Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

『世界から貧しさをなくす30の方法』

世界から貧しさをなくす30の方法

世界から貧しさをなくす30の方法

会社の後輩が、世界の貧困問題に非常に関心が深く、「ちゃんと勉強しなくちゃだめですよ」みたいなことを言うので、数冊読んでみることにした。
読む前の自分のスタンスは、「それが非常に重要な問題であることは分かるが、日本に住む自分にとって、優先順位的には他になすべきこと、考えるべきことが多数ある、故に一所懸命になれない」というもの。
しかし、この本を読んでみて、自分にも、見たくないものに目をふさいでいた非があるなあ、と反省した。日本に住んでいるから無関係なのではなく、日本に住んでいるからこそ関係のある問題なのだ。
ただし、この本には、環境問題に取り組む人たちの「ダメ」な部分も十分に現れていると思う。かなり断片的になる*1が、それらについて少し。

よかった点〜自分として反省すべき部分

北斗の拳』には、子どもが奴隷のように扱われるシーンが沢山出てくる。さほど強くない下っ端悪役のためにも、寝る間も与えられないような重労働をさせられる。これはひどい、と思いながらも、当然、日本の状況と結びつけて考えることなどはしなかった。
しかし、先進国が享受している快適な生活の一部分は、それに似た仕組みで成り立っている。この本で「フェアトレード」が何度も繰り返される理由はそこにある。気軽に買える100円のチョコレートの値段を支えているのは、途上国での児童労働だというのだ。


さらに、途上国の貧困の原因として、先進国からの多大な債務があり、それを放棄できないこと、農村部の開発が、都市への難民の流出を招き、それが多産化につながっている一面(人を増やさないと食っていけない)があることも知った。
また、「環境によい」植物油が、途上国のパームやしの濫伐と低賃金労働によって、ネコ缶に入ったエビの養殖のためにマングローブ林を切り開くことによって、成立しているというような環境問題の側面も再確認できた。


この本のいいところは、そういった、世界の貧困を知ったときに、自分たちに出来ることにどんなことがあるかを教えてくれることだ。フェアトレード商品の購入がその典型だが、ものを大事にすることが、何より必要なことが実感できる。
なお、寄付や、毛布など現物の寄贈が、現地の市場構造に影響を与え、労働意欲を失わせたりすることがある、というのも皮肉なことだ。そして、それは、ゴミなども同じ状況で、先進国からのゴミは、ゴミ拾いで職を立てるスカベンジャー*2の生計などにも影響を与える。
直接的な寄付でできることに限界がある、という意味で、NGOにお金を托す方法として、たとえば「ホワイトバンド*3が出てくる余地がここにある。

ダメな点〜環境問題に取り組む人に反省してほしい点

この本の短所、というか、環境問題について広く知ってほしいと思っている人の戦略ミスについて二つ挙げる。
まず、4章「ぼくらの身近な行動が世界を変える」の中に、読者にピースボートでの旅を薦める話が出てくることには全く納得できない。現地に行けば問題の重要度はわかるし、何かをしてあげたい気持ちが生まれるのは理解できる。しかし、社会人は当然として、学生だって、数週間日本を空けてアフリカなどに渡るということは難しい。とても、この章のタイトルにある「身近な行動」とはいえない。それこそ、そこまで多くのコストを強いる「旅行」は、優先度的には相当下位ランクに位置する。
ピースボートのような、自分たちの運動を広げようとする人には、そのような常識人的な優先度くらいは分かってほしい。繰り返すが、かなりの人は、貧困などの問題が重要なことは判っているのだ。でも、それより大事なことがたくさんある(と思っている)から後回しになってしまう、というのが普通の人の感覚だ。重要さを協調するのではなく、優先度を上げるための理論構築をしてほしい。


また、エコな食事(シンプルライフ)を実践する方が、フードマイレージなどの概念も出して食卓の国産品比率を100%に近づけることの意味づけを語っている「27 彼らの資源を奪わずに暮らす、シンプルライフを」も、言っている内容は理解できるし、共感もする。しかし、それ以上に、執筆者自身が、周りに言われた言葉として挙げている「そんなにストイックに食事しなくちゃいけないの?」「理屈を食べているみたいで嫌だ」の方に共感できてしまうのも事実だ。
これは、逆に言えば、世界の貧困解決のために動くためには、相当の勉強、理屈が必要であることを示している。
こういった問題について、あなたは勉強不足だから勉強しろ、と言われて、勉強を始める人はあまり多くないだろう。教えたいことを、本や講演の内容に詰め込むよりも、自発的に勉強させるためのモチベーションを上げることに労力を割くべきだと思う。(そういう意味では、広い範囲を浅く取り上げた本書は、全体としては成功していると思うが。)

最後に

本書にも取り上げられていたが、「開発」の欺瞞をテーマにした小噺に以下のようなものがある。

ビジネスマン:「お前らもちゃんと働かないとだめだ」
島民:「働いたらどうなりますか」
ビジネスマン:「俺みたいにそのうち成功して、最後には休暇とってこういうところで休んで・・・」
島民:「俺たち最初から休んでる・・・」

途上国には、GDPなどの先進国的な指標では図れない「幸せ」がたくさんある、という側面もあるのだ。*4
これは、そのまま、日本国内の都市−農村、中央−地方の構図にもあてはまる問題だと思うが、そういう風に考えていくと、自分の置かれている状況、日本国内の状況が豊かだとか幸せだとかはとても言えず、どんどん心は内向きになり、世界の貧困から離れて行ってしまうのだ。勿論、ここで問題としている「貧困」は、最低限の生活を営めない(国の支援もない)という意味で、日本が恵まれた状況にあるということは、頭では理解している。やはり、このエントリ冒頭で述べたとおりの詭弁を弄して、耳をふさぐ姿勢は相変わらずなのだった。少なくとも、この本を読んだだけの自分としては、「このブログを読んだ方、是非、世界の貧困について少しでも興味を持ってください」などと押し付けがましいことを言う勇気?はないのであった。

*1:本当は、もっとまとめた文章を書いてみたいテーマなのだが・・・。

*2:先日書いた「海ゴミ」とも直接つながる話だ

*3:ここでは、あの運動に対して否定も肯定もしない

*4:GDP国内総生産)が、幸せを図る指標としては、全く意味をなさないことは、以下のページなどを参照。http://eco.nikkei.co.jp/column/article.aspx?id=20070825c3000c3