Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

伊藤潤二の方程式(1)「意図しない変化」

伊藤潤二の作品は、一時期、文庫形式の『恐怖博物館』シリーズで(単行本を持っていなかった)後半部分のものを集めた一方で、初期に単行本として揃えていたハロウィンコミックスのものは引越のタイミングで手放してしまっていた。
最近になって欠けていた2冊をブ〇クオフで発見し、シリーズをコンプリートすることができた。
そこで、久しぶりに初期の作品を読んだら、あまりの完成度の高さに改めて衝撃を受けたので、伊藤潤二の漫画の面白さのエッセンスをいくつかに分け、「恐怖博物館」シリーズの収録作品紹介と合わせて整理しておこうと考えた。
今回はその一回目にあたる。


まず紹介するのは『恐怖博物館(3)屋根裏の長い髪』で収録作品は以下の通り。

  • バイオハウス
  • 顔泥棒
  • 睡魔の部屋
  • 悪魔の理論
  • シナリオどおりの恋
  • リ・アニメーターの剣
  • 父の心
  • 耐えがたい迷路
  • サイレンの村
  • いじめっ娘
  • 脱走兵のいる家


伊藤潤二の漫画は姿形の変化をテーマにしたものが多い。
これに関連して、楳図かずおは著書の中で、自分の作品のテーマの一つとして「変身」と「改造」を挙げている。

自分が自分でなくなってしまうということは僕の恐怖の源泉の一つだ。
それには内側から変わってしまう“変身”と
外側から変えられてしまう“改造”がある。
『恐怖への招待』P17


ここで言われている「変身」は、実際には「成長」と裏表にあり、楳図かずお作品でよく扱われる「子どもと大人」までを含んだ広いものだ。そして、伊藤潤二の作品には、この視点はあまりない。
一方で、「改造」、別の言い方でいえば「意図しない(歓迎しない)変化」は、伊藤潤二の多くの作品のテーマとなっている。


この巻に収録されている「顔泥棒」はそのパターンの一つ。被った仮面(お面)が顔から離れなくなるという設定は楳図漫画を筆頭に数多くのバリエーションがあるが、この話は、”近くにいる人に顔が似てきてしまう”という登場人物の体質がポイントになり、ラストの「意図しない(歓迎しない)変化」で怖がらせる。
自分が「顔泥棒」を好きなのは、顔泥棒本人の怖さを、「絵」で見せつけるところ。いつの間にか顔の半分が他人の顔に似てきているという微妙な変化を、説得力と恐ろしさを持って描けるのは漫画家の中でも限られるように思う。
また、ラストで「どちらが悪なのか」がブレるところも納得度が高い。恐怖の中に一抹の孤独感を感じさせる富江シリーズに共通するところの多い、初期の傑作の一つだと思う。


同じ「意図しない(歓迎しない)変化」でも、もっとダイナミックな変化としては、大傑作「サイレンの村」が挙げられる。

「…さあ…わかっただろう
早く縄をおほどき
早くしないと 翼が生えてしまうよ
京一…」

という台詞のあと、主人公の母親が姿を変えていく様子は、何度見ても禍々しい。美女が変化するパターンよりも、このような、見た目が素朴なおばさんの姿が変わってしまう、というのが恐怖を引き起こす。
そしてこの話は、伊藤潤二の王道である「全く解決しないラスト」よりもレベルが上がり、「終末の予感」に満ちたラストとなっている。


一方で、ダイナミックではないが、まさに「人が変わったような」変化という意味で「父の心」が素晴らしい。
突然、態度が豹変し、目つきが変わり、口調が乱暴になる小学生の美保ちゃんの秘密に迫る内容で、造形は似ていてもトキとアミバのように表情・人格が全く変わってしまうキャラクターの描き分けが巧い。
また、間延びする部分が全くないほか、伊藤潤二の著作には珍しく、ハッピーエンドを感じさせる終わり方で、構成的には一番巧いかもしれない。


そして”アイデア勝負”の「睡魔の部屋」。発想だけだとギャグ漫画なのだが、丁寧な絵を通じていくらでも恐怖を感じさせるものになり得る、という、伊藤潤二漫画の特徴がよく現れていると思う。
圧倒的な絵の巧さで、どんなシチュエーションもホラー漫画として描き切ってしまうというのは本当に驚くべきところ。うちの奥さんは、伊藤潤二作品はギャグ漫画と思って読んでいる、と言っているが、そういう読み方もあるのかも、と思ってしまう。


なお、恐怖博物館シリーズは、現在、伊藤潤二傑作集と名前とサイズを変えて出版されているようです。『恐怖博物館(3)屋根裏の長い髪』と同内容のものはこちら↓

伊藤潤二傑作集 5 脱走兵のいる家 (ASAHI COMICS)

伊藤潤二傑作集 5 脱走兵のいる家 (ASAHI COMICS)