Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

Mr.Children『シフクノオト』

買っては見たものの、最初の4曲が素晴らしすぎて、他はあまり聴いていないのです。
特に「くるみ」「PADDLE」の歌詞が秀逸。(両方共に、NTTドコモのCMソング。)
「PADDLE」では、一番のサビで

もしかしたら今日は何も起こんないかも
でも 明日へとパドリング

と前向きながら、2番で

もしかしたら明日も何も起こんないかも

とちょっと悲観的。そしてラストで

もしかしたらずっと何も起こんないかも
でも 永遠のパドリング

と、何だか随分落ち込む歌なのだ。それが現実なのかもしれないけど、そこまで歌うのか?と戸惑う。

「くるみ」ではサビに

とはいえ暮らしの中で
今 動き出そうとしている
歯車のひとつにならなくてはなあ

と、また何だか随分と若さを感じない歌詞。すごく絶望が深い。

と、自分で思い浮かべた「絶望」という言葉から秋頃に読んだ宮台真司絶望から出発しよう』を思い出した。
この本の最終章で、宮台真司は、村上春樹を「絶望が足りない」と言って批判します。つまり、自分の置かれている絶望的な状況を直視し、認識してこそ、それから先が見えてくるのだ、村上春樹の小説(海辺のカフカ)にはそれがない、ということです。
この説明に沿った場合、この「PADDLE」「くるみ」は、絶望的な現状に対する認識のもとに、「いまここ」を頑張って生きていこうという覚悟の見える歌です。
少し前のミスチルの曲は、「矛盾だらけの現実社会」は歌っていたのですが、それでもやはりサビが大袈裟だったり、曖昧だったりして、自分がその現実社会の中で生きていくという覚悟を決めた歌は少なかったような気がするのです。そういう意味で、今回のアルバムは聞き応えがあります。

自分の好きなミュージシャンを振り返ってみると、絶望的な現状認識とは対極にある「ここではないどこか」を歌う人はあまりいない感じがします。
代表的なのがスガシカオですが、「PADDLE」「くるみ」に感じた違和感は、スガシカオのシングル曲「ぼくたちの日々」をはじめて聴いたときの感覚に近いものがあります。これも相当に絶望している曲で、「何故これがシングルなのか」と思ったものですが、こういう暗い現実を直視する姿勢からこそ現実的な「希望」を歌うことが出来るのかもしれません。陳腐な表現を使えば「リアル」ということになるのでしょうか?

5月発売のスガシカオのニューシングル『秘密』も意味ありげなタイトルで楽しみです。CMで流れている「やつらの足音のバラード」も入っているのことで、公式サイトでは一部視聴が可能のようですが、発売まで心待ちに待ってみます。