Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

中島歌子が伝えたかったもの〜朝井まかて『恋歌』

恋歌 (講談社文庫)

恋歌 (講談社文庫)

久しぶりの歴史小説
2014年に冲方丁天地明察』(上)(下)を読んで以来だが、今回は、少しきっかけが変わっている。
少し前に「変わったミステリ」が読みたいと思って、本好きの意見を募ったときに、「古野まほろ」を紹介してくれる方がいた。結局そのときは岡嶋二人クラインの壺』を読んで「変なミステリ」衝動は収まったのだが、何となく名前が気になっていた。
考えてみると、気になった理由は「漢字姓+かな名」に、「沼田まほかる」という強烈な先達がいたからだと思うのだが、「古野まほろ」という名前は全く憶えていなかった。名前を分からないので、普通だったら探さないのだが、冊数に限りのある地元図書館でそのことを思い出したので、ひたすら「漢字姓+かな名」を探したのだった。そこで行き当たったのが「朝井まかて」。「沼田まほかる」的な名前なので、この人かもしれない(笑)と、手に取った本が、この『恋歌(れんか)』だった。
タイトルを見た時点で、ミステリっぽくないのは分かっていたが、幕末から明治にかけての物語と知り、さらに興味が失せる。しかし、直木賞受賞作というところが何とかフックになって、この本を借りることにした。自分は書店ではこういう衝動買いをしないので、その意味では、図書館だからこそ読めた本ということが出来るかもしれない。


さて、読み始めてみると、樋口一葉の師・中島歌子について書かれた本、という以外に全く内容を知らなかったのが功を奏したのか、全370頁をストレスなく読了することができた。
とはいえ、中盤に向けては、途中でストップしてしまうのではないかと不安になったことも確かだ。
主人公である登世(中島歌子)が、小石川にある池田屋を出て、水戸藩の侍に嫁ぐまでの話こそ面白かったものの、それ以降は尊王攘夷に動こうとする水戸藩天狗党と、党内で意見の異なる諸生党の内部でのいざこざのみ。話がどこに向かっているのかよくわからなかったのだ。


熱中して読んだのは、話が一気にキナ臭くなる200頁を過ぎたあたりからである。
おそらく日本史や幕末に詳しければ、安政の大獄(戊午の大獄)、桜田門外の変から天狗党の乱に繋がる水戸藩の動きについては分かっていてもおかしくなかっただろうが、自分は全く知らない。
突如、それまで作中で議論ばかりしていた藤田小四郎が筑波山で蜂起し、以降、軍勢は膨れ上がるが、さすがに読んでいる方もこれが上手くいくとは思わない。
あっという間に天狗党は「朝敵」とされ、登世ら天狗党の侍の妻子は、牢獄に入れられてしまう。牢獄での生活は凄惨極まりない。(350人が斬首されたという、この赤沼牢屋敷跡は、今では茨城の心霊スポットとなっているらしい)
そんな中、やっとのことで、牢獄を出ることを許された登世が、義妹のてつと歩き出すシーンは感動的だ。

「いいえ、逃げるんじゃないわ」
てつ殿の手を引き、固く握りしめた。
「生きるのよ。一緒に」
私たちは、青き草の上へと踏み出した。p305


その後、水戸から江戸に戻った登世は、歌の修業をして中島歌子と名乗り、「萩の舎」を開塾する。
この物語は、このような中島歌子の半生を、「萩の舎」で育った花圃と澄が、手記として読むという形式で進んでいく。そして、中島歌子(登世)が、いかに夫(林忠左衛門以徳)のことを愛していたかが、第6章のラストで、死後何年も経つ夫に向けて読んだ歌に凝縮されて表れている。弟子が師匠の知られざる過去を知ったこのタイミングで話が終わっても区切りはいい。

恋することを教えたのはあなたなのだから、どうかお願いです、忘れ方も教えてください。

君にこそ恋しきふしは習ひつれ さらば忘るることもをしへよ


しかし、『恋歌』は、ラスト30ページで、登場人物についての意外な事実と、手記が書かれた理由が明かされ、エンタメ度も非常に高い作品になっている。


物語の構成については、大矢博子さんによる文庫解説が非常に上手くまとまっている。

その「伝える」ということが、本書のテーマなのである。あの幕末の動乱の中で、多くの男たちが死んだ。生き残った女たちは、それを抱えて生き、生命を継ぎ、伝えていく。あなたたちの今は、これだけ多くの犠牲の上に立っているのだと、あの血塗られた日々があってこその今なのだと、伝えていく。名も残せず男たちが死んでいった、その喪失を抱えて女たちは生きた、それを伝えることの積み重ねで歴史はできているのだと。
歌子が門下生に伝えた…という物語を描くことで、朝井まかては読者に「伝えて」いるのだ。歌子が明治の娘たちに伝えたかった歴史は、そのまま今につながっているのだということを。本書は、構造そのものに著者の思いが込められているのである。


歌子の手記の凄いところは、あの赤沼牢獄の酷い経験があったにもかかわらず、復讐の連鎖を終わらせることを望んだところにある。夫に向けて歌った「恋歌」は、平和への祈りを含んでいるのだ。(実際には、本当にすごいのは、資料や彼女の残した歌から、このようなストーリーを構築した朝井まかてなのだが。)
「伝えることの積み重ねで歴史はできている」のは確かだが、そのときに伝えるのは「事実」や「知識」だけではない。確かに、教科書的内容は「事実」や「知識」で組み立てられているのかもしれないが、人づてに伝えていくべき、もっと大切なことは、平和への祈りであり、平和だからこそ享受できる恋愛や生きる喜びなのだろう。
徳川慶喜ら幕末の重要人物にも興味が湧いたし、これまであまり意識しなかった水戸藩について興味を持つことが出来たという意味でも、良かった。もっと歴史小説や歴史に関する本を読んで知識を広げていきたい。


なお、天狗党に関する本はいくつかあるようだが、マンガはないのかと調べてみたら、黒田硫黄の著作が引っかかる。水戸藩とは無関係で、天狗に関係する話のようだが、こちらも面白そう。