Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

養老孟司『バカの壁』★★★☆

以前読んだ時は、面白く読めたと思ったが、再度読んでみるとやや読みにくい。特に中盤部分。局所局所で納得できるフレーズが見つかるのだが、途中で整理しないまま論ずる対象が移っていくので、全体としてのまとまりに欠ける。
ただ、中心となる「バカの壁」の内容、特に脳内の一次方程式については、誰もが実感として理解できる、良い説明の仕方だと思う。未読の人は、2章の部分だけ立ち読みすれば、話題をふられたときに「読んだ風な」対応ができる。(そういう場面にはほとんど出会いませんが)
結局、この本の中での「バカ」とは、脳化(都市化)社会の中で身体性を欠如した現代人全体を言い、さらにいえば、自分の中にある「バカの壁」を自覚していない人のことを貶める意味で使われている。そういう意味では、以前「言っても分からない」という意味で、バカの壁を引用した小泉首相の発言は、あまり格好がいいとは思えない。(本の内容というより帯の惹き文句)

                      • -

冒頭で、ピーター・バラカンの「日本人は、知識のことを雑学のことだと思っているんじゃないですかね」という言葉が出てくるが、最近の「名作のあらすじダイジェスト」などの本の流行を見ると、本当にそうだよなあ、と思う。小説を読む喜びは、やはり読む過程での「感動」そして、自分自身の心の動きの部分だし、勉強にしたって、学んだ結果得ることも大事だが、学ぶ過程が重要であることは間違いない。
第4章は、「情報は変わらないが、人間は変わる」ということを中心に話が進み、個性重視の教育に否を唱える。いわく、個性は意識に宿るのではなく、身体に属するのであるから「個性とは何だろうか」というのは無駄な悩みだ、それよりも人の気持ちが分かるようになることの方が重要だ。
いやあ、いいこというよなと思う。「キレる脳」の項では"我慢する能力"の発達が30年間で5,6年遅れているという話が紹介されているが、これも非常に納得できる。

ここ数年の僕の持論なのだが、便利な世の中は、我慢する能力*1を減退させる。
暇つぶしのために過度に発達した携帯電話、携帯ゲーム文化は、想像する時間、妄想する時間、考える時間を、まさに「つぶす」。*2
ゲームばかりやっている子供は、自分のアクションに対してリアクションのない世の中に我慢ができない*3
だから、子供への教育の中で、「他人がどう感じるか、どう思うか」の想像力の発育を重視するのは非常にいいことだと思う。あとは、よく言われるように「動機付け」の教育かな。いずれにしても、学ぶ楽しさよりも「雑学」が重視されるような教育が行われているとすれば間違っていると思う。

*1:渡る世間は鬼ばかりでは、藤田朋子植草克秀の夫婦が、小学二年生の娘・日向子に「我慢することを教える」ために、自分の部屋がほしいという日向子の願いを敢えて叶えません。しかし、ここで言っている我慢というのは、少し意味が異なり、むしろ、些細なストレスやイライラの意味で用いています。便利というのは、そういった些細なストレスもしらみつぶしにつぶしていきます。それ自体はとてもいいことだと思います。インターネットもそんなに待たなくて済むようになったし。

*2:読書という行為は暇つぶしだが、「考える」ことを促進する有益な時間の使い方だと思います。読書擁護派としては、念のために付け加えておきます。

*3:ゲームを通過していない年配の方の中で、「ゲームなんかで遊ぶよりも、外に出ろ、自然の中で遊ぶ方がずうっと面白い」という人がいるが、そうではなく、ゲームは、面白すぎる。ボタンを押せば、さまざまな物語が広がる。しかも安全。だからこそ危険なのだと思う。