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重いテーマながら香西さんのツンデレぶりが光る三崎亜記『となり町戦争』

となり町戦争 (集英社文庫)

となり町戦争 (集英社文庫)

短編集『バスジャック』を読んだときは、他に佳作が多いのに、何故表題作「バスジャック」がタイトルになっているのか疑問に思ったが、このデビュー作(小説すばる文学新人賞受賞作)を読んで納得した。
「となり町戦争」も「バスジャック」も、本来の意味をもっと深く考えるべきこと(戦争やバスジャック)が、形式的に、お役所仕事的に進んでいってしまうことへの違和感(恐怖に違いないのに、恐怖とすら思わないことに対する疑問)が、テーマとして共通しているのだ。

考えてみれば、日常と言うものは、そんなものではなかろうか。僕たちは、自覚のないままに、まわりまわって誰かの血の上に安住し、誰かの死の上に地歩を築いているのだ。
ただそれを、自覚しているのかどうか、それが自分の眼の前で起こっているかどうか。それだけの違いなのではなかろうか。僕はもう、自分が関わったことが戦争であろうがなかろうが、そんなことはどうでもよくなった。
たとえどんなに眼を見開いても、見えないもの。それは「なかったこと」なのだ。それは現実逃避とも、責任転嫁とも違う。僕を中心とした僕の世界の中においては、戦争は始まってもいなければ、終わってもいないのだ。(P230:僕の独白)

この国に生きる以上、戦争に関わっていようがいまいが、好むと好まざるとに拘わらず、私は誰かを間接的に殺しているのです。どうせ「同じ」ならば、いっそ私は、自分が戦争に「関わっている」、つまり、誰かを「殺している」ことを自覚し続けていきたいと思っています。(P259:「別章」チーフの言葉)

文庫版に加えられた書き下ろし「別章」は、同じ世界を舞台にした別の物語というよりは、全く同じテーマをダメ押しするためのサイドストーリー。したがって登場人物たちの主張は繰り返しが多くなる。チーフと僕の「戦争」への向き合い方は正反対だが、戦争に自覚的であることは二人に共通している。これを読んで読む側が背筋が寒くなるのは、日本の「便利で快適な生活」を支えているのは、他国の「安価な労働力」によるところも多いことに思い至るからだ。ということは、現代都市社会に住む者全てが、となり町戦争における「戦争」を否定しきれない。特に「別章」では、一年目の新入社員の台詞を借りて、かなり青臭い論理が展開するが、笑って遣り過ごすのがオトナの態度であるわけがない。ここら辺の問題はマイケル・サンデルの本を読んで勉強することにしよう。

「戦争の計画自体は第三次五ヶ年計画から立案されていたと思います。それにもとづいて若干ではありましたが、調査費という名目で戦費が予算計上されていました・・・(中略)
戦争計画自体は確かとなり町の方が先にあったと思います。二つの町がどちらで、戦争計画を立案したことに伴い、十五年ほど前には、協力して戦争事業を遂行していこうという協定書が結ばれ、両町職員による定期的な勉強会も開催されていました。」
僕はもう質問すべき言葉を持たず、森の奥へ黙って歩いた。戦争とは「互いに敵対し、殺しあう」ことではないのか?それがどうして、「協力して戦争事業を遂行」というコトバに置き換えられるんだろう。(P176:僕と香西さんの会話)

「となり町戦争」が一番面白いところは、戦争が地域振興事業のメニューのひとつに数えられていること。町役場の人間は、大真面目に戦争事業に取り組み、住民説明会を開いて、地域住民の日常生活に支障のないことを説明する。地域振興という目的は正しい。しかし、風が吹けば・・・ではないが、いくつかの過程を経るうちに、かなり違和感のある解決策が出てきても、世間の流れに逆らわずにそれを押し通すのが、いわゆる「お役所仕事」。
自分は公共事業に関わる仕事をしているので、お役所論理が満載のこの本には身に染みた。自分が当たり前のように使っているルールが、世間一般には理解しにくいということは多々あるのだろう、と身を引き締めた。


物語の筋は、これらの基本設定の上で、95%以上がお役所言葉でできている女性公務員、香西さんとの男女の仲がどう進展していくかという部分に興味が行くという結構シンプルなもの。
だが、文章が巧い。着想は面白いが、それだけならワンアイデアのみの詰まらない作品になりかねないのだが、豊富な語彙と、固いテーマについて深い示唆を含みつつ読みやすい文体。天才*1っぽくは無いが、こんなに流れるような文章が書けたらなあと久しぶりに思わされた。

*1:最近再読している古川日出男なんかは、天才っぽ過ぎて、自分と同じ世界の人間とは思えない。