Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

高木仁三郎『原発事故はなぜくりかえすのか』★★★★★

原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)

原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)

タイトルは反原発高木仁三郎氏も反原発で有名な人らしく、あとがきでは「反原発」をうたっているものの、この本自体にはそういうイデオロギー的なものは全くない。純粋に「技術者はどうあるべきか」について、主に原発事故を題材にして述べたものである。
僕は、このはてなダイアリー内で、読んだ本や音楽について、5つ星を満点として採点をしているのだが、「すごく良かった」というものには4つ半(★★★★☆)を与える。5つ星を与えるのは、自分の考え方や物の見方に強く影響を与えた、というときだけだ。その採点基準からすれば、(自分が公共事業に関連する職についているということもあるのだが)この本は、明らかに5つ星。赤ペンで重要な箇所を引くとしたら、かなりの頁が赤に染まりそうな本だ。
もちろん、この本自体が、高木仁三郎氏の遺作であることも迫力を増している一つの要因かもしれない。4章以降の畳み掛けるような展開は、後に残る人にこれだけは伝えたい、という強いメッセージ性が感じられる。身の引き締まる思いのする一冊。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、この本のタイトルは問いかけの形(原発事故はなぜくりかえすのか)を取っているが、その答えを自分なりに整理すると「技術者・技術が本来あるべき姿から離れてきている、という事故の根本的な原因に目をそむけて、形を取り繕うような対策ばかりがなされているから」ということになる。技術者の問題点については、原子力関係に限定して指摘されているが、例えば「原発」を「ダム」と置き換えれば、そのままダム技術者に喩えられるような汎用性を持った内容となっている。
頭の整理のため、章ごとにポイントをまとめる。その前に、本の目次を並べる。

1 議論なし、批判なし、思想なし
2 押しつけられた運命共同体
3 放射能を知らない原子力屋さん
4 個人の中に見る「公」のなさ
5 自己検証のなさ
6 隠蔽から改ざんへ
7 技術者像の変貌
8 技術の向かうべきところ

高木氏は、もともと化学系の技術者として、原子力関係の会社に勤めていた*1ことがあり、自分が原子力業界に身を置いてきた経験が土台にあるのが、本書が説得力を持つ理由のひとつだ。
1章では、そのときの経験から感じた原子力業界全体の問題点を挙げている。内容はタイトルどおりなので特に触れない。
2章では、議論や思想が生まれにくかった原因として、原子力産業導入の歴史について説明がある。日本の原子力開発というのは、1954年に中曽根康弘が無理矢理予算を取り付けて強引に始めてしまった産業であり、生まれた経緯からしても、思想や文化が育ちにくい状況にあったという。
3章は、化学屋から見た物理屋の無神経さを説く。ここの章は、一見「非主流のひがみ」のような話にもなっているが、7章の内容にもつながる、作者の考え方の根本にある部分だ。つまり、現場を知らずに計算だけで済ませてしまうことの怖さについてである。そして、技術というのは、扱っている人間自体が、危険をどう回避するか、というような根本的なことを肌で感じて理解し、積み重ねた上に成り立つものだ、という考え方であり、自分の普段の仕事ぶり*2を考えると非常に耳が痛い。
(長いので、一回ここで区切る)

*1:日本原子力事業。退社後、東大原子核研究所、都立大を経て、反原発の活動を始める

*2:自分のやっている仕事は、計画系の仕事であり、軽視しているわけではないですが、現場に行く機会が少ないのです。