Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

「一発屋」という言い方に不信感を覚えるワケ

最近以下のようなページを見た。

お笑いだけでなく、音楽などでも「一発屋」などの表現は使われるが、単純に、こういう物言いには反発を覚える。この文章に何故反発を覚えるかを考えた結果、以下の2点に集約されると判断した。
一つ目は、「自分自身」の興味・関心と「不特定多数」(一般大衆)のそれとの区別が付いていない文章(もしくは前者の分析が無い文章)だからである。僕自身の好みを言えば、ここで例に挙げられている「テツandトモ」と「はなわ」は評価が逆だし、毒舌ネタはあまり好きではないが、長井秀和なんかは、見るたびに、研究熱心な人なんだなあと感心する。「不特定多数」の興味・関心の分析が必要なのはテレビ関係者などの、いわゆるマーケティングの部分であり、それは芸の面白さとは直接的には無関係である。僕が好きな「評論」系の文章は、萩原健太など、自分の好みを前面に出すタイプの人の文章なので、筆者の好みが全く出てこない文章には不信感が湧く。・・・というか、(この文章を書いている人はそうではないと思いますが)「自分が面白いと思えることは何か」よりも「来年、誰が消えているか」に興味が行ってしまう人、というのは可哀想だと思う。
反発を覚える二つ目の理由は「一発屋」とか「終わった」「消えた」の類の物言いは「不適切」な表現だと思うからだ。勿論、芸人への尊敬の念に欠ける=偉そうな表現ということもある。(当然のことながら、自分も常に「尊敬」しながらテレビを見ているわけではない。)しかし、それだけではない。
例えばKAN。「一発屋」という表現でKANを思い出す人も多いかも知れないが、当然、音楽活動は続けており、ファンも多い。別に「消えて」いないし「終わって」いない。単純に、自分の狭い世界認識では捉えきれなくなっただけである。「一発屋」などと楽しそうに語る人は、世の中のことは全て「テレビ」の中で起きていると勘違いしている人だろう。
例えば、飲み会の席などで音楽の話になって*1オリジナル・ラヴの名前を挙げたときに「まだいたの」と言われるとがっかりする。「いる」に決まっているし、売れる売れないに関わらず、大半のミュージシャンは、どこかで音楽活動を続けるだろう*2から「終わらない」。これが「最近名前を聞かない」という返答なら、似た表現でも全く意味は違う。「わきまえた人」だなあ、と逆に感心する。
一時期は、一億総評論家時代などという言葉もよく使われた。僕がこの場で書いている駄文も一種の評論かもしれない。そうである以上、上のような理由で反発を覚えるような文章は書きたくない。これまで以上に表現に注意していきたい。

*1:基本的に音楽の話にはならないし、僕自身持ち出さないが、年に一回くらいは、そういう機会もある。

*2:お笑いとは少し違うと思う。例えば、ラブ・タンバリンズの二人は、 「girl it's U」名義で復活しましたよね。http://homepage.mac.com/peach_dub/giu.html