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自分の中に潜むヤンキー的感性〜原田裕規 編著『ラッセンとは何だったのか?』

ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」

ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」

日本人から最も愛され、疎まれたラッセンについて、その作品をどう評価するかを現代美術の課題として捉え、多くの人の論考を集めた本。
全部を読んだわけではないのだが、ラッセンをヤンキーと結びつけた大野左紀子の文章*1が興味深かった。

独特のけばけばしさと“スピリチュアル”な雰囲気が同居したラッセンの「イルカの絵」は日本では、アート、サブカル系にもオタクカルチャーにも完全には同化できない最大多数派=ヤンキーのメンタリティにフィットした。そっくりの絵がシャコタンやデコトラにペイントされているのを見て、私は増々そう確信した。そうしたラッセン人気が現代美術の世界でほぼ無視されていたのは、ラッセンが純粋芸術から見てより”下位”のインテリア・アートにカテゴライズされていたからだけではなく、それを受容する美意識が、アート方面から見ればアートを理解しない/できない「田舎者」=ヤンキーの美意識であり、そんな美意識に支持された”アート”が現代美術などをはるかに凌駕して人気となり、日本で一大マーケットを形成していること自体を、どこかで「恥ずかしいこと」と看破していたからである。この「恥」の感覚は、自分の中にも微量のヤンキー的感性が潜んでいるかもしれないという自覚によって、より一層強いものになる。p92

これは自分の感覚からすると、まさにその通りで強く共感。
なお、2011年4月に欧米人として初めて被災地にチャリティー訪問するなど、東日本大震災以降の活動で評価されていることは初耳。



また、ラッセンについて検索すると、2年前に奈良美智が、ラッセンと同じグループに入れるなと激怒した話が出てくる。ここら辺も面白いです。

*1:もともとは大野さん本人のブログ記事を再構成したもので、ブログ記事はこちら>ラッセンとは何の恥部だったのか