Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

さすがに一冊ではわからない~関眞興『一冊でわかるドイツ史』

まずは読んだ自分を誉めたい。1月初めに今年は歴史を勉強するぞ!と宣言したその気持ちは続いていることを自分のことながらも改めて認識しました。
とはいえ、とても字が大きくて読みやすい本なので、読もうと言えばすぐ。でも「一冊でわかる」と言われると、さて自分は何を「わかった」のか?という疑問符で頭の中はいっぱいになるわけです。


ということで、まず、今回勉強してわかったことを羅列します。

  • 前身だった神聖ローマ帝国は1806年にナポレオンによって滅ぼされてしまった。これを読むと、ナポレオンは相当に強いんだな…。
  • オーストリアはドイツ人の国であり、ドイツ連邦(1815年-1866年)時代はその中に含まれたが、普墺戦争(1866)で袂を分かつ。その後オーストリア=ハンガリー二重帝国を経て、オーストリア共和国。1938年にヒトラーによりドイツに併合された。普墺戦争の普はプロイセン王国
  • 1871年に「ドイツ統一」が成し遂げられ、ドイツ帝国が成立。プロイセン王ヴィルヘルム二世が初代皇帝に。東西ドイツの統一以外に「ドイツ統一」があるのは知らなかった。
  • 四面楚歌という言葉があるが、一次大戦時も二次大戦時も随分たくさんの敵を周囲に戦っていた国ということに驚き。特に1914年。東のロシアと西のフランスを同時に相手しつつ、イギリスに攻められ、アジア・太平洋では日本を相手に闘い、その後イタリアも敵となり、さらにアフリカ植民地でも戦う中で、アメリカも参戦。これでよく国が残ってるなと感心。
  • 1918年にドイツ革命というのがあり、これによりドイツ帝国が無くなり、第一次世界大戦が終わった。その後にできたのがドイツ国(1919-1945)で、ワイマール共和国と呼ばれる。ロシア革命は習ったけど、ドイツ革命というのもあるのか…
  • 1967年にECが成立した契機は、1962年に仏大統領ド・ゴールが西ドイツを訪れ、「歴史的な和解」が実現したこと。確かにこの二国は常に戦争してきたということを読んだばかりなので納得。


さて、少し20世紀は復習したおかげもあって少しわかった気がするが、ナポレオンや神聖ローマ帝国の時代はやっぱり理解しづらい。
今後の勉強のために何が理解しづらい理解したいポイントを書く。

  • ドイツとプロイセンの関係がとても分かりづらい。オーストリアも含めると近い国の話なはずなのにかなり混乱する。ましてや神聖ローマ帝国ハプスブルク家の話は地理的な位置関係のイメージのしにくさもあり大混乱。本としては、頻繁に地図が入ったものを読まないとわからないか。
  • フランスとドイツが歴史的に仲が悪いことはわかった。でも何故?が分からなかった。もっと二国に絞ったものの方がいいのかも。
  • さらに、もともと興味のあった、ドイツとロシアの間にあるいわゆる東欧諸国についても結局ぼんやりしたままだった。これもやっぱり周辺地図と同盟関係が常にわかるような本がいいかも。
  • なお、フランス革命やナポレオンあたりの基本的な知識がなさすぎる。恥ずかしながら『ベルサイユのばら』を未履修なので、次はこれなのか。


本の冒頭にも書かれているが、比較されたりすることも多く、勝手に親近感を抱いている国(少なくともEUの国の中では親近感を抱く上位の国)ですが、100年前に「革命」が起きていたり、ナチス支配の二次大戦時だけでなく、一次大戦でも周囲に多く敵を作っているなど、波乱万丈な国の歴史をたどっていることは理解しました。
それでありながら今EUで中心的な役割を担っているというのは、本当にすごいです。ASEANやTPP内での日本の立ち位置を考えるととても信じられない。
ただ、日本人は自虐的な見方で自国を眺めてしまうという人もいるので、世界の歴史と並行して日本の歴史も勉強していきたいですね。
次はこれかな。

ベルサイユのばら(1)

ベルサイユのばら(1)

どこが「復興」し、何に「打ち勝つ」のか?~三浦英之『白い土地』


「人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証として」という欺瞞に満ちた枕詞がすっかり印象づいてしまったが、そもそも東京五輪は、東日本大震災の復興五輪という位置づけが大きかった。
先日の菅首相の施政方針演説にも、「東日本大震災」の言葉が添えられている。

菅首相は「夏の東京オリンピックパラリンピックは、人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証として、また、東日本大震災からの復興を世界に発信する機会としたい」にすると説明。
菅首相「東京五輪、人類がコロナに打ち勝った証に」開催に改めて意欲 施政方針演説 :東京新聞 TOKYO Web

そもそも東京五輪は、(それが誘致のきっかけとなったのかどうかはわからないが)2013年9月のIOC総会で、安倍首相(当時)が、東京電力福島第一原発を「アンダーコントロール」と表現したことが発端と言っても良い。*1
昨年2020年の3月に震災から丸9年を控えた福島を訪れた安倍首相(当時)を引き留めて「今でも『アンダーコントロール』だとお考えでしょうか」と地元記者が質問したことは、テレビでも報道されて印象に残っていた。


安倍首相県内を訪問 JR双葉町など視察


その記者が、この本を書いた三浦英之さんだという。
三浦さんについては『日報隠蔽』の共著者であることを知っていたが、実際に本を読むのは初めて。
本の概要は以下の通り。

「どうしても後世に伝えて欲しいことがあります」
原発事故の最前線で陣頭指揮を執った福島県浪江町の「闘う町長」は、死の直前、ある「秘密」を新聞記者に託した――。


娘を探し続ける父親、馬に青春をかける高校生、名門野球部を未来につなぐために立ち上がったOB、避難指示解除後たった一人で新聞配達を続ける青年、そして帰還困難区域で厳しい判断を迫られる町長たち……。

原発被災地の最前線で生き抜く人々と、住民が帰れない「白い土地」に通い続けたルポライターの物語。

ノンフィクションを読む際は、「知識」を得ることを目的とする場合が多い。
今回も、「白い土地」とは何か、帰還困難区域」の現状はどうなっているのか?という関心からこの本を読んだ。
しかし、予想外に、「知識」要素は少なく「人間」「生活」を強く感じる本だった。*2
ひとつひとつの話に、起承転結がついているわけではなく、取材は、それぞれの人の生活・人生の一部を切り取ったものに過ぎない。しかし、その文章を通して、自分は、作中の人物と会ったような気がしてくるのだ。

少し考えてみると、それは、三浦さんの取材対象との向き合い方によるものだということが分かってくる。
取材対象の人物たちは、三浦さんのことを「新聞記者」ではなく「三浦さん」として扱う。必然的に、内容も生活の方に寄って来る。これは、『聖の青春』(大崎善生)や沢木耕太郎の著作の手法に近く、ああ、そうか、こういうのをルポルタージュというのか、と改めて思った。

「帰還」と「新しい町」

特に、印象的なのは、週一回ではあるが、三浦さん自身が新聞配達を行った浪江町 の鈴木新聞舗を取材した第4章「鈴木新聞舗の冬」。
新聞配達の時期は、浪江町に出されていた避難指示が一部で解除されてから半年が過ぎた頃。しかし新聞配達をしていたからこそ、浪江町役場が公表していた帰還住民の数が「多め」の数字であることに気がつく。


このあたりの「帰還住民」の問題は、実際の原発事故や津波被害など直接的な被害に比べると、想像力を要する。
第5章~第7章は「ある町長の死」として、ガンを患っていた馬場・浪江町長のインタビューがまとめられている。
町内に原発が立地していない(故にそもそも恩恵が少ない)にもかかわらず、原発直後の空気の流れと降雨の影響で町全体が極度に汚染されてしまった「悲劇の町」。(いわゆるSPEEDIの問題はこれに直結する)
浪江町長としての津波災害、原発事故への対処、事前に通報連絡協定が結ばれていたにもかかわらず事故発生時に情報発信が何もなかった東電への怒りなど、今読んでも緊迫感が伝わってくる。
しかし、もうひとつのクライマックスは2017年2月。政府が浪江町中心部の避難指示を解除する考えを表明し、これを受けて町長が町内に帰還することを決断したときのこと。
この頃の馬場町長の危機感は町おこしならぬ「町のこし」という言葉に現れているが、三浦さんは「帰還の時期が早すぎたと思うことはありますか」と繰り返し質問する。

避難指示の解除から半年で町に帰還した人はわずかに約380人。町内にはスーパーや病院はなく、新設された小中学校への入学希望者は10人に満たない。帰還住民のうち少なくない人が「こんなことなら戻らなかった」と嘯き、その不満の多くは今、馬場町政への批判となって町役場に寄せられている。p147

かつての生活を取り戻したいと、生活の場に「自分だけが」戻っても、そこでの生活は、以前のものとは全く違ったものになる。確かにその通りではある。
さらに、人の数が十分だったとしても新たな問題もある。第10章では、大熊町の状況についてまとめられている。
浪江町と同様、一部の地域で避難指示が解除されて人口の1%程度、約120人が帰還した大熊町。新しい町役場が建設された大川原地区では広い町道を挟んだ南北で状況が大きく異なるという。

町道の南側には原発事故で家や土地を失い、八年ぶりに故郷に戻った帰還住民が災害公営住宅で暮らす。一方、北側には東京電力の社員寮が建設され、廃炉作業に取り組み約620人の東電社員が生活している。p213

北側住民の多くは町に住民票を移していないため、週末には首都圏に帰ってしまうという。原発事故の加害企業の社員と被害者が向き合って暮らすという「新しい町」は、大量の汚染土を一時的に収容するための「中間貯蔵施設」(保管期限は30年という約束になっている)の受け入れも決めている。
第3章で出てくる、2016年に結成した双葉高校野球部のOBチームの取材の中では、「OBチームの中でも、原発事故や避難生活のことについて会話を交わしたりすることがあるのでしょうか」という質問に対して、「いや、ありませんね」という答えが返ってくる。

それぞれいろいろな事情を抱えていますから…。加害者の立場の人もいれば、被害者の立場の人もいる。自宅が帰還困難区域にあり、今も帰れない人もいる。まあ、そこら辺は暗黙の了解です。私たちはね、ただ野球がやりたいだけなのです… p55

そう答えた人は、中間貯蔵施設の出入り口で敷地内に出入りする車の放射能量をチェックする仕事をしているという。
また野球部OB会会長は、環境省の中間貯蔵施設用地補償課に勤め、毎日のように用地交渉で「バカ野郎」と怒鳴られているという。
三浦さんの書くような原発被災地の取材に対して、健康被害はないのに風評被害を煽っているだけ、というような非難をする人もいるが、土や水の処理をめぐって将来への不安が消えないということ以上に、日常生活での苦労が絶えないことがよくわかる。この現状を見ると、まったく「復興」が終わっている感じはしない。

「アンダーコントロール」と復興五輪

このような、帰還困難地域の現状、および汚染土を詰め込んだフレコンバッグの置かれた仮置き場の状況(p189)を踏まえた上で、この本の終盤は、第11章「聖火ランナー」で、安倍首相の「アンダーコントロール」発言に対する質問に向かっていく。
2019年12月17日に発表された聖火リレーのルートを確認して三浦さんは改めて理解する。

目の前に広がる「風景」は為政者や大会主催者の意思を雄弁に物語っていた。彼らが意識しているのはきっとランナーや観客ではない。東京オリンピックを報じるために世界各国から集まってくる海外メディアの視線…つまりカメラだ。彼らはその映像の中に「復興の影」が映り込むことを極端に嫌っているようだった。発信したいのはあくまでも「復興の光」であり「復興を遂げた福島」という為政者や大会主催者がこの東京オリンピックによって作り上げたいイメージなのだ。p225

このことは「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として」との比較でも日本政府がアピールしたい日本像が徐々にシフトしてきていることが分かる。
安倍~菅政権の「科学音痴」がここに極まれり、という気がしてくるが、カッコよく見せたい「美しい姿」のビジョンはあっても、国の現状を科学的に把握することが出来ない。
それでも福島は国内だったから「世界を騙す」ことも可能だったのかもしれない。2021年1月の現状を見て全世界に対して「人類が打ち勝った」と胸を張れる気持ちが本当に理解できない(そう思っている世界の指導者がどの程度いると想像しているのだろうか)。また、処理水の海洋放出の話も残り時間がなく、廃炉処理のスケジュールも延期続きの状況下で今も「アンダーコントロール」と発言できる安倍さんはロボットで本当は心がないのではないかと思う。


三浦さんは「復興五輪」について、終章「1000年先の未来」でさらに突っ込んだ考察をする。

政府が掲げる「復興五輪」…その言葉自体に偽りはない。ただ、その対象が彼らと私では違っていたのだ。彼らが掲げる「復興」とは、原発被災地や津波被災地の「復興」ではなく、彼らが暮らす首都・東京の「復興」。もっと踏み込んでいえば、その東京に電気を送る東京電力の「復興」ではなかったか。p252

この言葉は、ぼんやりしたイメージで「復興五輪」を捉えていた自分のような人間にも突き付けられていると感じた。東日本大震災原発事故からあと少しで10年。「記憶を風化させてはならない」というお題目のもとで、当時のことを振り返ったりする機会こそあれ、帰還困難地域の「現状」としっかり向き合う機会はこれまでなかった。
現場を直接ではなく、周囲で暮らす人たちの生活の様子が垣間見られるこの本を読んで、改めて、色々な場所に暮らす人たちを想像することを続けていきたいと思った。

次に読む本はやはりこちらでしょうか。

南三陸日記 (集英社文庫)

南三陸日記 (集英社文庫)

*1:それにまた「人類が打ち勝った証」という嘘(少なくとも科学的根拠に乏しい言葉)を重ねるのか、ということを考えると頭が痛くなる。

*2:最近『オールラウンダー廻』という格闘漫画を読んでいるが、似たような印象を感じている。

迎撃!田島貴男DCvol.1『LOVE! LOVE! & LOVE!』『結晶』『EYES』編

記事のタイトルは「田島貴男DC」としていますが、「田島貴男のHome Studio Concert ~ディスコグラフィー・コンサート」が正式名称。
本当に素晴らしい企画で期待が高まります。
3枚ずつのピックアップということで、1/23(土)の配信ライブで対象となるアルバムは以下の3枚です。
毎回書くようですが、自分は、ポニーキャニオン時代からオリジナル・ラブに入ったので、東芝EMIの頃のアルバムは後追いで、当時の思い出もへったくれも無いのですが、当時聴いていた音楽を思い起こしつつ、アルバムを聴き直してレビューし、気持ちを盛り上げます。
決意表明はコチラ⇒迎撃!田島貴男「ディスコグラフィー・コンサート」(に向けた準備) - Yondaful Days!

対象アルバム

  • LOVE! LOVE! & LOVE!(1991年7月12日)
  • 結晶(1992年5月1日)
  • EYES(1993年6月16日)
  • SESSIONS(1992年8月26日)※企画盤

1991年~1993年の音楽

1991年の音楽 - Wikipedia
シングル

アルバム

⇒ドラマタイアップの当たり年。1989年にベストテン、1990年にトップテンが終了しているのも関係あり?

1992年の音楽 - Wikipedia
シングル

  • 1位 米米CLUB:「君がいるだけで/愛してる」
  • 2位 浜田省吾:「悲しみは雪のように」
  • 3位 B'z:「BLOWIN'」

アルバム

尾崎豊の亡くなった年。

1993年の音楽 - Wikipedia
シングル

アルバム

ビーイングの年。なお、Wikipedea情報によれば、1993年をピークとするビーイングのブームは「1990年のB.B.クィーンズのヒットを契機に始まった」という。え!B.B.クィーンズビーイングの始祖なんだ…。


1991年~1993年は、高校2年生~大学1年生の時期。
高校生の頃の自分にとって、音楽はテレビから流れてくるもので、学校ではユーミンやサザンのアルバムが…という話をしている人もいたが、CDを買うことはしなかった。
家にCDラジカセはあったものの、図書館で借りることがしばしばで、おそらく勉強優先のためなのか、歌モノを避けて、歌詞のないものばかりを聴いていたように思う。(G-クレフ、クライズラー&カンパニーカシオペア、スクエア、その他ゲームミュージック
ただ、流行りものは聴いていた。高校時代はLINDBERGプリンセス・プリンセス米米CLUB、ドリカム、ユニコーンなど。あと、2つ下の弟が1992年売上トップのチャゲアス『SUPER BEST II』を買ってきていたので、このアルバムは結構聴いた。
いやいや、思い出すと、いわゆるガールポップと括られるのか、谷村有美遊佐未森を好んで聴いていたのがこの時期だと思う。

愛は元気です

愛は元気です

  • アーティスト:谷村有美
  • 発売日: 1991/05/15
  • メディア: CD

大学に入ってからはカラオケで歌うためにCDを借りてテープを作るのが好きだった。親の車を運転させてもらうときにテープを入れるのが嬉しかったのを思い出す。
ただ、具体的にこの人のアルバムは全部聴いているのいうのはあまり無く、一人挙げるならば小比類巻かほる。『silent』(1991)あたりまでを一番よく聴いていて、おそらく新盤(中古盤でない)で初めて買ったアルバムは、『silent fiction tour 1991』(1992)というライブアルバムだと思う。

silent fiction tour 1991

silent fiction tour 1991


そんな1993年の自分は、オリジナル・ラブのことをまだ知らない。

LOVE! LOVE! & LOVE!(1991年7月12日)

LOVE! LOVE! & LOVE!

LOVE! LOVE! & LOVE!

  • 発売日: 2016/02/03
  • メディア: MP3 ダウンロード

ここまで説明したように、東芝EMI時代のアルバムはリアルタイムではなく後追いで聴いているのだが、その中でもこのアルバムには実は思い入れがない。
というのも名曲が多い故に、他の企画盤やベストアルバムと比べてこれを聴きたくなるタイミングが少なかったから。ジャケも2枚組ならではのゴージャス感があるし、これぞ信藤三雄というカッコ良さに満ちているけれど。
だから他のアルバムでいつも気にする曲順等もあやふや。ただ、聴き直すと、「I WANT YOU」~「DARLIN'」の流れは大好きでよくここを聴いていたことを思い出した。
このアルバムの楽曲は、メロディラインは避けてベースラインやサックスを辿る聴き方をすることが多いけど、中でも「I WANT YOU」はいつもそう聴いていた。この曲はライブでは聴いたことがない…と思ってクレジットを確認すると、作詞は井上トミオ(井上富雄さんのオリジナル・ラブでの作詞曲はこれだけでは?)!ということで、レア曲ですが、作曲は田島貴男ということもあり、演奏可能性はあるのでは?

結晶(1992年5月1日)

結晶

結晶

心理学こそ最強の学問である!とか言いたくなってしまうほど1曲目「心理学」が凄い。ラブソング全盛の時代に、名前にLOVEが付くバンドにもかかわらず「変わらないのか変わりだすのか」が繰り返されるサビは独特で、後半にちょっと不安になる変拍子がしつこく続いて1曲6分の濃厚過ぎる世界。

統計学が最強の学問である

統計学が最強の学問である

2曲目の「月の裏で会いましょう」のポップス度が高いのと比べると、「心理学」の濃厚さが際立つ。なお、企画盤「SESSIONS」は、1曲目2曲目の順序が逆で、しかも通常1曲目に入れにくいと思われる「ピアノ弾き語り」も、独特のアレンジで引き込まれ、こちらも最高。(『SESSIONS』は終わりも「ヴィーナス」のピアノ弾き語り)


なお、Wikipediaによれば以下の通り。この発言を読むと、「心理学」と、「スキャンダル」 そして、やはり歌詞が面白い「愛のサーキット」の世界観は繋がっているのですね。

今作では作詞を田島と木原龍太郎とが半分ずつ手がけているが、田島は
「詞に関しては、音が出来る前に僕の中に歌いたい題材っていうのがあって。ある意味でそれにもとづいて曲を書いたところってのがあったから、この曲は僕が詞をつけたいっていう割り振りみたいなものは、なんとなくあったんです」
「普段つきあっている、僕のまわりの人たちの心の中に、変化みたいなものが起こってきた。っていうのを去年、生活しているうちに感じて、それを題材として詞を書いたんです。僕がそれを書いたこと自体、僕も変化してたっていうことなんだと思うんですけれど、例えば『心理学』っていう曲だと、セックスとかオカルトっていう方向性で書いたんです。自分の判断力として霊とか超能力とか、っていうのに頼る人が出てきた。テレビをつければそういう特集番組を年中やっているし。僕のまわりにはいたんです」
と、リリース当時のインタビューで答えている。 

さて、Wikipediaにあるように、木原と田島で作詞を分けているというが、ラブソングに近かったりポップス度が高いのは全て木原曲。「心理学」「ミリオン・シークレッツ・オブ・ジャズ」「スキャンダル」も癖が強過ぎる。
スクランブル」は大好きなのに、ライブではおそらく聴いたことがないので演奏してくれることを期待したい。
なお、『LOVE! LOVE! & LOVE!』~『結晶』~『Sessions』についてはプロデュースを手掛けた井出靖さんのnoteに当時の思い出話が、宣材などの写真と合わせて綴られていて興味深い。
当時のことを知っているファンの方は、既に読んでいると思いますが、こんな雑文を読むより1000倍くらい貴重な情報が盛りだくさんなので、まだ読んでいない人は是非。

この記事の第一回に、1991年10月21日、オリジナル・ラブの初のホール・コンサート(渋谷公会堂)の様子が書かれていて、ここに載っている動画が、本編ラストで「夜をぶっとばせ」~幕が下りる~アンコールで「TIME」。カッコよすぎて驚きました。「TIME」は聴いてみたいけど、弾き語り向きではないので、今後バンド形態での演奏に期待。

EYES(1993年6月16日)

EYES

EYES

続けて聴くとはっきりわかるが、『結晶』とは断絶があると感じる。
リアルタイムで聴いていなかった東芝EMI時代は、アルバムの印象は結構いい加減で、特に『結晶』と『風の歌』に挟まれて、何となくぼんやりしたイメージしかなかった『EYES』については、今回聴きこんで大きな発見があった。


誤解を恐れずに言えば、『EYES』はアイドルのCDアルバムに近いつくりだ。


特に、『結晶』の後に出た『SESSIONS』との違いが顕著だが、『EYES』以前は、歌唱が楽器より前に出ないくらいの絶妙なバランスだった。
よく田島貴男が言う、ピチカート・ファイヴ時代に小西康陽から教えられたという「感情を排した歌唱」が『結晶』まではクールでカッコよかったし、歌詞も、意味が強過ぎず、同じ言葉の繰り返しなどが多かった。
それが『EYES』は大きく変わった。


田島貴男の歌が前面に出たアルバムになったように感じる。
アイドルの歌を生かすようにアイデアを出し合って楽曲制作や演奏が行われるのに近い雰囲気がある。
このアルバムはメンバー全員が作詞・作曲にクレジットされており、オリジナル・ラブとして最もバンドっぽいアルバムではある。そのメンバーの意図なのか、プロデューサー田島貴男の意図なのかはわからない。


ただ、他人への楽曲提供は、この時期(『結晶』が出た1992年5月から『EYES』が出る1993年6月くらいまで)に集中的に行われていることを考えると、田島貴男が自身を客観的に見た上で、そのボーカルを生かす作曲作詞を心掛けたと考えるのは自然だと感じる。

この時期の楽曲プロデュース*1

  • 1992年5月 石田純一「砂金」「ジゴロ」(作曲)
  • 1992年7月 クレモンティーヌ「ねぇ、ラモン」「リタがダンスを踊るとき」「サントロペで」(作曲・編曲)
  • 1992年7月 本木雅弘「THE CRYSTAL」「BLUE NOTE」(作曲・編曲)
  • 1992年10月 池田聡「ヘヴン」(作曲)
  • 1992年10月  井上睦都実「東京タワー」(作曲・編曲)
  • 1992年11月 高野寛と「Winter's Tale~冬物語~」
  • 1992年12月 KOiZUMiX PRODUCTION「SEXY HEAVEN」(作曲・編曲)
  • 1993年7月 井上睦都実夢で逢いましょう」(作曲・編曲)
  • 1993年7月 アンナ・バナナ『High-Dive』(アルバム・プロデュース)
  • 1993年時期不明 「Never Give Up」(CX系「ウゴウゴ・ルーガ」エンディング・テーマ)

月刊カドカワ1994年7月号 (『風の歌を聴け』特集)の萩原健太による全アルバム解説では、「ヴォーカリストとしての田島貴男の成長ぶりも聴き逃せないポイント」という健太さんの弁と合わせて田島貴男の言葉が引用されている。

歌うってことに関して目からウロコが落ちた時期。それまではソングライターとしての意識が強かったのか、曲に合わせて歌い方とか変えていたんですけど、このアルバムから”自分の声に合わない曲は歌えねえや”っていうか。自分の声をいかにうまく響かせるか、すごく考え始めた時期でしたね。

ほら、これ見ると、アイドルをプロデュースするような考え方でアルバム作っているじゃないか、と…。


続けて歌詞について。
月刊カドカワの同じページで歌詞については、田島貴男の次のような言葉が引用されている。

歌詞の面でも、たとえば『レッツ・ゴー』とか、それまで僕が試行錯誤を続けてきた”生きること”みたいなテーマに関して、ようやくこの時点での結論が出せた気がして。そういう意味でもすごく自信を与えてくれたアルバムです。

「LET'S GO!」は本当に偉大で、傑作アルバム『結晶』と『風の歌』のどちらにも近いテイストを持っている。歌詞も「終わりの始まりをここで始めよう今 Let's Go!」というサビは意味が重くなり過ぎず、繰り返し要素の入っているのは『結晶』に近く、全体の内容は『風の歌』に近い。
それと比べると、やはり『EYES』の二大看板「サンシャイン ロマンス」「いつか見上げた空に」の歌詞は、これぞ木原龍太郎(『いつか見上げた空に』はクレジットとしては田島貴男と共作)というのか、東芝EMI時代のオリジナル・ラブの曲で最も歌謡曲っぽい楽曲(悪い意味でなく)でありながら、田島貴男のボーカルの良さが最高に出た傑作。
「サンシャインロマンス」のカップリング曲「ティアドロップ」も作詞・木原龍太郎で同様の印象。*2
そして、「サンシャインロマンス」路線の曲は以降のオリジナル・ラブでは絶滅?してしまったのだけれど、宮田繁男*3村山孝志が主要メンバーのFIRST IMPRESSION「STARTIN' OVER」(1995年)が印象深い。この曲も本当に大好き。
www.youtube.com


それ以外の曲も、今もライブでよく演奏する「灼熱」は当然として「妖精愛」「Wall Flower」「砂の花」など名曲ばかりが揃うこのアルバム。今回のディスコグラフィーコンサートでは、この3曲のうち1曲は演奏してほしい。
「I Wish」はPUNPEEとの「Love Jam Vol.4」のときに演奏していた気がするけど、PSG「愛してます」越しに聴いてもやはり名曲。↓
www.youtube.com


そんな中で「JUDGEMENT」はやっぱり面白い楽曲なんだけど、この曲が『EYES』っぽくなくて、『結晶』までのオリジナル・ラブっぽい感じがするので、まとまりすぎるのを嫌った田島が、1曲くさびを打ち込んだ感じでしょうか。

という風に掘り下げていったら、思い入れが無かったこのアルバムもとても好きになりました。

演奏してほしい3曲

さて、ここまでを踏まえて演奏してほしい曲を考えると、以下の6曲でしょうか。3曲に収まりませんでした。

  • 「I WANT YOU」
  • 「DARLIN'」
  • 「心理学」
  • スクランブル」
  • 「Wall Flower」
  • 「いつか見上げた空に」

セットリスト

  1. 月の裏で会いましょう
  2. GIANT LOVE
  3. DEEP FRENCH KISS
  4. WALL FLOWER
  5. WITHOUT YOU
  6. 砂の花
  7. LOVE VISTA
  8. フェアウェルフェアウェル
  9. 愛のサーキット
  10. ティアドロップ
  11. ヴィーナス
  12. I WISH

感想

想像以上に良かったです!
特に、定番曲を避ける選曲が素晴らしく、「もしかしたら、これをきっかけに多く演奏される曲になるのでは?」、逆に「この曲はライブで演奏されることはもうないのでは?(笑)」と色んなことを想像してしまいました。本人も「見えない展開」と言ってましたが、煉獄さん風に言えば、「よもやよもや」の楽曲の連続でした。

事前に「演奏してほしい曲」として個人的に挙げていた6曲(上にあります)の中で唯一演奏された「WALL FLOWER」は、楽器を絞ることでさらにメロディの良さが際立つようだったし、この曲に限らず、思い出補完が働いているのか、ギター一本とはとても思えないです。
それ以外に、上に挙げなかったけれど演奏してほしかった「GIANT LOVE」「砂の花」「フェアウェルフェアウェル」は比較的最近演奏した気がしていた(故に挙げなかった)のですが、「フェアウェルフェアウェル」を聴いたのは2010年の”好運なツアー”だったので、もう10年以上前でした。
タイトルに引きずられて「寛大な愛」を歌ったものと勘違いしてい「GIANT LOVE」は改めてゆっくり聴くと、「刹那的な愛」について歌った曲で、むしろとても不誠実で、それが良いです(笑)


そして、予想していなかった「WITHOUT YOU」「LOVE VISTA」「愛のサーキット」そして「ティアドロップ」。これらは全て選曲の意外さを超えて演奏が素晴らしく、原曲を「惚れ直す」きっかけを作ってくれたのが2021年の田島貴男の凄いところですね。
「ティアドロップ」は、自分にとって変な思い出がある曲です。おそらく1996年の『Desire』発売前で、ライヴ自体にも行く前、とにかくオリジナル・ラヴを摂取したい!と渇望していた自分が、ファンイベントの”Origimal Loveナイト”みたいなものに初めて行ったときのことです。終盤に「ティアドロップ」がかかって、「聴いたことはあるのにこの曲知らない!!」「何故?あれほど勉強してきたのに!!!」と、出題範囲を間違えて勉強してきてしまった定期テストのように頭が真っ白になりました。当時、全アルバムと企画盤は繰り返し聴いたのですが、出会った当初は聴いていた『Very Best』は、以降ほとんど聴かなかったので、ノーマークだったのです。(そういう聴き方をしていると「Winter's Tale」もノーマークになるが、こちらはさすがに聴けばわかる)
で、この曲は「サビ始まり」であり、「サンシャインロマンス」以上に、歌謡曲よりの歌詞と楽曲構成と思っていたので、田島自身もあまり好きではないんだろうな、と思い込んでいたので、まさか今回のコンサートでピックアップされるとは…!なお、サビの「ぎみっよぅら!」か「でぃびっどぅら!」が癖になります。(この曲についてはほぼ耳のみなので「Gimmie your love!」という歌詞であることに気がつかず、スキャットと誤解していました…)
しかし、アルバム3枚からと言いつつ、アルバム未収録からも演奏されたので、「微笑みについて」「ディア・ベイビー」は当然として、全く演奏しない「冒険王」とか期待です。


それにしても、繰り返しになりますが、期待を遥かに超える内容で、企画自体が本当に良いですし、この流れからの発展として、当然、過去の楽曲の再演奏をパッケージで商品にしてほしいなあと熱望してしまいます…。
次は2/20に『風の歌を聴け』『RAINBOW RACE』『Desire』(アルバム未収録曲は「接吻」「微笑みについて」)からの選曲となります。
いよいよ、自分がリアルタイムで聴いた時代に入るので楽しみです。

*1:出典:月刊カドカワ1994年7月号、UnOfficial Page

*2:なお、Amazon Musicのアルバム『EYES』は本来の10曲以外に「ティアドロップ」と  「LET'S GO!」 のCosmo-Pahse Mixがボーナストラック扱いで入っている。

*3:宮田繁男さんは2014年に55歳の若さで亡くなられていますね。今更ながら本当に若く残念に思います。

神奈川県or武蔵県or多摩県だった可能性も~梅田定宏『なぜ多摩は東京都となったか』

以前、東京都の歴史を調べたとき、23区が生まれる過程についてとても面白く読んだ。ただ、他の本も同じだが、「東京」のことを書いてある本には、多摩地域のことが載っていないことが多いことが、23区「外」在住の都民としては、とても残念だった。

そんなときに、図書館でとても良さそうな本が!


出版元の「けやき出版」は、「欅坂」とか「ひらがなけやき」とかとは無関係で、多摩地域に密着した出版社で、この本は1993年にけやきブックレットの本として出ている。


さて本題だが、読んでいて面白かったのは、三多摩は、独立だけでなく、神奈川県とのつながりが強い地域であったということ。
また、毎年のように色々な案が出ており、何かのバランスが変わっていれば、今とは全く違う状況(埼玉県?神奈川県?横浜都を除く神奈川との合同県?)もあり得たということ。


以下に歴史を整理する。
なお、北多摩、南多摩、西多摩という呼称は、多摩地域に住んでいても馴染みがないが、ざっくり多摩川以南が南多摩郡。瑞穂町、日の出町、檜原村奥多摩町西多摩郡。残りは北多摩郡

  • 1871年廃藩置県三多摩は、一度、入間県(のち埼玉県)への編入が決定されたあと、神奈川県へ管轄が変更。この頃、三多摩は「横浜」とのつながりが強かったため。
  • 1886年東京府知事・警視総監の連名で西北多摩二郡の東京府編入を上申。移管理由は飲料水(玉川上水)の確保であり、水道会社構想とセットの案であるが故に、水源地・玉川上水と無関係な南多摩は含まれず。
  • 1889年。甲武鉄道(中央線)開通。東京都の経済的関係が強くなることで移管推進派が増加。
  • 1889年、1892年。衆議院第1回、第2回総選挙。政府側の「選挙干渉」に反対する三多摩自由党*1は知事の解任を求め、県知事は東京都に移管を内申。
  • 1892年。東京府知事三多摩移管を上申。
  • 1893年。政府案として「東京府神奈川県境域変更法律案」が提出。(三多摩東京府へ移管する案)反対もあったがすぐに成立。

⇒このあとは、現在大阪で行われているような「都制」への移行に際して、三多摩の位置づけをどうするか色々な案が出る。

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  • 1922年。東京市が独自案「帝都制案」を提出。都政区域は隣接五郡までとし、三多摩を神奈川県に復帰させる案。
  • この頃、五郡を除く「武蔵県」の県庁所在地として、織物工業の盛んだった八王子に県庁を置く案が盛り上がる。
  • 1923年。内務省が新たな「東京都制案」を発表。都政区域は隣接五郡までとし、三多摩を「多摩県」として独立させる案。

⇒「多摩県」構想は、反対が多数だったが、賛成する立場からは立川を県庁とする案で盛り上がる。
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  • 1925年。三多摩の強い反対のため、内務省案は議会への提案が見送られる。
  • 1930年。東京市議会視察団との会談で三多摩側は都制への編入を主張するも、すげない回答。この頃、横浜が「横浜都」として神奈川県から独立後に、神奈川県の郡部と三多摩で新県を設立(八王子が県庁)という案が盛り上がる。なお、このときの八王子のライバルは平塚町。
  • 1932年。三多摩は反対したが、東京市の市域拡張(隣接五郡まで)が実施、「大東京」誕生。
  • 1933年。政府が改めて「東京都制案」(三多摩編入案)を提案するも一度流れる。
  • 1935年。自治権拡張を図ろうとする区議会が政府案を推し、三多摩と運動の連合を図る「東京都制促進同盟」を結成。
  • 1938年。内務省東京都制要綱を発表。三多摩編入、都長官選、区の自治権否定。各団体の目的とのずれから三多摩と区議会の促進同盟は分裂。

ー1941年。太平洋戦争開始。首都防衛体制の強化という観点から都制成立が急がれるように。


東京都制の議論は三多摩編入と合わせて都長の官選か公選かも大きな論点になっていたが、それは省略した。
歴史を通して読んでみて、三多摩の中で何度か「県庁」案が出た八王子市の特別な位置づけや、区部との結びつきについて、玉川上水と中央線がある意味が大きいということが改めてよくわかる。
逆に、一宮があり、武蔵国国府だったはずの府中市は、三多摩編入の話ではほとんど名前が挙がることがなく、そのあたりにも興味が沸いた。
なお、隣接五郡を含む「武蔵県」構想で、県庁として挙がったのは新宿。当時は新宿も渋谷も豊多摩郡で、「大東京」前の東京市には入らず、郡部だったというのは、やはり面白い。


普段走るマラソンコースは、北多摩、南多摩そして川崎市を走ることが多い。いわゆる「神奈川県町田市」問題も含めて、県境がどのように決まっているかというあたりも少し勉強していきたい。

*1:三多摩自治を主張した自由民権運動のメッカとして知られ、五日市憲法が生まれた土壌

歴史地理に詳しくなりたい~『一冊でわかるロシア史』×『絶対に住めない世界のゴーストタウン』

職場の同僚に東ヨーロッパの国出身の人(日本語は問題なし)がいることもあり、ヨーロッパのロシア寄りの地域に地理的にも歴史的にも興味があります。
先日読んだ『マウス』も、歴史だけでなく、東ドイツポーランドなどの地理的な位置関係が勉強になりました。
ネットで「バカ日本地図」とか「うろ覚え日本地図」という企画が定期的に話題になり、テレビ番組で外国人に世界地図の中での日本の位置を答えさせて驚く、みたいな企画があります。あれは見ている側では確かに楽しいですが、自分が質問されたら、東欧やアフリカの国は勿論、西欧や東南アジアでさえ、位置どころか国の名前すら覚束ないかもしれません。
また、国際ニュース的には、ウクライナの話題は、ここ数年話題に上ることが多かったですが、12月にニュースになったアルメニアアゼルバイジャンの紛争の話は、その重大性と比べて、位置が全く分かりません。
そういうこともあり、積極的に歴史地理の勉強をしようと思い、少しずつでも勉強したいと思ったのでした。

『一冊でわかるロシア史』

この本は字が大きい。これは素晴らしいと思う。もう少し図表を増やしてもいい気がするが、圧倒的な量の少なさは、むしろ知りたければいくらでも調べられるネット時代に即している気がする。


しかし、一国の歴史だけを辿るのはなかなか辛いというのが改めての発見(笑)。
高校時代もセンター試験は倫理成型で受験したし、世界史というもの自体を勉強してきていないので、「東ローマ帝国」(ローマ帝国は知っているけど、東ローマ帝国とは?)とか基本的な国の名前がわからない。これは、他の国の歴史も併せて勉強しなくては!というように褌を締め直したのでした。

特に、何度も名前が登場するドイツ、またナポレオンの遠征で関係のあるフランス、そしてアルメニアの問題で対立がささやかれたトルコあたりとの関係を勉強したいです。

コーカサス地方とゴーストタウン

この本では、アルメニアアゼルバイジャンの歴史については触れられていませんでしたが、その北側にあるジョージアの紛争(2008年の南オセチア紛争)については数ページ割かれていました。
ソ連からロシアに変わる際に既に独立していたジョージア内の新ロシア的な南オセチアアブハジアジョージアと争ったのが南オセチア紛争。
南オセチアアブハジアは、停戦後に独立国家となるも、現在も「未承認国家」だと言います。

黒海カスピ海を繋ぐようにあるコーカサス山脈の南北に広がるコーカサス地方。カブトムシの名前についていたので知っている名前ですが、こういうのは間違って覚えている場合があると思い、本を見ると「コーサカス地方」と誤植があり、焦りましたが、コーカサスで正しいです。(別の読み方ではカフカス

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p193図


なお、「アブハジア」という親しみの無い国名に見覚えがあり、振り返ると、以下の本にあったのでした。

絶対に住めない 世界のゴーストタウン

絶対に住めない 世界のゴーストタウン


紛争後に急激に衰退してしまい、市街地と周辺地域の大部分が無人のままだというアブハジアの町。山岳地方なので日本で言うと群馬や栃木の温泉街みたいな風景に見えますが、人がいないと知ると、色々と考えてしまいました。
Amazonの紹介にあるように「無理な都市計画、紛争による破壊、疫病の流行、鉱山の閉鎖、火山の噴火、大企業の撤退、一攫千金の夢の果て」、衰退した原因は、それぞれですが、どの写真も、そこに「(人が住んでいない)意味」を見出そうとしてしまいます。(羊頭狗肉なタイトルですが、アブハジアも含めて 住居規模に比べてごく少数が住んでいるところもあり。)
一方で、取り上げられた地域に親しみを持っていたり、歴史に関する知識があれば見方もまた変わってくるとも思ったのでした。


なお、この本の最初は東アジアの事例ということで、中国の無理な都市計画の事例が並び、やはり中国!と思っていたのですが、不動産バブルでゴーストタウン化したスペイン(セセーニャ・ヌエボ)の事例もあり、よく考えたら、日本のリゾートマンションも似ています。
しかし、そんなリゾートマンションもコロナ禍のテレワーク推進で再び注目が集まっている(テレビで見たのは越後湯沢)ようで、パリにそっくりなゴーストタウン天都城(中国)も人口が増えているという記事を見るにつけ、きっかけ次第なのかもしれないと思ったのでした。

まとめ

2021年も始まったばかりなので、今年はもっと(日本も含めて)歴史地理についての見識を深めようと思います。頑張ります。
ところで、ロシア史を概観してみても、バトルフィーバーJの中にバトルコサックという戦士がいる理由はわかりませんでした。謎は深まるばかりです。

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

いまさらですがソ連邦

いまさらですがソ連邦

迎撃!田島貴男「ディスコグラフィー・コンサート」(に向けた準備)

LOVE! LOVE! & LOVE!

LOVE! LOVE! & LOVE!

  • 発売日: 2016/02/03
  • メディア: MP3 ダウンロード

選手宣誓

2020年のまとめとして、配信ライブは数多く行われているが、臨場性に欠け、 ライブ会場までの移動がないことも含めワクワクしないという不満を書きました。しかし、その後、確かに通常のライブとは別物なのだけど、配信ライブは現地に行く必要がない分、「迎撃」態勢を整えることで、能動的にワクワクを作り出す必要があるのではないか、と思い至りました。
そんなとき、2021年は、オリジナル・ラブ田島貴男)が毎月「ディスコグラフィー・コンサート」なるものを行うという告知を出したのです。

田島貴男のHome Studio Concert ~ディスコグラフィー・コンサートがスタート!
2021年一月から半年間に渡って、Original Loveのアルバムを3枚ずつピックアップし、その中から選んだ曲のみでライブする月に一度のプログラム「ディスコグラフィー・コンサート」が始まります。
第一回目は、メジャーデビューアルバム『LOVE! LOVE! & LOVE!』、セカンドアルバム『結晶』、サードアルバム『EYES』をピックアップ。この中から曲を選んでライブしますので、皆さんお楽しみに!
http://originallove.com/news/2021/01/01/3276

■生配信予定日時:2021年1月23日(土) 21:00~22:00
アーカイブ閲覧可能時間:生配信終演後~2021年1月27日(水)23:59

そろそろブログ内でも個人的振り返り企画をやってもいいなあと思っており、絶好の機会なので、これは絶対に迎撃してワクワクを作り出さなくては!
…と、そういう気持ちになったわけです。


ところで、ブログについて思うところを。
たびたび書いているのですが、Twitterは「この人、自分と同じこと思っている」を見つけることがメインの場所だと考えています。
例えば、映画『パラサイト』を観て、面白かった~!と思ったとします。帰りにTwitterで観た人の感想を見て、解説サイトを辿れば、映画を観た時にはわからなかった発見が見つかり、自分の解釈の間違いに気づくこともあるでしょう。そしてそれはとても楽しい。
しかし、そういう風に、Twitterばかりを続けていると、最初に自分が感じた「面白い」や「疑問に思う」はどんどん削られて、自分が残らなくなってしまうのです。自分の考えていることを短時間にまとめて文章化できる人は、Twitterをやっていても自分を見失わないのかもしれませんが、自分は失いまくります。


そこで、自分はこうして時々ブログに文章を書いているのですが、ブログに文章を書くときには、一般性よりも「自分がどう考えているか」を優先します。学問であれば、多数派がどのように考えているかを知ることは重要ですが、趣味の場合は、好きでやっていることなので、「自分」が優先です。
具体的には、本や音楽については、自分は出来るだけ「これは好き」「これは嫌い」を書くようにしています。同じ作家やミュージシャンのファンと意見が合わなくても、意見が合わないことが「人それぞれ」の面白さだからです。
過去の自分は、かなり頭のおかしい記事(新しいアルバムが発売される前に「曲名当て」を試みるなど)も書いており、それほど攻めたことを書くつもりは無いのですが、何かを書きすぎてしまったときの予防線のために、書いておきたいと思ったのでした。(逃げの姿勢)

構成

全体構成としては以下のようになります。

  • 対象アルバム:対象となるアルバムと発表年を整理します。
  • ●●年の音楽:オリコンランキングの状況等が充実している、Wikipediaの「●●年の音楽」を参照しながら当時の音楽状況を振り返ります。例えば『LOVE! LOVE! & LOVE!』発売の一年前、1990年の情報はこんな感じです。→1990年の音楽 - Wikipedia
  • アルバムレビュー:対象となった各アルバムについて完全に個人的視点からコメントします。思い入れのあるものと無いものに差があります。また、個人的評価はあくまで「時価」で変動があります。
  • 演奏してほしい3曲:対象アルバムの中から演奏してほしい曲ベスト3を絞り込みます。
  • セットリスト:実際に演奏された曲を整理します。
  • コメント:ライブのあとで感想を書きます。

補足

ディスコグラフィー・コンサート」に先駆けて行われた『田島貴男のHome Studio Concert ~元旦コンサート2021』は配信時には気づかず、遅れて聴きました。セットリストは以下。

  • 四季と歌
  • ビッグサンキュー
  • 99粒の涙(途中まで)
  • ZIGZAG
  • 月に静かの海
  • 神々のチェス
  • ムーンストーン
  • 海が見える丘
  • 遊びたがり
  • LOVE SONG
  • Bird

新年早々「神々のチェス」が聴けて僕は満足です。
なお、「ディスコグラフィーコンサート」は3枚毎と言うことで行けば『ELEVEN GRAFFITI』『L』『ビッグクランチ』が対象となる第3回が熱過ぎます。そして、自分の中では双子のアルバムである『街男 街女』『東京 飛行』が回を跨いでしまうのは残念ですが、『東京 飛行』『白熱』『エレクトリックセクシー』が結構カオスです。『白熱』から演奏しなかったら相当異色のセットリストになります。
まずは1/23(土)の初回が楽しみですね。

『ジェニーの記憶』と「性交同意年齢」と「性的同意」

ジェニーの記憶 (字幕版)

ジェニーの記憶 (字幕版)

  • 発売日: 2019/01/21
  • メディア: Prime Video

年末に、性交同意年齢の引き上げに関するtweetがいくつか回ってきて、その中で、多くの人が、この問題を考える上でオススメの一作として挙げており、しかもAmazonプライム見放題が年内いっぱいということで、滑り込みで鑑賞。
2020年最後に観た映画作品と言うことになる。

ドキュメンタリー監督ジェニファー・フォックスが劇映画のメガホンを取り、自身の体験をもとに性的虐待の問題に迫ったドラマ。ドキュメンタリー監督として活躍するジェニーのもとに、離れて暮らす母親から電話が掛かってくる。母親はジェニーの子ども時代の日記を読んで困惑している様子。心当たりのない彼女は、母親に送ってもらった日記を読み返すうちに自身の13歳の夏を回想しはじめる。サマースクールで乗馬を教えてくれたMrs.Gやランニングコーチのビルと過ごしたひと夏は、彼女にとって美しい記憶だったが……。(映画.comあらすじ)

こういったあらすじや、性交同意年齢に関する言説を見ていれば、どのような内容なのかは事前にわかっている。
わかっていても、見ていて驚きがあったし、とにかく「おぞましい」という言葉は、こういうものを見た時に使うのか、と感じた。それほどおぞましい。

映画の特徴

特徴的なのは、ミステリでは常套手段の「信頼できない語り手」が効果的に使われることだ。しかし、それは視聴者を騙そうとしているわけではない。むしろ語り手(主人公のジェニー)自身が意識下で、記憶を押さえ込み、捻じ曲げているのだ。

特に冒頭、回想シーンで、乗馬を教えてもらいに行くジェニーは、最初は高校生くらい?に見える。しかし、その後、ジェニーが当時の思い出話を聞き、写真を見返したあと改めて回想してみると、同じシーンでの当時13歳のジェニーは、まだ子どもに見える。

また、問題のコーチ(男性) だけでなく、「素敵な大人」という印象がピッタリな乗馬の先生(エリザベス・デビッキ、『TENET』の敵セイターの妻キャット役)が常に一緒にいたからサマースクール全体が「いい思い出」になっていたことは、映画を観る側の印象とも重なる。しかし、これもよくよく思い返せば、ジェニーがコーチと添い寝しているすぐ近くにも「先生」がいたことが分かる。(先生は、その「行為」について明確に知っていたのだ)

そして、その「行為」が実際には嫌で嫌でたまらなかったことを思い出したあと、ジェニーの回想シーンでは、トイレで吐くシーンが差し挟まる。見る側としては、(さすがにそんなことはないだろう)と思いつつも妊娠を疑う。
しかし、その後の話で初潮すらまだだったと言うことを知り、さらにぞっとする。

この映画では、半ば強制に近い状況であっても、自ら同意して行為に臨んだと思い込んだ結果、記憶が上塗りされて「良い思い出」に結晶化してしまう実例が示される。
精神的なアドバイスを行う立場のコーチと、アドバイスを受ける側の選手と言う関係もあり、結果として表に出にくいままに被害者ばかりが増えていくという構造がそこにはある。
そして、ジェニーの当時の年齢が13歳であったということも重ねて考えると、日本で議論になっているような、「性交同意年齢13歳」の引き上げは、どこからどう見ても必要と思われる。

性交同意年齢と性的同意

性交同意年齢の問題と関連付けた映画のレビューは、以下の監督インタビューの記事(2020年12月)がわかりやすい。
front-row.jp


また、外国の状況について伝える記事としてNHK NEWS WEBの記事(2020年6月)がわかりやすい。ここでは、2020年6月に性交同意年齢を13歳から16歳に引き上げた韓国、2018年にそれまでなかった性交同意年齢を15歳に定めたフランスの事例があり、「世界最低」の日本が、これを引き上げようとするのは必然的な流れだと感じる。
www3.nhk.or.jp


どう考えても「性交同意年齢引き上げ」を否定しようがないのに何故議論になるのか、と調べると、以下の小川たまかさんの記事(2018年3月)で、何がポイントなのかをやっと理解する。

「刑法の強制性交等罪(旧・強姦罪)については、保護法益が性的自由となっており(※)、この観点から、若者同士の性的自由を全面的に制限していいのか?という議論が必ず出てきます。

性交だけではなくて、わいせつ行為も同様に考えるので、(たとえば性的同意年齢が16歳に引き上げられた場合)14歳と15歳のカップルがキスしたことについて、二人とも被害者と加害者の立場を併せ持つというのは、いかにも不自然かと思います」(上谷弁護士)
日本の性的同意年齢は13歳 「淫行条例があるからいい」ではない理由(小川たまか) - 個人 - Yahoo!ニュース


つまり、「性交同意年齢引き上げ」の議論をする際に、『ジェニーの記憶』に見られるような性犯罪のみを念頭に置いてしまうと、見過ごしてしまう部分も多いという指摘だ。言われてみれば確かにそうかもしれない。
なお、この指摘も「保護法益が性的自由となっており」という部分が専門的でわかりにくいが、もうひとつ、さらに分かりにくいのが「性交同意年齢」と「性的同意」は完全に別の概念だという指摘で、以下のTogetterで議論されている。

togetter.com


ポイントを以下に列記する。

  • 重い犯罪について、本来、そんな重い犯罪として処罰することつもりがないものまで、条文上はカバーしてしまう内容になることそのものが副作用なんです。「15歳同士のカップルの性交も法律上は重罪」になった場合に、ただでさえ遅れている性教育のさらなる保守化を招かないかも懸念してます。
  • また、性交同意年齢の引き上げは、加害者と被害者の性別の組み合わせを問いませんので。例えば、15歳高校生男性による20歳女性との性交がかなり難しいことになる、という面もあります。15歳男性が告白しての場合でも、男性が被害者で女性は強制性交等罪(5年以上の有期懲役)です。
  • 性交同意年齢は、個別の被害者の方の具体的な精神能力を定義するような概念ではなくて。「同意があっても相手が◯歳未満と知って行為すれば、重罪を成立させてよし」という、処罰する国視点での線引きの話で、それ以上の意味はない
  • 「性的同意とは、すべての性的な行為に対して、お互いがその行為を積極的にしたいと望んでいるかを確認するということ」この意味での性的同意は、より良い関係性の構築のために大切だが、このレベルの「相互の同意確認」がない性的行為を全て刑法犯にはできない


小川たまかさんの記事でも「性的同意年齢」という表記になっているが、(慣用的には併用しているものの)法律用語としては「性交同意年齢」が正解ということになるようだ。実際の法改正や法律を設計する上では、よく言われる「性的同意」とは区別して考えなければならない、ということが何となくわかってきた。

そうすると、たとえば以下の清田隆之さんの記事は、基本的に「性的同意」について書かれたもので、やや法律的にテクニカルな「性交同意年齢」については、十分にその問題点を指摘できていない可能性がある。
qjweb.jp


ただし、そこまで理解しても「世界最低」の日本の「13歳」について絶対に見直しの議論が必要だろうという気持ちは変わらない。上のTogetterでも書かれている通り、「単純に引き上げればOK」という話では全くないが、「このまま」はまずいだろう。
また、小川たまかさんが色々なところで指摘されている通り、性交同意年齢「13歳」と比べると、義務教育において性教育が十分行われているとは言えない(むしろ「行き過ぎた性教育」は叩かれる)状況は改善する必要がある。
さらに、「性的同意」については、むしろ大人が勉強すべき概念だ。今回のような議論の中で、「性的同意」や「自己決定権」など、これまであまり触れてこなかった概念が重要な位置を占めることが、法概念に詳しい人とそうでない人のコミュニケーションが失敗している原因になっていると思う。
小川たまかさんの本は一度読んだのだが改めて読み直したい。また、清田隆之さんの本もそろそろ読まなくては。

「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。

「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。

  • 作者:小川たまか
  • 発売日: 2018/07/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
さよなら、俺たち

さよなら、俺たち