ナルバエス、ドネア、河野公平、田口良一……井上尚弥との一戦に己の人生を賭けて挑んだ男たちは、「モンスター」の拳に何を見たか?
バンタム級で史上初となる4団体統一を果たし、スーパーバンタム級初戦となったスティーブン・フルトン戦で2団体のベルトを獲得。進化し続ける「モンスター」の歩みを、拳を交えたボクサーたちが自らの人生を振り返りながら語る。強く、儚く、真っ直ぐな男たちが織りなす圧巻のスポーツノンフィクション。
大学生の頃に沢木耕太郎『敗れざる者たち』に感動し、大崎善生『将棋の子』にも思い入れのある自分にとっては、大当たり間違いなしの本。
途中で、「今、自分はスポーツノンフィクションを読んでいる」という実感が湧いて来て、そんな感覚も久しぶりだったので、それだけで嬉しい。
本書は、「怪物」井上尚弥の強さについて、過去の対戦相手から聞き出しながら、それぞれのボクシング人生を辿っていくもので、インタビューの相手は以下の通り。
- 第一章 「怪物」前夜(佐野友樹)
- 第二章 日本ライトフライ級王座戦(田口良一)
- 第三章 世界への挑戦(アドリアン・エルナンデス)
- 第四章 伝説の始まり(オマール・ナルバエス)
- 第五章 進化し続ける怪物(黒田雅之)
- 第六章 一年ぶりの復帰戦(ワルリト・パレナス)
- 第七章 プロ十戦目、十二ラウンドの攻防(ダビド・カルモナ)
- 第八章 日本人同士の新旧世界王者対決(河野公平)
- 第九章 ラスベガス初上陸(ジェイソン・モロニー)
- 第十章 WBSS優勝とPFP一位(ノニト・ドネア)
- 第十一章 怪物が生んだもの(ナルバエス・ジュニア)
現役の選手や海外の選手なども含め、「負けた人間」として扱われることに抵抗があるはずだが、それでも深いところまで話が聞けているのは、それぞれが井上尚弥をリスペクトしているからだろう。また、対戦相手の多くから、基礎練習を継続することの難しさと大切さの両面が語られ、それが高いレベルで実現出来ていることが井上尚弥の強さの源であることが分かる。
最も印象に残ったのは、WBA世界スーパーフライ級の王座陥落後に、現WBA世界スーパーフライ級王者である井上尚弥と闘った河野公平が家族からかけられた言葉。
36歳という年齢から進退を迷う河野が、井上からオファーが来ていることを告げたときに妻から即座に「やめて!井上君だけはやめて!」と言われる。
まるで漫画のような言葉だが、スパーリング相手を骨折させてしまうような「怪物」と闘うとなれば、誰でもそう言ってしまうかもしれない。
どの章も、最後に一枚の写真が添えられ、本人の顔がわかるのも良いが、妻と長女と一緒に取材に答える河野公平は、イメージ通りの誠実そうな顔立ちでした。
この河野公平の章もそうだが、本を読み進めると、強くなるにしたがってマッチメイクが難しくなっていくことがよくわかる。ちょうど、明日1/24に防衛戦を控えているが、今回は、対戦相手のケガで延期のち中止、リザーバーであるWBO世界ランク11位、韓国のキム・イェジュンとの対戦となった。対戦相手の方が準備期間も短く、井上尚弥の圧勝だろうが、現在形の井上尚弥の姿を観ることができるのは喜ばしい。
また、過去の試合の状況を見ると、準備万端で臨んでも、試合中の負傷で、数か月も後を引くダメージを負うこともあり(拳の負傷で事実上、片腕で勝利している試合もある)、プロボクシングで長期に渡ってチャンピオンでいることの難しさを感じた。
なお全11章の中で、「試合で井上尚弥に負けた相手」ではない人が2人入っている。
1人目は、誰よりも多く井上尚弥のスパーリングパートナーをこなし、「怪物と最も拳を交えた男」と呼ばれる黒田雅之(第5章)。
そしてもう一人は最後に登場するナルバエス・ジュニア。アルゼンチンの英雄で、井上が2R でKOを奪ってWBOスーパーフライ級王座を獲得したオマール・ナルバエス(第4章)の息子だ。2014年12月のその試合で、父が倒されるのを目の前で見て泣き崩れた9歳の少年は、今19歳。ここから井上尚弥に挑戦する夢がかなったなら、それはまさに『がんばれ元気』を地で行く物語。応援したい。
著者の森合正範さんは、東京新聞記者で、本書で第34回(2023年度)ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。このほかの著書『力石徹のモデルになった男 天才空手家 山崎照朝』も気になる。