Yondaful Days!

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神奈川県or武蔵県or多摩県だった可能性も~梅田定宏『なぜ多摩は東京都となったか』

以前、東京都の歴史を調べたとき、23区が生まれる過程についてとても面白く読んだ。ただ、他の本も同じだが、「東京」のことを書いてある本には、多摩地域のことが載っていないことが多いことが、23区「外」在住の都民としては、とても残念だった。

そんなときに、図書館でとても良さそうな本が!


出版元の「けやき出版」は、「欅坂」とか「ひらがなけやき」とかとは無関係で、多摩地域に密着した出版社で、この本は1993年にけやきブックレットの本として出ている。


さて本題だが、読んでいて面白かったのは、三多摩は、独立だけでなく、神奈川県とのつながりが強い地域であったということ。
また、毎年のように色々な案が出ており、何かのバランスが変わっていれば、今とは全く違う状況(埼玉県?神奈川県?横浜都を除く神奈川との合同県?)もあり得たということ。


以下に歴史を整理する。
なお、北多摩、南多摩、西多摩という呼称は、多摩地域に住んでいても馴染みがないが、ざっくり多摩川以南が南多摩郡。瑞穂町、日の出町、檜原村奥多摩町西多摩郡。残りは北多摩郡

  • 1871年廃藩置県三多摩は、一度、入間県(のち埼玉県)への編入が決定されたあと、神奈川県へ管轄が変更。この頃、三多摩は「横浜」とのつながりが強かったため。
  • 1886年東京府知事・警視総監の連名で西北多摩二郡の東京府編入を上申。移管理由は飲料水(玉川上水)の確保であり、水道会社構想とセットの案であるが故に、水源地・玉川上水と無関係な南多摩は含まれず。
  • 1889年。甲武鉄道(中央線)開通。東京都の経済的関係が強くなることで移管推進派が増加。
  • 1889年、1892年。衆議院第1回、第2回総選挙。政府側の「選挙干渉」に反対する三多摩自由党*1は知事の解任を求め、県知事は東京都に移管を内申。
  • 1892年。東京府知事三多摩移管を上申。
  • 1893年。政府案として「東京府神奈川県境域変更法律案」が提出。(三多摩東京府へ移管する案)反対もあったがすぐに成立。

⇒このあとは、現在大阪で行われているような「都制」への移行に際して、三多摩の位置づけをどうするか色々な案が出る。

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  • 1922年。東京市が独自案「帝都制案」を提出。都政区域は隣接五郡までとし、三多摩を神奈川県に復帰させる案。
  • この頃、五郡を除く「武蔵県」の県庁所在地として、織物工業の盛んだった八王子に県庁を置く案が盛り上がる。
  • 1923年。内務省が新たな「東京都制案」を発表。都政区域は隣接五郡までとし、三多摩を「多摩県」として独立させる案。

⇒「多摩県」構想は、反対が多数だったが、賛成する立場からは立川を県庁とする案で盛り上がる。
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  • 1925年。三多摩の強い反対のため、内務省案は議会への提案が見送られる。
  • 1930年。東京市議会視察団との会談で三多摩側は都制への編入を主張するも、すげない回答。この頃、横浜が「横浜都」として神奈川県から独立後に、神奈川県の郡部と三多摩で新県を設立(八王子が県庁)という案が盛り上がる。なお、このときの八王子のライバルは平塚町。
  • 1932年。三多摩は反対したが、東京市の市域拡張(隣接五郡まで)が実施、「大東京」誕生。
  • 1933年。政府が改めて「東京都制案」(三多摩編入案)を提案するも一度流れる。
  • 1935年。自治権拡張を図ろうとする区議会が政府案を推し、三多摩と運動の連合を図る「東京都制促進同盟」を結成。
  • 1938年。内務省東京都制要綱を発表。三多摩編入、都長官選、区の自治権否定。各団体の目的とのずれから三多摩と区議会の促進同盟は分裂。

ー1941年。太平洋戦争開始。首都防衛体制の強化という観点から都制成立が急がれるように。


東京都制の議論は三多摩編入と合わせて都長の官選か公選かも大きな論点になっていたが、それは省略した。
歴史を通して読んでみて、三多摩の中で何度か「県庁」案が出た八王子市の特別な位置づけや、区部との結びつきについて、玉川上水と中央線がある意味が大きいということが改めてよくわかる。
逆に、一宮があり、武蔵国国府だったはずの府中市は、三多摩編入の話ではほとんど名前が挙がることがなく、そのあたりにも興味が沸いた。
なお、隣接五郡を含む「武蔵県」構想で、県庁として挙がったのは新宿。当時は新宿も渋谷も豊多摩郡で、「大東京」前の東京市には入らず、郡部だったというのは、やはり面白い。


普段走るマラソンコースは、北多摩、南多摩そして川崎市を走ることが多い。いわゆる「神奈川県町田市」問題も含めて、県境がどのように決まっているかというあたりも少し勉強していきたい。

*1:三多摩自治を主張した自由民権運動のメッカとして知られ、五日市憲法が生まれた土壌