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異様で面白い小説!〜桐野夏生『残虐記』

残虐記 (新潮文庫)

残虐記 (新潮文庫)

薄汚いアパートの一室。中には、粗野な若い男。そして、女の子が一人――。

失踪した作家が残した原稿。そこには、二十五年前の少女誘拐・監禁事件の、自分が被害者であったという驚くべき事実が記してあった。最近出所した犯人からの手紙によって、自ら封印してきたその日々の記憶が、奔流のように溢れ出したのだ。誰にも話さなかったその「真実」とは……。一作ごとに凄みを増す著者の最新長編。

桐野夏生の2004年柴田錬三郎受賞作。
タイトルの意味付け*1や、作品の大きなテーマ等は、文庫版巻末の斎藤環精神科医)の解説に詳しく書かれている。ここで、斎藤環は、解説を以下のような言葉で結び、この作品を絶賛する。

異様で面白い「小説」を読みたい、と尋ねられれば、自信をもって応じられます。
まず『残虐記』をお読みなさい、と。

確かに、この指摘通り、この小説は異様だ。小説内小説が作者の独白を挟みながら進行するメタ小説の形式をとりながら、謎の全てが明かされるわけではなく、物語が閉じていない。エンタテインメントとして考えると、不満が残るつくりだが、その分、余韻・残響が読者の胸に影を落とす。
タイトルに使われる「残虐」とは、他人からの想像(詮索)がもたらす屈辱、そして自らの想像(妄想)が持つ圧倒的な力と、想像力だけでは決して勝てないリアルな暴力。
小学4年生のほぼ1年間の監禁生活から自由の身になった主人公は、そして家族は、人の不幸を覗き見る「罪なき人々」の視線に悩まされる。
身近に同種の事件があれば、自分はやはり同じように監禁生活がどのようなものであったか詮索し、屈辱を与える視線を向けるだろう。そして、事件がなくても、身体的特徴、人種、国籍、そして根も葉もない噂話など様々な面から、見る−見られるの関係はいくらでも作り作られる。そもそも、この本を読む行為自体が、絶対安全な場所から少女の生活を覗き見る行為と大きく変わらない。
しかし、そういった視線≒想像を、この小説では罪あるものとして描くわけではない。逆に、小説など創造的な行為の源として作用するものとして扱ってもいる。検事の宮坂(左手が義手)は次のように言う。

僕にとっての左腕の欠落は物語の創造の出発点となるのですから。あなたの場合も何か物語を紡ぐのだろうという気がしていた。そうでしょう。理不尽な目に遭った子供は、必ずや何かで聖心の欠落や心の傷を補おうとするところから始める。だから、欠落はむしろ素晴らしいことなのだ。P220

確かに、ポジティブな言い方をすれば「好奇心」は常に欠落を補おうとするものであり、目に映るのもに無理矢理でも関係性を見出すのは、星座や神話が生まれた頃から変わらないのかもしれない。
勿論、欠落が他人の理不尽によるものであった場合は、それが創造の出発点になったとしても、決して喜ぶべきものではない。「でも、産み出してしまう」という部分こそが、作者の描きたかったものの一部なのかもしれない。


ただねー、この小説の主旨とはずれるのかもしれないが、やはり犯罪被害者の保護が現状でうまくできていないという部分に思いが行ってしまう。ましてや、この小説が新潟で実際に起きた(酷い)事件に着想を得ていると思うと、何だかな―、と、やるせない思いが沸き上がってしまうのだった。

参考(過去日記)

 →この本も解説が斎藤環で、関係性というキーワードで桐野小説を語っているのも同じ!

*1:残虐記』というタイトルは谷崎潤一郎の同名小説にヒントを得たものであり、作品のテーマや構造についても、同じ谷崎潤一郎『鍵』に似ていると指摘。