Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

説得力ある言葉の数々〜日野原重明『十歳のきみへ−九十五歳のわたしから』

十歳のきみへ―九十五歳のわたしから

十歳のきみへ―九十五歳のわたしから

よう太は4月に11歳になってしまったのだけど、前から気になっていたこの本を図書館で見かけて、急いで読ませた。
内容的にはひねったところはなく、ストレートに、8年前の(95歳の)日野原重明さんが「十歳のきみへ」伝えたいメッセージから成っている。目次は以下の通り。

詩/ぼくが十歳だった時のこと
1 寿命ってなに?
2 人間はすごい
3 十歳だったころのわたし
4 家族のなかで育まれるもの
5 きみに託したいこと


よう太に感想を聞いてみると「すこし難しかった」とのことだったので、自分も読んでみたが、十歳向けとはいえ、読ませるところの多い本だった。やはり重ねた年齢の量もあり、言うことの重みが違う。
特に1章、2章は、この人だからこそ心に響く言葉に満ちている。

わたしが自分の長寿をありがたいと思い、うれしいと感じている理由は、だんだんゆたかになって、便利になっていく時代を味わうことができたからではありません。
その最大の理由は、「あのときのあれは失敗だったなあ」と思うことをもう一度やり直して、わたしの人生のあちこちにできたやぶれめをつくろって強くしたり、あるいは新しいことに次々にチャレンジして、わたしの人生にさらにみがきをかける時間をたっぷりもらえたからです。p31

わたしがイメージする寿命とは、手持ち時間をけずっていくというのとはまるで反対に、寿命という大きなからっぽのうつわのなかに、せいいっぱい生きた一瞬一瞬をつめこんでいくイメージです。p32

時間というものは、止まることなくつねに流れています。けれども時間というのは、ただのいれものにすぎません。そこにきみが何をつめこむかで、時間の中身、つまり時間の質が決まります。きみがきみらしく、生き生きと過ごせば、その時間はまるできみに「いのち」をふきこまれたように生きてくるのです。p35

人間ってすごいものだなあとわたしが心から思うことは、人間には思いやりの心というものがあって、見も知らない人のためにも自分の時間を使えるというところなのです。そんなことは動物にはできません。人間だけにできることです。(略)だから、人間であることを味わいつくさなきゃ、それこそ損だと思いますよ。p49

今日きみが失敗して、みんなに笑われてなみだをこぼした体験は、いつか友だちが失敗したときに、その気持ちをだれよりもわかってあげられるためのレッスンなのかもしれません。
今日きみがほめられたときに味わった、晴れやかな、ほこらしい気分は、きみがもっと大きなことに勇気をもってチャレンジするための準備運動みたいなものかもしれません。p69


3章は自らの性格の話と音楽の話。
エピソード的な部分としては、幼少のころよりピアノに親しみ、大学の一年間を結核で寝たきりで過ごしたときに、音楽に救われたことや、その当時、誘いもあり、医師をやめて音楽の道に進もうと考えていたという話が印象に残った。


4章は、家族、挨拶、わけあうことの大切さについて。ここまでは、非常に納得しながら読むことができる。


しかし、平和について書かれた5章。この章は、テーマが壮大であることもあり、非常に実現が難しい内容。論法としても、自分たちが果たせなかったことを子どもたちに叶えて欲しいという、見方によっては、無責任ともとれる説明の仕方。ただ、怒涛の1〜2章があるので、これも素直に読むことができた。平和を実現するために子どもの教育に力を入れて行きたいという気持ちはとても伝わってきた。
以下、見出し文を繋げていく。

  • 想像する力が弱くなることがいちばんこわいことです。
  • 相手にこぶしをふりあげるのを、ちょっと待ってください。
  • 争いの根っこにあるにくしみの感情。それをコントロールできるのは自分だけです。
  • にくい相手をゆるす。その勇気で、争いを終わらせることができます。
  • たがいにゆるし合っていける世界を、きみたちが実現してください。
  • 「知る」ということをもっと大事にしてください。


よう太が「すこし難しかった」と答えたのは、特に5章の部分があったからかもしれない。また、肝の部分である1〜2章の部分は、少し観念的でこちらの方が難しかったのかもしれない。いずれにしても、年長者の言うことに耳を傾け、理解した上で、自ら判断できるような子どもに育ってほしい。
勿論、挨拶や思いやりの心など、日々の生活の中で親が手本を示し、身に付けさせるべきこともまだまだあるだろう。自分も、日野原重明さんのように、自分の人生に磨きをかけ、人生という空っぽの器の中身の質を上げて行きたい、と気持ちを新たにしたのでした。

補足

最近はどうしているのかとHPを見ると、去年の夏に大動脈の異常が見つかったものの、その後も元気にお過ごしのようです。

さらに驚くことがありました。3か月前、私が名誉院長をしている聖路加国際病院の新しいコンピューター断層撮影(CT)で検査を受けたところ、大動脈弁狭窄(きょうさく)症があり、弁が普通の3分の1しか開かないことが分かりました。私は100歳を超えているので、心臓手術は危険と判断され、今は車椅子の生活を余儀なくしています。
 それでも、車椅子を使えば、飛行機や新幹線でどこへでも行けます。空港や駅から自動車に乗り移り、会場に行き、1時間の講演を行っても少しも疲れません。それゆえ私は健康に見えますが、体内を覗(のぞ)くと、胸膜炎の後遺症があり、大動脈弁狭窄症があります。いろいろな欠陥を持ちながら、幅広い活動をし、まもなく103歳の誕生日を迎えます。


関連してWikipediaを見ましたが、よど号ハイジャック事件に関するくだりがかなり強烈でした。

内科部長時代の1970年3月31日、福岡で行われる日本内科学会総会へ出席のために搭乗した旅客機にてよど号ハイジャック事件に遭遇し、人質となった。日本初のハイジャック事件ということもあり、犯行グループが「この飛行機は我々がハイジャックした」という犯行声明に対し、「ハイジャック」の意味を知らなかった日本人乗客の為に自ら手を挙げ、「ハイジャックとは飛行機を乗っ取って乗客を人質にすることです」と機内で説明している。高齢のため福岡で下ろされた虎の門病院院長の沖中重雄とは異なり、韓国の金浦空港で下ろされ解放された。ハイジャック中に犯人グループから人質へ本が提供されたが、応じたのは日野原だけで、『カラマーゾフの兄弟』を借りたという。

参考(日野原重明さんを取り上げた過去の日記)

日野原重明さんを明確に認識したのは、このとき見たサンデープロジェクトだったようです。「毎日2時就寝/6時半起床で週に一度は徹夜をする94歳」というのは、ずっと持っているこの人のイメージです。

→61歳でも若々しい田中宥久子さんに関連して年齢の話題で日野原重明のインタビューを引用しています。「新しいことへの挑戦を続ければ、体は老いても心の若さは続くのだ」というのは、やはりこの人が言うからこそ響く至言です。

→このときは日野原重明さん出演のラジオ深夜便のカセットテープの話題を枕にしていますが、この内容も良かった。ここで日野原重明さんが取り上げた日航ジャンボ機墜落事故の犠牲者、河口博次さんの遺書の話は今でもたびたび思い出す(というか、飛行機に乗るたび思い出す)話です。