Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

MIYADAI.com Blog

「あえてする日常へのコミットメント」へ──Mr.Children『シフクノオト』
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=89

ミスターチルドレンの特殊性について歌詞の面から解説し、新アルバムを紹介している文章だが、宮台真司の文章としては、非常に読みやすい。何のための文章として書かれたものか知らないが、エヴァンゲリオンなどの卑近な例を挙げていることもあり、ある程度レベルを落として、僕みたいな読者層に合わせた文章を書いているのかもしれない。
中身については、僕がかいつまんで説明するより、元の文章を読んで欲しい。

ただ、

こうした現在主流の「主語なし音楽」と比べれば、桜井の歌詞は、それがナルシスであろうがなかろうが、先の小林武史の台詞ではないが「桜井和寿という人間」に固有に帰属するものとして聞こえる。これは、現在の音楽シーンにおいて圧倒的に肯定されるべきだ。実際、昨年のオリコン・シングルチャート・ベスト20の歌詞を詳細に検討してみると、「固有の履歴を持つがゆえに固有の志向を持つ私」を描くものは、桜井和寿の病後復帰第一弾である24thシングル「HERO」(02.12.11)だけ。残りは全て「主語なし音楽」だ。

この部分は、ミスチル「のみ」を誉めすぎだと思う。チャートベスト20というくくりを外して考えれば、少し前よりは、「非」主語なし音楽は増えているはずだ。そもそも、「うざい」音楽が嫌いな大半が選んでいるチャートベスト20には、そういう曲は入りにくいと思う。

その結果、ナルシスチックな自己撞着を大きくブレイクスルーした。昨年の小脳梗塞でのダウンから半年後に「HERO」で復活した桜井は、「社会」に没入しきれないネガティビティから、あえてする日常肯定のポジティビティへと翻身し、一挙に深さを増したのだ。

ここら辺の流れは、1stから3rdアルバムに至るまでの中村一義の道筋をなぞった文章としても同じことが言えると思うがどうだろうか?
やや立ち位置が違うようにも感じるが、まさに宮台真司が主張している点で中村一義ミスチルは似ていると思う。
ミスチル嫌いが感じる「うざい」は中村一義本人がよく歌詞に使う「青い」。本人も自分の青さを自覚していながら、自身を前面に歌詞に出していく。僕としてはミスチルの歌詞はナルシスチックに過ぎると感じるときがあるが、中村一義の歌詞は、それよりはバランスが取れていると思う。一方で、「タガタメ」のような曲に代表されるように、バランスが悪いところがミスチルのよさかもしれないのだが。
いずれにしても、ミスチル新アルバムは明日発売。今日夕方には、多くの店に並ぶはずだ。実はいつもはミスチルのアルバムはスルーしてレンタルで済ませているのだが、今回は買ってみようと思う。