難病ALSは安楽死する人さえいる過酷な病。そして、患者さんが何より恐れているのは、コミュニケーションが閉ざされて永遠に孤独になること。オリィくん(吉藤健太朗さんのニックネーム)は、患者を殺すのは病気じゃなくて、孤立させられることだって知っている。だから、患者さんを放っておけないんだなって思っています。
ノンフィクション作家 川口有美子
良い本。
何よりカッコよすぎるタイトル。
この「カッコつけた」タイトルが、自身の半生を描いた本の内容と完全に一致しているのがすごいと思う。
あまりにその生き様がカッコよすぎて、「死ぬこと以外かすり傷」という感じの、単に自己プロデュース能力に長けているだけの人なんじゃないか?自分は騙されているのでではないか?と不安に思うほど。
吉藤さんは、高校3年生のときに、世界最大の高校生の科学大会「Intel ISEF」で3位の栄冠に輝くが、海外の同世代のファイナリスト達が雑談時に「俺の研究は人生そのものさ」「俺はこの研究をするためにこの世に生を享けて、そして死ぬ瞬間まで研究する予定だ」などと話すのを聞きショックを受ける。
当時のテーマだった電脳車椅子の開発が、死ぬまで研究を続けたいことだと思えなかったからだ。
そこで改めて、自分の本当にやりたいことを考えた結果、不登校だった小学生時代や、車椅子ユーザーの高齢者との対話の中から、こう考えるようになる。
「孤独」を解消することに、私は残りの人生をすべて使おう。*1p140
これが高校3年生の頃の話で、それ以降、吉藤さんの研究、そして、高専、大学でのサークル活動などが、すべて、この一点に向けて収束していくことが、自分には眩しすぎる。
ロボットの問題は、人間の問題
元々、ロボット研究に興味を持ったのは、本人そっくりのアンドロイドがいることで有名な石黒浩さんの本で「心とは、観察する側の問題である」という言葉を見たことがきっかけ。人工知能の研究が進むなど、ロボット研究は「ロボットの頭をよくすること」に主眼が置かれてきたのだと思っていたが、そうではない。
例えば、CommUは、言葉の聞き取り・理解能力を上げるよりも、「いかに自然に対話しているように感じさせるか」に重きを置いた結果、複数のロボットで機能する特殊な形態をとる。*2つまり受け取る側の人間の問題なのだ。
吉藤さんは大学で、ロボット研究のために、パントマイムを学ぶのだが、その理由について同様のことを言っている。
どんなにテクノロジーが最先端で優れていても「違和感」を感じさせてはならない。重要なことは人が”どう感じるか”である。
ロボットをつくるうえで重要なことは、大学で制御工学を学ぶことではなく、どのような制御をし、それを見た人に、”どんな想像をさせるか”が本質だ。
(略)
何もない場所に、あたかも何かあるように感じさせる技術は何かと考えた結果、私はパントマイムサークルに所属して、身体表現を学ぶことにした。
p182
その後、大学3年生から「分身ロボット」の製作が始まるのだが、その意図については次のように書かれている。
コンセプトは「心の車椅子」。車椅子を使っても、距離が遠かったり病気などで身体を運ぶことができなかったりする人が、本当にそこに行っているような感覚を味わえるようにするにはどうすればいいのか。3年半の不登校時代に自分がほしかったものは何かを考え、もうひとつの身体、「分身」をつくることを考えた。
p195
この結果として、表紙で彼が手に持っている「OriHime」ができる。
しかし、遠く離れた場所にいる人が、OriHimeの視界をリアルタイムで見て、その場にいる人の声を聴き、話ができることの意味が、最初自分にはわからなかった。
スマホで同じことが十分可能ではないかと考えたのだ。
これについて吉藤さんは、引きこもりだった療養中に、友人に電話をかけたときのエピソードを例に出す。電話越しに、楽しそうな笑い声が聞こえ、嬉しくなった直後にこう言われてショックを受けたという。
「体調大丈夫か?すまん、いま友達らと花火大会に来てるから、電話は切るわ!じゃあな!」
そのとき私が強く思ったのは(略)
「電話やテレビ電話は、伝えたい用事のあるときには適したツールだが、そこに自分が参加することを許されるツールではない。そして、自分がそこにいなくても参加しているように周りに扱ってもらえるツールはこの世に存在していない」ということだった。
p37
生きることは
その後、実際にOriHimeを製作してからが本当にすごいところで、第6章のタイトル「必要な人に広がる分身ロボット~使う人たちと一緒に未来をつくる~」の通り、あくまでユーザーと一緒になってよりよい分身ロボットを目指していく様子が感動的だ。
例えば、4歳のときに交通事故で頚髄損傷のために首から下の感覚を失い、青森で寝たきりの生活を20年以上続けている番田さんを秘書として雇い、OriHimeの一番のユーザになってもらう話。
また、冒頭に、ALSの母親を支えた川口有美子さんの言葉を挙げたが、うなずくことさえできないALS患者の方も、目の動きでPCを操作することで、ロボットがうなずいたり手を上げるというような身体表現を取り戻すことができる。
現場重視で、とにかく人とのつながりを大切にする吉藤さんの姿勢は、とにかくカッコいいの一言に尽きるのに、エピローグがダメ押しで含蓄のある言葉が束ねられ、読んでいるこちらとしては、何もないのに謝りたくなるレベルだ。
彼は、ALS患者さんらと「生きるとは?」ということを語り合う中で次の結論に至る。
「生きることは、人の役に立つこと」
ALS患者の立場から出てきたこの言葉はとても重い。
高齢者や困っている人に手を差し出すことで、喜んでもらえたり、感謝されたりすることもあるが、しかしそのとき、助けた相手は嬉しい顔の裏で苦しんでいることもあるのだ。
以下、エピローグから長く引用する。
感謝は集めてしまってはならない。送りすぎてしまってもいけない。
何かをしてもらって「ありがとう」と言ったら、次は何かをしてあげて、「ありがとう」と言ってもらえる、つまり”循環”が人の心を健康にする。
私がつくりたいのはロボットではない。
「その人が、そこにいる」という価値だ。
たとえベッドから動けずとも、意識がある限り人は”人の間”社会の中にある。私がつくりたいものは、あらゆる状態でも、人に何かをしてあげられる自由。人から遠慮なく受けとることができる”普通”を享受できる自由、そこにいてもいいと思えること。普通の、社会への参加である。人は、誰かに必要とされたい。
必要としてくれる人がいて、必要とする人がいる限り、人は生きていける。それが私がOriHimeの開発を通して多くの人と出会い、今考えている孤独を解消する答えである。p262
ダメだ、思考が深くてカッコよすぎる。
ただ、一方で、両親から「実家の半径10キロ以内で着たら親子の縁を切る!」と言われたという、自作の「黒い白衣」などの変人エピソードや、友達ゼロだった高専生活の話をはじめとする「人づき合い苦手」エピソードの数々など、笑ってしまうような話も多く、人間味を感じさせるところは多い。
奈良県立野外活動センターでのキャンプ補助員としての説明の極意(p170)や、キャンプファイヤーでの盛り上げ方の話もとても興味深い内容で、読みどころは本当に多い。
何度も読みたくなる、そして、自分に活を入れたくなる、そして誰にでもオススメできる一冊でした。
*1:なお、孤独の定義としては”孤独とは「周りに人がいない、自分は一人ぼっちで辛い」と自分が思ってしまう状況にある”としている。この辺の問題設定も曖昧さを極力減らしていて素晴らしい。
*2:CommUについては例えばこちらの記事→世界初、NTTが雑談できる対話AIを開発 ロボットと自然な会話が可能に | 財経新聞