴史を語る、ということで、そこはかとない「下世話」な感じが最高に楽しい。

  • その肖像を眺めれば、さすが成功した実業家だけに下ぶくれの福相ではあるのだが、どこか軽薄そう(ネッケル)p19
  • いくらか神経質そうな印象があるとはいえ、まずは美男の顔つきでもある。爽やかな風さえあるが、他面どこか胡散臭い。(ラ・ファイエット)p43
  • このエベールだが、肖像を眺めると、意外なくらいに普通である。(略)が、もうひとつ言葉を足すなら、老けている。(エベール)p110
  • ぎょろりとした目に鉤なりの鼻、尖り気味の口元が嘴を連想させるところなども、どこか鳥に、それも駝鳥に酷似している。(マラー)p113
  • 社交界でも幅を利かせ、数多の愛人も抱えた。まさしく我が世の春であり、さぞやニヤけているだろうと思いきや、バラスの肖像画の印象は意外に暗い。(バラス)p142

人物の「顔」をベースとして辿るだけで、苦手な歴史も一気に見通しが明るくなる。振り返って考えれば、歴史漫画の面白さもそこにあるのかもしれない。

ロベスピエール

さて、『ベルばら』を読んだあと、フランス革命のその後についてあれこれを読んで驚いたのは、ロベスピエールの恐怖政治だ。(これも常識的なことなのかもしれないが)
作品内では、あれほど利発な好青年風に描かれていたのに、まさかこの人が多くの政敵をギロチンにかけて粛清し独裁的な政治を敷いていたとは!と思ってしまっていた。ところが、ロベスピエール肖像画は(この本の表紙右上にある)、童顔で可愛らしく、外見は、まさに『ベルばら』通りの人であったようだ。

なるほど、ロベスピエールは普通の人生を許されなかった。政治の腐敗を嫌悪し、ストイックな政治姿勢で知られた「清廉の人」は、肉体的にも汚れを知らない童貞だったとの説がある。
肖像画に感じられる一種の可愛らしさ、裏腹に恐怖政治に発揮された攻撃性、それら相反する人格を同時に説明するワードこそ、童貞という成人男性としては珍しい状態だったのかもしれない。(略)死ぬまで、あるいは殺されるまで、純真な中学生のようでいなければならないならば、それ自体が常軌を逸した苦行なのだ。p126

これを読むと、ロべスピエールの恐怖政治が「清廉」「ストイック」「純真な中学生」そして「童貞」というキーワードで肖像画とつながってきて、単純に歴史参考書でロベスピエール=恐怖政治と覚えていたのと比べると深い理解ができた気がする。

デムーラン

デムーランも面白い。
本の中では若々しい肖像画と合わせて「自意識過剰なインテリ・ニート」(p52)という厳しいコメントがつけられているが、バスティーユ襲撃の際にパレ・ロワイヤルで群衆を扇動したことで知られるフランス革命の重要人物だ。
そして何より、彼こそ「黒い騎士」としても暗躍したベルナール・シャトレのモデルとなった人物だという。
さらに面白いのは、デムーランの結婚相手も歴史に名を残した女性(リュシル)であるということ。本の中には二人が赤ん坊を挟んで仲良さそうにしている肖像画も収められている。『ベルばら』でいうと、シャトレの妻はオスカルに最も愛された女性であるロザリーなので、肖像画の夫婦を見ると、そのことが思い出される。
検索すると、ミュージカルファンの方のブログに、この肖像画と合わせて、リュシルがどのような人物であったかが整理されている。『1789 -バスティーユの恋人たち-』というミュージカル作品にも登場するということで有名な人のようだ。

musicalstyle.net


ここにも書かれているように、結局この夫婦も、バスチーユのときは戦友だったロベスピエールにギロチン送りにされている。しかし、ベルナール・シャトレは、池田理代子がナポレオンを描いた漫画『栄光のナポレオン-エロイカ』にも登場するということで、別の人生を送っているのかもしれず、こちらも確認したい。


マリー・アントワネット

写真ではなく、肖像画ならではの面白さがあると気づかされたのはルイ16世の項とマリー・アントワネットの項だ。
ルイ16世が一般的に持たれている「愚鈍なイメージ」は、実は後期の肖像画のイメージが大きいという。特に、変装して一家でパリ脱出を企て、東部国境の都市で捕捉されてしまった「ヴァレンツェ事件」は王の権威を失墜させ、ヴァレンツェ以降に描かれた肖像画ほど、悪意が籠められ、どんどん「愚鈍なイメージ」が強くなっていく。
一方で、マリーアントワネットの肖像画には、悪意が感じられるものが少ないという。

晩年の姿と伝えられる肖像画があるが、これなどをみると若い頃の華やかさが嘘のように消えている。同時に軽薄な風もなくなり、かわりに人間としての深みを感じさせる。(略)おかしな言い方になるが、マリー・アントワネットは革命という「不幸」にこそ、人格を磨かれたのかもしれない。p79


思えば『ベルサイユのばら』の中でも、肖像画は、マリー・アントワネットが母マリア・テレジアに送って怒られたり、オスカルがロザリーに贈って喜ばれたりと色々な場面で「思い」を込めて使われている。そして、フランス革命直前に完成したオスカルの肖像画も、誇張が本人の本質を捉えるような作品になっている。
この本に出てくる『マラーの死』も、肖像画であり、かつ事件の決定的瞬間を撮ったスキャンダル写真のような特徴があるし、当時の肖像画には、当然のごとく写真よりも描き手の思いが反映されているのだろう。
そういう意味では、これらの肖像画は、『ベルサイユのばら』のような歴史漫画が絶対に真似できない「同時代を生きる描き手の思い」が込められているから強いのであり、そうか、美術作品の楽しみ方のひとつはそこにあるのだな、と今さらながら思い知らされた。


今回は美術にも興味を持てたので大満足。佐藤賢一さんには、『小説フランス革命』(文庫で全18巻)という大著があるが、美術的な観点でも興味を持ったこの流れで行くと、次に読むのはこちらかな。(漫画や小説にも興味ある作品が多数あるけど)