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天笠啓祐『バイオ燃料−畑でつくるエネルギー』

バイオ燃料―畑でつくるエネルギー

バイオ燃料―畑でつくるエネルギー

タイトル通り、2006年頃からブーム的な動きを見せ、現在の食料品高騰の原因の一端を担っているバイオ燃料に関する本。
基本的な内容を一通りおさらいしながら、その問題点に迫る内容。
知っている人には今更のことであるが、特にでんぷん質の作物の非効率性については勉強になった。

トウモロコシは、二酸化炭素削減にほとんど寄与しない

バイオ燃料の種類は大きく3つあり、そのうちのバイオエタノールの原料は3種類に分かれる。

  • バイオディーゼル:原料は菜種、大豆、アブラヤシ。(軽油の代替)
  • バイオメタノール:水溶性で毒性が高いため、開発は頓挫。
  • バイオエタノール
    • 原料1:でんぷん質の作物(トウモロコシ、小麦、米、ジャガイモ)
    • 原料2:糖質の作物(サトウキビ、テンサイ)
    • 原料3:セルロース系(建築廃材、樹木、ワラ、紙、笹、竹などの繊維)

このうち、トウモロコシのようなでんぷん質の作物は、二酸化炭素削減にほとんど寄与しない、という。(P114)
すなわち、トウモロコシの場合、1リットルの化石燃料を使用して製造されるバイオエタノールは多くても1.5リットルだという。

対して、ブラジルにおけるサトウキビの場合は7.6リットル程度とされており、大きな差がある。

これは、

原料→(1)原料の粉砕(2)酵素を加えて糖化(3)酵母を加えて発酵(4)蒸留→バイオエタノール

という過程のうち、糖質の作物は(2)糖化の工程が不要になるからである。(P34)

ただし、上の1.1、1.5という数字は、バラつきがあり、見方も分かれるようで、例えばWikipediaの記述は1.34という数字を出し、バイオエタノール燃料による効果を評価するかたちになっている。*1

バイオマスエタノールを燃焼して得られるエネルギーよりもエタノールを生産する過程で投入されるエネルギーの方が大きい可能性がある。別の自然エネルギーや化石エネルギーを使ってまでバイオマスエタノールにエネルギー源を変換する必要があるかどうかを検討しなければならない。

トウモロコシを原料とするバイオマスエタノールの場合、2002年7月に公表された米国農務省の報告書によればエネルギー収支は1.34とされている。すなわち、エタノール生産に投入されたエネルギーの熱量を1とすると、生産されたエタノールの熱量はその1.34倍になるということである。これに対し、ガソリンのエネルギー収支は0.74程度とされているので、トウモロコシを原料としてエタノールを生産すると効率性が8割程度向上するということもできる。

国連大学の安井至教授の2007年7月の記事では、1.3という数字を、ほとんどガソリン車と変わらないという評価を示している・

さまざまなデータが出されている。例えば、米国環境保護局の研究者が出したデータによれば、1という化石燃料を投入した場合に、得られるバイオエタノールのエネルギー量を次のように推定している。

 米国でトウモロコシを原料として作ったエタノール1.3で、ガソリンをそのまま使った場合とほとんど変わらない。すなわち、エネルギー的にあまり意味は無い。それに比較すれば、ブラジルでサトウキビから作るエタノールは、かなりエネルギーのゲインがある。

National Geographicの2007年10月号記事でも、トウモロコシのエネルギー効率を疑問視している。

 ここで重要なのは、これはあくまで「理論上」の話だという点だ。米国のバイオ燃料は現状だと、農家や農業関連の巨大企業には大きな利益をもたらしても、環境にはあまり良い影響を与えない。トウモロコシの栽培には大量の除草剤と窒素肥料が使われるし、土壌の浸食を起こしやすい。しかも、エタノールを生産する工程で、得られたエタノールで代替できるのと大差ない量の化石燃料が必要になる。大豆を原料とするバイオディーゼル燃料のエネルギー効率も、それより少しましな程度だ。また、米国では土壌と野生生物の保全のために畑の周辺の土地約1400万ヘクタールが休閑地になっているが、バイオ燃料ブームでトウモロコシと大豆の価格が上がれば、この休閑地までも耕作され、土壌に蓄積されているCO2が大気中に放出されるのではないかと環境保護派は懸念している。

第二世代バイオ燃料の問題点

ということで、糖質の作物に比べると、でんぷん質の作物によるバイオエタノールについては、評判が悪いというのが現状のようだ。
また、食料と燃料の競合という意味では、でんぷん質、糖質の作物ともに問題があるため、第二世代バイオ燃料として本命視されているのが、セルロース質のバイオ燃料であるという。この場合、セルロースの分解の効率化が課題となる。ここで作者が問題視しているのは、課題解決のための技術開発の主役が遺伝子組換え技術であることについてである。
遺伝子組換え技術の問題点としては、(1)食べ物の安全性を脅かす(2)環境に大きな影響を与える(3)特定の企業(モンサント社など)によって種子が独占されることが挙げられているが、やや、説得性に欠ける気がする。個人的には、遺伝子組換え技術の問題点について、十分理解できていない部分がある(使った方がいいんじゃないの的感覚がある)ので、もう少し知りたかったところだ。*2

解決策としては・・・

最終章で作者の主張する、地球の将来に向けた環境政策は「小規模な自然エネルギーを基調とした社会」であり、主旨については十分理解できる。
しかし、具体的な中身については、やはり説得力に欠ける。
例えば、風力、太陽光などの自然エネルギーと合わせて、廃食用油などの回収・リサイクルを行う菜の花ネットワークプロジェクトなどの取り組みを以下のように評価している

こうした地域レベルの小規模な取り組みは、品質のばらつき、回収の手間、機械購入費用などの面で、採算をとるのはむずかしいが、積極的に評価できる。しかし、国や大企業が乗り出し、規模を拡大して採算を求め出すと、性格は一変する。環境破壊型の事業になり、原料の途上国からの輸入につながり、人々の食糧を脅かす存在になるのだ。(P52)

ここで、採算が取れないことを認めながら、それを全く問題視しないのは気持ちが悪い。一地域の問題であるならまだしも、地球全体のことを話すからには、採算性が重要な因子になるのは明白なはずだ。
これに関しては、先日読んだ、大前研一のコラムでの環境保護論者への批判があてはまるので以下に引用する。自分は、ここまで辛辣に批判する気はないが、地球環境問題が深刻になるにつれ、環境保護の議論には、よりシビアな論理展開が必要になって来ていると感じる。この本はためになったが、最終的な結論には、それが欠けていたと思う。

最後に、食料価格の問題と関連して環境保護論者について触れておきたい。

 彼らはいつも「風車がいい」とか「太陽光発電はクリーンだ」「地熱発電は素晴らしい」「バイオエネルギーがいい」などと主張する。しかし今回の食料品高騰の影響で明らかになったように、本当にそういう代替エネルギー必要十分条件を満たしているのかどうかを、彼らは本気で検討しているのだろうか。わたしはいつも疑問に思う。

 風力発電は、技術的には一応確立している。しかし、それでどこまで必要な電力が賄えるのか。環境に関しても風車が林立する光景を見れば、少なくとも視覚的には意見の分かれるところであるし、鳥などの死骸が散乱している光景を見れば自然との調和には疑問符がつく。おそらく平らな農地が多いデンマークあたりの10%くらいの供給が限度ではないかと思われる。

 太陽光発電もそうだ。たしかにクリーンなエネルギーではある。しかし東京に必要な電力を太陽光発電で賄おうとしたら、(仮に光電変換の効率が 40%になったとしても)東京都全体を発電パネルで覆っても間に合わないのだ。せいぜい年間日照日の多い地域における補助エネルギー止まりであろう。

 また、遠隔地に作れば送電ロスの問題がバカにならない。設備の建設で消費されるエネルギーは、いつになったら償却するのか。施設の維持コストはどれくらいかかるのか。

 わたしは環境保護そのものに異論はないが、こうした大局的な見方をしないまま“クリーンエネルギー”を推進しようとする勢力に対しては強い疑念を抱く。

 クリーンエネルギーが環境にはいいのは明らかだし、今後も研究開発を続けていく重要性もわたしは理解している。しかし現状では「まだまだ」なのだ。環境にもよくて、人々の生活に必要な電力をすべて賄えるようなマジックはいまだ存在しない。また太陽光をエネルギーに転換する化石燃料バイオ燃料、光電パネルなどよりも、(アインシュタインの『E=mc2』を用いて)質量をエネルギーに変える原子力の方が格段に環境に優しいし、生態系との取り合いにもならないことを理解すべきなのだ。

 この明々白々な事実を直視せず、やれ「風力だ」それ「太陽だ」と主張する人たちを見ると、わたしは「ああ、彼らは人命より環境が大切なのだな」と皮肉の一つも言いたくなるのだ。

*1:同列に評価できる数字なのか分からっていない部分もあります

*2:例えば、日経新聞08/3/30のサイエンス欄では「改良樹木で荒れ地再生」との見出しで、遺伝子組換えポプラを「温暖化ガス削減の大きな切り札」として紹介している