Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

オーソン・スコット・カード『消えた少年たち』上・下(ISBN:4150114536)★★★★

90年代ベスト1の名に恥じない、素晴らしい物語だった。ただ、「面白い小説が読みたい」ときに手に取る本としては、少し異質。
内容については、巻末の解説で北上次郎*1が書いてある通りだ。すなわち99%の家族小説と「書けない」残りの1%。僕は、結局、その1%が始まるところで涙を抑えきれない状況に陥り、ラストまでの数十頁を読むために途中駅で下車し、駅のベンチで読了したのだった。しかし、やはり、この本の真価は99%を占める家族小説のところにあり、1%は、それが凝縮された「オマケ」といえるかもしれない。
普通に考えると99:1の比はアンバランスである。(元々短編小説だったものを長編に伸ばしたからなのかもしれない)しかも、その99%の部分に、宗教的なスパイスがこれでもかこれでもかと言うほどに振りかけられているので、もしかしたら全く受け付けない人もいるだろう。しかし、まさに北上次郎の書くとおり、「これから結婚しようとしている人、既に結婚している人、幼い子供を持っている人、昔子供だった人、そういうすべての人に読んでほしい小説である」といえる。
 
ところで、前回、読了前の感想で、「役割」の話を書いた。なぜ書いたのかと思い出してみると、直前に、NHKETV特集(9/18)「子どもたちの"心の闇"を超えて」(http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html)での、子供たちの「役割」についての取り上げ方に、共感できる部分が多かったからだ。
特に、品川区小山台小学校の山崎隆夫教諭の話、指導方針は、どれも正しいと思えるものだった。山崎氏は、①子供たちに「群れ遊び」をさせること②子供たちの話を聞いてあげること、の二つが重要だと考えている。これは、近所での学年を超えた集団行動がなくなり、家と学校の往復の中で、現代の子供たちが「社会性」を獲得する場がなくなってきた(つまり、従来、子どもたちの「社会性」は、地域社会の中で育まれた)という現状認識に基づいている。したがって、学校の中で、積極的に「社会性」を獲得する為の仕組みをつくってやる必要がある、という考え方だ。また、②については、クラスの生徒全員の前で自分の意見を言わせる場面が放送されていたが、そうすることで、生徒の自立心を育てるという意味もあるのだろう。「社会性」と「自立」、双方が重要であるという指摘は非常に納得できるものであった。
 
現代の子供たちに多い、少数の仲間のみでの遊びの中では、自分の役割、自分(そして他人)が存在している意味を実感しにくい。一方で、「親−子」の関係の中での自分の「子供」としての役割が、バランスを崩して肥大化しているのが問題である。「親−子」以外の役割があった方が心のバランスを崩しにくいと思う。(例えば、兄弟姉妹関係も、オルタナティブになりうるはずだ。)
僕は、今の子供たちが、何故そこまで生きていることをつらいと感じるのか、束縛から自由になりたいと思いたがるのか、よくわからなかった。自分が子供だった頃と比較しても、暴力教師なんてほとんどいないようだし、受験戦争は(競争率の減少という意味で)むしろ和らいでいるはずだ。子供たちを縛る要因は昔よりも減っているように思える。
しかし、そうではなく、「親−子」の関係が強まりすぎていることがつらいことの一つの大きな原因であるのだろう。それ以外の役割を与えられれば、それによって「束縛」が増える部分もあるが、「逃げ道」ともなりうる。
 
話を『消えた少年たち』に戻すが、この本は、そういった「役割」について、いろいろと考えさせる物語だった。家族が皆、健気に、それぞれの立場で自分たちが何をすべきか考えている。それは、やや度を過ぎたところもあるかもしれないが、いろいろな場面で、自分に欠けている部分だ。
また、ETV特集と併せて考えると、親は、わが子が立派な人間になるために「立派な子供」であることを求めてはいけない。それよりも、数多くの「逃げ道」を与えて、「自分」について考えさせる機会を与えてやることが重要なのだ、と強く思った。

参考『消えた少年たち』読了前

*1:この人、やっぱり文章がうまい、というか僕好みの書評を書きます。『本の雑誌』等でおなじみの人。