Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

アイドルが描く、アイドルの気持ち・ファンの気持ち~モモコグミカンパニー『御伽の国のみくる』


2作目の小説『悪魔のコーラス』が話題になっていたことから作者に興味が湧き、1作目『御伽の国のみくる』を読んだ。


作者のモモコグミカンパニーさんは元BiSHのメンバー。
BiSHは色んなところで取り上げられていたので名前だけ知ってはいたが、結局、今年6月の解散まで聴かずじまいだった。最近だと『水星の魔女』のエンディングで、アイナ・ジ・エンドの声を聴いて「フィロソフィーのダンス」の日向ハルだけじゃないんだ!ここまで特徴的な声で歌が上手いアイドルは!!」と感動したけれども、楽曲には手を出さず。
そんなときにBiSHに2作も小説を出す人がいたと知り、俄然興味が湧いたのだった。


で、感想だけど、これは面白い!
先日読んだ(同じアイドル出身の)松井玲奈『累々』は、頭で考えて作った巧さだと感じた。
見せ場を最も効果的に見せられるよう、登場人物、場面、タイミングをミステリ的、パズル的に組み合わせて出来ている。


それに対して、こちらは、「登場人物が自ら動き出してしまった」的な面白さで、あまり計算(テクニック的な部分)が感じられない。


そして何よりも、冒頭でアイドルの面接に落ち、アイドルを夢見つつメイド喫茶で苦労する主人公(中井友美=みくる)の小説を現役アイドルが書くという構造が刺激的過ぎて、目が離せなかった。
しかも、ダメ男を好きになり、絶対にダメなのに、返ってこないお金を貸してしまうという最悪パターン。よくある展開と言えばその通りだが、終わらせ方によっては、嫌味に感じられるかもしれない題材。そのリスクを取ってまで書きたかったテーマは、アイドルを続ける意味を再確認するような内容で、深く心に染みるものだった。
また、この小説の中では、2つのタイプのファンが出てきて、片方は断罪され、片方は感謝される。前者はアイドルの変化を許さず、自らも変わらない。後者は、アイドルも自らも成長することに喜びを覚える、と言ったところだろうか。
このあたりの、アイドルとファンの在り方についての話も、現役アイドルこそ書くべき内容だ。そういう意味では、松井玲奈『累々』と比べて、相当に「巧い」と言えるのかもしれない。


ただ、一般的な小説として見た場合、ここまで「この人なら信頼できる」という登場人物が出てこないのは、なかなか読んでいて辛い部分があった。
主人公が頼りないタイプなので、誰かに救ってほしい、と思いながら読んでいたが、結局、男性陣はほぼダメな人で、「いい人」扱いの「ひろやん」もはたから見れば「キモイおじさん」。
頼みの綱だった麻由子が、真にダメな人だったことが明らかになったときは本当にがっかりした。麻由子の行動の終始一貫していない部分は、この小説ではマイナスのように感じたが、もしかしたら、そういう女性がたくさんいる、ということなのか…。


負のオーラが全開になるクライマックスを経て数年後を描くエピローグでは、主人公の職場は介護施設に変わる。このエピローグは正味4ページという短い文章だが、上に書いたアイドルとファンの在り方の話も含めて本当に巧いまとめ方で舌を巻く。
この人が、アイドルを題材にしない小説を書いたらどうなるんだろう?という関心からも、最新小説『悪魔のコーラス』が気になったのでした。

「ここで働きたいなんて若者、珍しいねえ。 どうしてだね」
また、始まった。梶さんは散歩に行くといつも質問攻めにしてくるから気が抜けないのだ。
「んーと、人のためになりたかったんです」
「そんなしがない回答、求めちゃおらんよ。人間は、みーんな自分のために生きてるだろう? 違うかい?人のためになりたいなんて、わたしゃそんな奴はみんな、ほら吹きだと思ってるよ」
(略)
「人はみんな自分のために生きている。確かに、梶さんの言うとおりかもしれませんね。でも、誰かの生きがいになれたり、誰かのことを笑顔にできるのって素敵じゃないですか」
「どうしてそう思うんだね」
「うーん。前に、私のことを生きがいだって言ってくれた人がいました。その人は自分も大変な状況なのに、私のことをいつも瞳いっぱいに映してくれるような人でした。そのときは分からなかったんですけど、たぶん私、その人が瞳に映しだす自分の姿に、救われていたんです」
(エピローグより)

これから読む本

まずは『悪魔のコーラス』を読みたい。また、彼女によるBiSHヒストリー本ということで『目を合わせるということ』、そして何よりBiSHの楽曲を聴かないと。