Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

栗村修さんの名解説とともに~近藤史恵『サヴァイヴ』

ツール・ド・フランスジロ・デ・イタリア)については、Amazonプライム経由で見られるデイリーハイライトと関連番組を見ているが、その時に出てくる解説でも特に好きなのは、栗村修さん。
元選手とは思えない軽々しいトークとダジャレが素晴らしい。
どう考えてもダジャレとして失敗していると思う「業務スーパー*1も一生懸命解説していて、その滑りっぷりも見ていて気持ちが良かった。*2
技術論自体の良しあしは判断できないが、わかりやすく、熱のこもった解説がスポーツ観戦の魅力を倍増させる。(これは栗村修さんに限らないが)


そんな栗村さんが解説で(笑いを封印して)真顔で激推ししている『サヴァイヴ』は間違いなく面白いに決まっている。
小説のリアリティの高さについて、次のように栗村さんはいう。

この小説の特徴的な部分、それは、国内で活動する日本人選手たちの心までも、恐ろしいほど適格に捉えているところである。
(略)
また、日本のロードレース界が、近年世界レベルに近付いている現在の状況は、過去にチャレンジを繰り返してきた先人たちの努力の結果であることも、きちんと書かれている。
努力すること、チャレンジすること、そして、何度でも立ち上がれるということ。現在の日本の社会が忘れかけている、人が生きることの本質を、自転車ロードレースというスポーツを通じて表現した作品として私はこの本を読んだ。
(略)
ギリギリの世界で生きる者たちの心は、鋼のように強く、そしてガラスのように脆い。著者の洞察力は、そんな彼らの心を完璧に捉えている。

まさにそうした日本における課題を題材にした短編「ゴールよりももっと遠く」あたりは、自身の海外での選手経験、その後の自転車ロードレース界への献身を考えると、特に重なる部分が多かったのではと思う。
文章としてもとても読みやすい解説で、著書(入門本)もいくつかあるようなので、本も読んでみたい。


『サヴァイヴ』

サクリファイス』『エデン』に続く、シリーズ第三作。
あらすじを引っ張ってこようとしたら、単行本と文庫本であらすじが全く違う。
文庫の方はわかりやすいが、単行本の方が概念的ながらも、うまく本筋を捉えている気がする。

単行本あらすじ

他人の勝利のために犠牲になる喜びも、常に追われる勝者の絶望も、きっと誰にも理解できない。ペダルをまわし続ける、俺たち以外には―。日本・フランス・ポルトガルを走り抜け、瞬間の駆け引きが交錯する。ゴールの先に、スピードの果てに、彼らは何を失い何を得るのか。

文庫版あらすじ

団体戦略が勝敗を決する自転車ロードレースにおいて、協調性ゼロの天才ルーキー石尾。ベテラン赤城は彼の才能に嫉妬しながらも、一度は諦めたヨーロッパ進出の夢を彼に託した。その時、石尾が漕ぎ出した前代未聞の戦略とは──(「プロトンの中の孤独」)。エースの孤独、アシストの犠牲、ドーピングと故障への恐怖。『サクリファイス』シリーズに秘められた感涙必至の全六編。

「感涙必至」かどうかは分からないが、前2作と違って、『サヴァイヴ』は短編集。語り手が短編ごとに異なり、それぞれの主な登場人物と語り手(●)とレース(/のあと)は以下の通り。

  • 「老ビプネンの腹の中」:●白石誓とミッコ・コルホネン/パリ・ルーベ
  • 「スピードの果て」:●伊庭和実/世界選手権(ニース)
  • プロトンの中の孤独」:●赤城直輝と石尾豪、久米/北海道ステージレース
  • レミング」:●赤城直輝と石尾豪、安西/沖縄ツアー
  • 「ゴールよりももっと遠く」:●赤城直輝と石尾豪/九字ヶ岳ワンデーレース
  • 「トウラーダ」:●白石誓とパオロ、アマリア、ルイス/ツール・ド・フランス試走


チカが主人公でないものは、シリーズではやや隅に追いやられたキャラクターにスポットが当たるのが嬉しい。
特に、チカと同年齢で才能あふれるスプリンターの伊庭の内面が見られる「スピードの果て」が面白かった。
作者の近藤史恵はこの短編集を、ミステリー色を薄めた、「ノンフィクション」に近い作品と説明している。

サクリファイス』は言ってみれば、いちばんフィクションとしての意味合いが強いとも言えます。そのため「その前段までのリアリティーと比べるとラストは出来過ぎじゃないか」と違和感を持った読者もいたかもしれないんです。でも私自身は、あれはあれでタイトルの意味を浮かび上がらせるために書きたかったことでもありますし、小説として考えるなら気に入っているんです。
けれど私自身も、もっとロードレースのリアルな舞台を再現したようなもの、ミステリー色を薄めてノンフィクションに近い作品も書いてみたかったので、こうした短編集が書けてよかったです。
【B.J.インタビュー】近藤史恵 ロードレース・シリーズ最新刊『サヴァイヴ』【Book Japan】

確かに、短編であることで、物語のツイストが減るが、ノンフィクションに近いか、というと、それとも違う気がする。むしろ心理描写がさらに深まった上で、短編であることを言い訳に、辻褄合わせを気にせず「投げっぱなし」にしているのが特徴で、これはこれでキレが良い。
さて、近藤史恵さんは、ここで「ノンフィクション」と言う言葉を使っているが、今回、色々とネットを見ていて驚いたのは、ほとんど取材をせずに小説を書いているということ。
『キアズマ』の時のインタビューから抜粋する。

── 描写についてお尋ねします。読んでいると風圧の壁、風が汗を飛ばしていく爽快感、速度など実感が湧くのは取材の結果でしょうか。

近藤  申し訳ないことに、私は体質として取材をしない書き手なんです(笑)。ただ、私もポタリング程度で自転車に乗りまして、しんどい時や気持ちのいい時があるので、そこからプロの走行を推察しています。レースの観戦はしますがテレビで見る方が好きですし(笑)、聞くと書けなくなるので選手に取材もしません。
2013年7月号掲載 著者との60分 『キアズマ』の近藤史恵さん


元選手である栗村さんの視点からもリアリティの高さに太鼓判をもらっているのに、取材なし(ということは、観戦しているファンの目線のまま)というのは本当に驚いた。
収録作で言えば、オートバイの事故を目撃してから伊庭が初めてスピードに対して恐怖感を覚えるようになる「スピードの果て」と言う作品。
確かに自転車レースを見ていると、一歩間違えば大事故につながりかねない中で、どうしてここまでスピードを出せるのか、と不思議に思う。そこは、作品に書かなかったとしても、実際の選手に取材したくなってしまうはずなのに、あえて取材せずに書く、というのは、本当に驚きだ。


ラストの「トウラーダ」はポルトガルでの闘牛を意味する。
ホームステイ先の夫婦に誘われて闘牛を見たチカが、それをきっかけに一週間寝込んでしまう話で、レースの話はあまり出てこない。
闘牛を見て、自身を牛に重ね合わせて見てしまうという発想は、選手への取材を中心に組み立てたら出てこないアイデアなのかもしれないと思う。
作家の想像力の凄さを久々に感じさせられた作品とインタビューだった。


ということで、ツール・ド・フランスの後半に期待しつつ、第4作『スティグマータ』を読み進めよう。


*1:コフィディス所属のギヨーム・マルタンから作ったダジャレ。調べると「実践型哲学者」と呼ばれ、著作も2冊ある選手だ。すごい!https://www.jsports.co.jp/cycle/about/pickup_2022/Guillaume_MARTIN/

*2:サッシャさんと一緒にM1に挑戦するらしい。大丈夫なのだろうか...https://lineblog.me/sascha/archives/8484034.html