Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

村田作品に触れる意味~村田沙耶香『丸の内魔法少女ミラクリーナ』

4編から成る中編集ということになるが、収録順に、「丸の内魔法少女ラクリーナ」、「秘密の花園」を読み、3話目の「無性教室」の途中まで読んで、「あれ、これは自分の思っている村田沙耶香に、とても似てるけど、どこか違う?」と思ってしまった。
個人の好みの話で恐縮だが、『PARADE』(7thアルバム)あたりで、「あれ、スガシカオのひねくれ度が減った気がする。スガシカオ、幸せになったか?」と勝手に感じ取ってしまったことを思い出した。


村田沙耶香作品は、これまで7~8冊ほど読んでいるが、共通して、SF一歩手前の特殊設定をギミックにしながら、「ふつう」とされるものについて「それでいいの?」「それは本当はおかしいんじゃないの?」と問いかけてくるのが自分にとって魅力だった。
しかし、今回、特殊設定は分かりやすいが、ヒリヒリするような「問いかけ」成分が減ったような気がしたのだ。今作で言えば特殊設定は以下。

  • 「丸の内魔法少女ラクリーナ」:小学校時代から続ける魔法少女ごっこを(心の中では)今も続ける30代OLの話。
  • 秘密の花園」:初恋の同級生男子をひょんなことから自宅に監禁することになった大学生女子の話。
  • 「無性教室」:性別を禁止され、短パン、短髪、一人称は「僕」が規則づけられた高校における恋愛の話。
  • 「変容」:若者を中心に「怒り」という感情が失われつつある社会で、それになじめない40歳主婦の抵抗。

はっきり言って、どれも村田沙耶香っぽいじゃないか。
でも、今回、少なくとも冒頭2作は、何か問いかけられているのかが理解できなかったのだ。


そんなときは文庫解説を読むに限る。
今回は藤野可織さんが、わかりやすい読み解きをされていて、これを読んで「秘密の花園」は、まさに村田沙耶香ど真ん中だったのだと気がついた。

秘密の花園」はミラクリーナとは打って変わって、子ども時代の魔法を捨てて新しい魔法を獲得しようとする二十歳そこそこの女の子の物語だ。ここで検証されているのはなによりも性的な行為にまつわる「生理的嫌悪」であり、それから性愛を介して結びつく男女のあいだに生じる権力差だと思う。その権力差にはさまざまなパターンがあるだろうが、どれもがステレオタイプな男女観と無関係でいられない。 「生理的嫌悪」と、おそらくこの先、私たちがいくら是正しようと努力しても完全に拭い去ることはできないであろう男女間の権力差。

読み直せば、そうとしか読めなかった。
村田沙耶香にハマった時期は、女性的視点で読む本が多くシンクロ率が高い状態でその作品にあたっていた気がする。その意味では、今の自分にはその成分が薄れているのだろう。


これと似たことを先日経験した。
映画『怪物』の終盤で、ある登場人物が「幸せ」について語るが、(鑑賞中は自分はピンと来なかった)そのセリフに泣いてしまった人の感想を聞いたのだ。
このセリフの重要性は、パンフレットの解説を読んで納得はしたが、聞いてすぐに「刺さる」ほどの力は「今の自分にとっては」無かった。


人によって捉え方が違うよね、というだけの話ではあるのだが、作品のテーマや重要なセリフを受け止められないのはとても残念だし、その「鈍い感性」は、そのまま誰かを傷つける無神経な発言に繋がるかもしれない。
日常的に多様な人と話をしていれば避けられることなのかもしれないが、そういう環境にはない自分にとって、村田沙耶香の(のみならず、色々な純文学作家の)小説を読むことは、自分のアンテナを磨く意味を持っているのだと感じた。


藤野可織さんの文庫解説の締めの言葉は、自分の感じる村田沙耶香作品の魅力をうまく言葉にしている。「ふつう」の人は、やり過ごしてしまえる重箱の隅を、村田沙耶香は執拗につつく。でもそれは、当事者にとっては「重箱の隅」では無くて死活問題だ。そして、傷つけられる側だけでなく、傷つける側にも広げれば、多くの人にとって、その問題の「当事者ではない」のでなく、「当事者であることに気がついていない」ことが多く取り上げられるので、村田沙耶香の作品は普遍性を持っているのだと思う。

私は、私たちがなんなのか、ここはいったいなんなのか知りたい。私たちが暮らしているところがどういった社会でその仕組みにどんな意味があるのか、どんなルールが課されているのか、私たちはその「設定」にどのくらい則っているのか、なにが善とされていてなにが悪とされているのか、「ふつう」とはなにか、そういったことをあらかじめ決めておくことによってどんな効果が生じているのか、逆に、なにが見過ごされているのか。ときに私たちは、その謎に分け入らなければ生きていけない。私は生きている限りやめることができないであろうその作業を、著者の小説を取扱説明書にしてたびたび参照しながら、なんとかやっていきたいと思っている。

なお、順序的には解説を読んだあとに読んだ4話「変容」こそ、まさに村田紗耶香ド真ん中の作品だった。自分にとっても謎だった、流行り言葉とともに突如として現れる「エモい」のような感情についてストレートな違和感が書かれており、「当事者」として読め、非常に納得がいった。


久しぶりにもう少し村田沙耶香作品を固め打ちして、英気?を養ってから、全くついていけなかった『地球星人』に再チャレンジするのもありかもしれない。

参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com
感想を書いていないものが数冊ある。読んだら書いておきたい…。