Amazonのおすすめでこの本の存在を知り、何より(京王線沿線の駅名でもある)芦花公園という作家名に惹かれて、夢中になって一気に読み終えたのが2週間くらい前。
実はその時の印象はあまり良くなかった。
ただ、今回、時間が経ってから改めてラストや各話をピンポイントで読み返してみると、「これはかなり良い本では?」となった。
あらすじは以下の通り。
「今回ここに書き起こしたものには全て奇妙な符合が見られる。読者の皆さんとこの感覚を共有したい」――大学病院勤めの「私」の趣味は、怪談の収集だ。知人のメール、民俗学者の手記、インタビューの文字起こし。それらが徐々に一つの線でつながっていった先に、私は何を見たか!? 「怖すぎて眠れない」と悲鳴が起きたドキュメント・ホラー小説。
初読時の低評価の原因は、気持ちの盛り上がり方と物語の展開がシンクロしなかったことに尽きる。
この本は、解説で書評家・朝宮運河の書く通り、複数の書簡や手記によって長編を構成し、「ひとつの映画をバラバラに見せられているような感覚」を味わえるメタフィクション的なホラーということになる。
だから、すべてが収束する、ということはないということが前提のはずなのだ。
それなのに、最終章に思わせぶりに人物相関図が出てきたり、巻頭にも意味ありげに家系図が示されていることから、無駄に「謎が全て解ける」大団円を期待してしまったので、ラストは放り投げられた感じになった。
しかも、「うまく決まった感」のあるラストにいやらしさを感じ、何となくコレジャナイ感ばかりが先行する読後感になってしまった。
同じホラー小説で言うと、澤村伊智『恐怖小説 キリカ』を読み終えたときの「大満足」感と興奮には遠く及ばない。
ただ、ひとつひとつの話は読みやすく、それぞれの話の登場人物もキャラが立っていて魅力的。
要は、自分のラストに向けての気持ちの盛り上げ方が「間違っていた」ということなのかもしれない。
その意味では、もう少し類書を読むと慣れて「正しい」気持ちの盛り上げ方ができるようになるのかもしれない。
そんな自分にとって、先にも引用した朝宮運河の解説は、良いブックガイドになっている。
複数の書簡や手記によって長編を構成する手法を取る小説としては、以下が挙げられている。(え、ドラキュラもそうなの…。)
ノンフィクションに近いスタイルで書かれている小説(近年のホラー小説では比較的よくみられる手法)としては、以下が挙げられている。(残穢はさすがにそろそろ読みたい…)
また芦花公園『異端の祝祭』は、実話テイストの『ほねがらみ』と対照的にキャラクターを立てたエンタメ色の強い作風で「和製ミッドサマー」として話題を呼んだ作品で続編も出ているということで、こちらも興味をそそられる。
なお、解説は以下のような言葉で締められている。
本作はそんな新世代ホラーの旗手・芦花公園の原点として、今 後も読み継がれていくはずである。鈴木光司の『リング』から三十年、三津田信三の『ホラー作家の棲む家』 から二十年後に誕生した日本ホラー小説の重要作を、ぜひじっくりと味わっていただきたい。
「はじめに」でも芦花公園自身がフェイバリットな作家として挙げている三津田信三は、これまで全く知らなかったので、優先的に読んでみたい。