- 作者:池田 理代子
- 発売日: 1994/12/01
- メディア: 文庫
- 作者:池田 理代子
- 発売日: 1994/12/01
- メディア: 文庫
フランス革命について勉強するために…という名目で読み始めた『ベルサイユのばら』。
何故、これまでこの漫画を読んでいなかったのか…と頭を抱えてしまうほど面白い。
マンガとして
『ベルサイユのばら』の連載(マーガレット)は1972~1973年ということで、『ガラスの仮面』の連載開始(1976年)よりも4年前、『キャンディ・キャンディ』(1975~1979)と比べても3年前の作品ということになる。
当然のこととはいえ、『ベルばら』も巻が進むにつれ、絵柄が洗練されてきており、マリー・アントワネットの表情は、北島マヤや姫川亜弓とそっくりになっていく。このことから、『ベルサイユのばら』中盤以降で、業界全体として、標準的な「少女漫画的絵柄」のスタイルが確立していったのでは、と推測する。
なお、『ガラスの仮面』で有名な「白目」だが、『ベルばら』序盤では、図星だったり恐怖を感じたときの目の表現は「十字星(目がしいたけ)」や「白目を塗らない」、もしくは「画面全体のひび割れ」となっている。
1巻最終話の、ロザリーが初めて舞踏会に行く話で、母親が死んだことを知らされたジャンヌなど、複数回にわたって「白目」のシーンが登場する。また、2巻で、フェルゼンから結婚の話が進んでいるという話を受けたマリー・アントワネットも白目だ。(「目がしいたけ」との併用:下図)
しかし、マリー・アントワネットのフェルゼンへの想いを聴いたときのオスカルの様子など、ここぞという時には「十字星」だ。pixivでは、「目がしいたけ」と言うらしいこの表現は、自分にとってはうる星やつらの水乃小路兄妹の印象が強く、今も、あまり「驚き」の表現としては使われていないように思う。
史実として
冒頭で1755年に別々の国で生まれた「宿命的な3人」の説明がある。
その3人はオスカル、マリー・アントワネット、そしてフェルゼン。
知らなかったのは、マリー・アントワネットがオーストリア出身ということ。母親にあたる女帝マリア・テレジアの名は聞いたことがあったので、世界史履修者には当然のことなのかもしれないが、当時のオーストリアがフランスとならぶ強国であることが理解できた。また、作品内でも国民の彼女に向けた蔑称として頻繁に「オーストリア女」という言葉が出てくるが、確かに、王妃が外国から来た人であれば、そう呼ぶ人が多く出るのもわかる。
なお、フェルゼンはスウェーデンの貴族。ベルばらといえば、オスカルとアンドレなのに、ここで3人の名前の中にアンドレの名が挙がらないんだ!と最初は意外に思った。
ところで、マリー・アントワネットの夫、ルイ16世は、いちいち気になるキャラクターだ。特に、マリー・アントワネットがルイ16世と会ったときの第一印象が凄すぎて、驚く。
趣味が錠前づくりってどういうことだよ?というところも含めてこのあとが気になる。
フィクションとして
そもそも、どこまでがフィクションなのか分からないが、オスカルが架空の人物であることはわかる。
一方、実在の人物でありながら、自分にとって、あまりにも「パンがなければケーキを食べれば」の人という「悪」の印象が強いマリー・アントワネットのことを、彼女に仕えるオスカルがどう見ているか、ということが読む前から気になっていた。
ところが、この作品では、マリー・アントワネットの駄目さは存分に見せつつ、彼女の気高さ、純粋さ(「無知」の裏返し)と言った、魅力の部分を上手く引き立てることで、憎めない感じに仕立てている。
1巻中盤までは、前国王ルイ15世の愛妾であるデュ・バリー夫人との対立を示すことで、マリー・アントワネットの気高さを示す。ルイ15世が天然痘で亡くなり、18歳で王妃となってからの浪費ぶりは、そちらの道にそそのかしたポリニャック伯夫人を悪者に描き、フェルゼンと心を通わしてからポリニャック伯夫人と距離を置くことで、王妃は「目覚めた」という印象を持たせる。
そしてフェルゼン。この作品において、決して許されぬ恋でありながら相思相愛であるマリー・アントワネットと関係がありつつ、オスカルの想い人でもあるという、モテ過ぎる男フェルゼン。
オスカルとの関係は、序盤に、国の将来を考える同志としての側面が多く登場するからこそ、オスカルのフェルゼンへ の想いが抑えきれないシーンはどれも印象的。
「愛してもいないのに結婚するのか フェルゼン!!」
「では…… 愛していれば…… 愛してさえいれば結婚できるのか……?」
のシーン(2巻:ここもオスカルの目がしいたけ)以降、フェルゼンを想って何度もオスカルが涙を見せる。
- フェルゼンがアメリカ遠征軍(独立戦争)に志願することを伝えられるシーン
- ベルサイユ条約締結(独立戦争終了)後もフェルゼンの安否がわからず酒場で荒れるシーン
- フェルゼンが無事帰国を果た、オスカルの前に姿を現すシーン
- フェルゼンのマリー・アントワネットへの強い想いに「入れる隙間もないのか」と、その身を憂うシーン
- 一計を案じ、「伯爵夫人」に扮したオスカルが舞踏会でフェルゼンと踊ったあと、「これで、あきらめられる」と、突っ伏すシーン
読む前は、ここまで頻繁に「乙女」なオスカルが顔を出すとは思っていなかったので、とても意外で、かつ、一途なオスカルを応援したくなる。
しかし、このオスカルを想い慕う人が二人もいる。アンドレとロザリーだ。
ロザリーは、歴史上の事実である「首飾り事件」の首謀者であるジャンヌの妹に当たり、実はポリニャック伯夫人の娘という非常に上手い立ち位置。オスカルもロザリーのことを「自分が男だったら間違いなくお前を妻にする」とは言うが、フェルゼンと比べると思いは落ちる。(なお、大嫌いなポリニャック伯夫人の娘となることを決意し、オスカルのもとを去るロザリーに対して、自分の肖像画を贈るオスカルって…と、変な感じもする。)
そしてアンドレ。2巻までのアンドレは予想以上に目立たず、初登場シーンは「名無し」だ。フェルゼンの安否がわからずに荒れて眠ったオスカルを介抱してからの帰り道で、秘密でキスしたりしているが、このままだと、桜小路君的な位置づけに終わってしまうので心配だ。
2巻最後に「黒い騎士」の話になってから、表舞台に出るようになったので、3巻以降はアンドレの活躍に期待して読み進めたい。(3巻以降を読み進めると、アンドレの髪型は「黒い騎士」に似せてから確定している。メインキャラクターにもかかわらず、中盤まで髪型が確定していないキャラクターは珍しいのではないか?)