Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

まずは足元から〜川端裕人『川の名前』

川の名前 (ハヤカワ文庫JA)

川の名前 (ハヤカワ文庫JA)

大森望責任編集のSF作品集『NOVA2』を購入するつもりで、ハヤカワの文庫本の棚に行く*1と、目当ての品は一向に見つからないので、ハヤカワの棚を物色。いかにもヒネクレた雰囲気が漂う円城塔Self-Reference ENGINE』や、ハヤカワなのに黒の装丁が目立つ伊藤計劃虐殺器官』など、候補は他にもあったが、最近の自分の読書の流れから、この本を選択。
そもそも、自分が川に関わる仕事をしていることもあり、読みたいと思っていた本だったのだが、NHKのアニメ特集で『川の光』(ネズミの一家の物語)を見て、タイトルが似ているので、見終えた作品だと勘違いしていたことに今さら気づいた。
Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)川の光

夏休みが始まる今まさに読むべき本!

あらすじは以下。(Amazonより)

菊野脩、亀丸拓哉、河邑浩童の、小学五年生三人は、自分たちが住む地域を流れる川を、夏休みの自由研究の課題に選んだ。そこにはそれまでの三人にとって思いもよらなかった数々の驚くべき発見が隠されていたのである。ここに、少年たちの川をめぐる冒険が始まった。夏休みの少年たちの行動をとおして、川という身近な自然のすばらしさ、そして人間とのかかわりの大切さを生き生きと描いた感動の傑作長篇。

物語は、タマちゃん騒動を彷彿とさせる出来事の顛末をメインに描かれるのだが、テレビ報道が度を越し、「愛する会」と「守る会」が対立するなど、かなり事実に近い描かれ方なので、当時のタマちゃん騒動を振り返るようなかたちでも読める。勿論、「冒険」要素もうまく織り込まれており、「川」や「環境」に興味がない人をも引き込む仕組みが仕掛けられた丁寧な作品だ。
そして、ひとたび増水すれば川が危険な場所になるということにも触れられている他、種の絶滅などの時間的な問題や、自生種に対する移入種などの空間的な問題についても作品内で巧く取り上げられており*2、野生動物をダシにして環境保護を訴えるような薄っぺらな作品になっていないところも良かった。
さらに、メインテーマである自然環境だけでなく、家族の問題やアイデンティティ(居場所)の問題が裏テーマとして脈々と流れている部分も巧い。おそらく、いろいろなテーマの組み合わせが得意な作家なのだと思う。
話自体は、あまりダレる部分が無く一気に読めるので、これからの夏休み、身近な自然を自由研究の課題にしたい+読書感想文を書かなくてはいけない小学生とその親なんかには、参考になる本としてとてもオススメの本だ。

タイトル「川の名前」が示すもの

保護区としてはあまりにも小さくて、自然だなんて呼べないと脩はどこかで感じていた。
でも違うのだ。鳳凰池は小さくても、多摩川や桜川の昔の姿に繋がっている。
桜川の本流からオババドジョウが去って池に残されたのと同じように、追いやられた川の魂がここに逃げ込んで、今も息づいているのかもしれないとさえ思う。(P401)

主人公の脩は、小学一年生のときに両親が離婚し、世界中を飛び回る有名な自然写真家の父に育てられた。そんな父親と一緒にいたから、小さい頃から海外暮らしや転校が多く、周りからは羨ましがられるも、本人は自分の居場所がないことを悩んでいた。一連の出来事が起きた小学五年生の夏休みは、カナダのユーコン川に取材旅行に行った父親とは離れて過ごすことになった初めての夏休みだったのだ。
脩は、鳳凰池の自然を見ながら、どうしてもアマゾン等で見た大自然と比較してしまう。それは、「自分の居場所」について考えるときに、世界を股に掛ける父親と比較してしまうのとちょうど対応している。
(また、自分が、昔からの桜川流域住民ではなく「よそ者」であることも、外部から来て鳳凰池に暮らすことになった“生き物”の位置づけと対応している)
そういった悩みから解放されるキーワードが、序盤から登場する変な老人“喇叭爺”がよく口にする言葉である「川の名前」なのだ。

脩は川の名前のことを思った。
大宇宙、銀河系、太陽系、第三惑星地球、ユーラシア大陸の東の端の日本列島、本州島、多摩川水系、野川、桜川・・・。だんだん範囲を狭めて、自分の居場所を知る。そのことは、逆に言えば、今ここにいることが、そのまま世界につながってることだと納得することでもあるんだ。
自分がいる場所。今、ここ。それがぼくの居場所。
なんだか強くそう思って、脩は喉が詰まりそうになった。(P428)

つまり、特に環境問題について言えることだが「まず自分の足元を見ろ。」という当たり前のメッセージが「川の名前」というタイトルに表れている。また、「足元」がいわゆる「地元」ではなくて、(外部から来たとしても)「今住んでいる場所」のことを指していることも含めて、脩の内面の問題と照らし合わせながら描かれているところが巧いところだ。
ちなみに、僕自身の「川の名前」は、多摩川の野川、名取川の笊川と来て、現在は、おそらく荒川本川流域だと思う。今住んでいる場所なんかはまさにそうだが、近くに川が流れていなければ、どこの流域に属しているかは、結構わかりにくい。それでも、流域という視点で「足元」を眺めるのは、人間と環境とのつながりを考える第一歩としては、とっつきやすいと思う。
以前読んだときは、なんとなくバラバラしていてイマイチだった以下の本も、「川の名前」の提唱者である岸由二と養老孟司の共著であり、副題が「流域思考のすすめ」ということで、改めて読みなおしてみよう。

環境を知るとはどういうことか (PHPサイエンス・ワールド新書)

環境を知るとはどういうことか (PHPサイエンス・ワールド新書)

桜川はどこか

作品の舞台となる川は桜川。桜川は架空の川だが、多摩川に合流する野川のさらに支川。自分は、生まれが野川の近くなので、この舞台設定は、個人的に興味を惹かれた。
合流地点の描写から予測はしていたが、ググると、桜川=仙川説が定説ということになっているらしい。ただ、仙川は、中央線三鷹駅京王線仙川駅、小田急成城学園前駅付近を南北に縦断するように流れ、周囲は住宅密集地ばかりの三面張りの川*3なので、少しイメージが違う。鳳凰池につながる親水公園は、記述から23区内であることがうかがえるので、祖師谷公園ということになるだろう。あともう少し周辺が自然豊かならば、鳳凰池探しも楽しむことができそうだが、どうも周囲には同じ条件の場所は無さそうだ。やはりあくまで架空の場所なのだろう。


なお、特にネタばれを気にしたわけではないが、どんな生き物が桜川に来て騒動が始まるのか、については、Amazonや裏表紙のあらすじでも伏せられているので、それに倣って、特に書かなかった。気になる人は是非読んでほしい。
他の著作も科学的な知識と物語を巧く組み合わせてあるようで、気になるものが多いし、『今ここにいるぼくらは』は、姉妹編みたいな扱いの本のようなので、こちらも併せて読んでみたい。

今ここにいるぼくらは (集英社文庫)

今ここにいるぼくらは (集英社文庫)

*1:SFといえばハヤカワという図式で考えてしまっていましたが、河出文庫でした

*2:そもそも、タマちゃん騒動自体が、いろいろな問題を孕んでおり、それに気づかせてくれた上で、一応の決着をつけているのが凄い。ただし、種の多様性なんかを絡めると、非常に難しい問題になると思うが、そこまでは踏み込まないのもバランスが取れている。

*3:成城学園東宝スタジオ(砧撮影所)の目の前を流れる川