Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

前を向くために残すべきもの〜高瀬毅『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』

長崎にも「原爆ドーム」があった――。
それは爆心地の北東500メートルほどの位置に立つ、高さ25メートルの鐘楼を持った浦上天主堂
しかし1925年 に完成し、東洋一と謳われたこの天主堂は原爆によって廃墟と化す。
当初、被爆遺構として保存に積極的だったはずの長崎市長だが、訪米を経て「原爆の悲惨を 物語る資料としては適切にあらず」と発言し、撤去路線に転換。
結果として旧浦上天主堂は1958年に撤去されるに至る。
世界遺産クラスの被爆遺構はなぜ失われたのか?
市長の翻心の裏には何があったのか?
丹念な取材によって昭和史のミステリーを解き明かした渾身のノンフィクション。

長崎放送が制作した『神と原爆』というドキュメンタリーで、作者は、出身地にあった旧浦上天主堂被爆遺構を初めて見て、ショックを受ける。教会という宗教施設が廃墟同前となっている様子は、罪深さを強く感じさせるものだったからだ。と、同時に、それが今は撤去されてしまい、二度と実物をみることができないことに対して、取り返しのつかない喪失感にとらわれたのだった。
実際、本に載っている白黒写真を見ても、その迫力は伝わってくる。小学校時代と大学時代に、長崎市内を観光で訪れたことがある自分の実感としても、漠然とした「平和」を象徴するような平和記念像だけでなく、旧浦上天主堂があれば、長崎の印象は大きく変わっていたと思う。


世界遺産クラスの被爆遺構はなぜ失われたのか?


この問いに対して作者が立てた仮説は、「市長の訪米時に、(都合の悪い)被爆の記憶の一刻も早い風化を狙った米国側の圧力が働いた」というものだ。この本は、様々な関係者の話や資料を頼りにしながら丹念に、この仮説を実証していく内容で、その部分はスリリングだった。
が、それ以外にも、二つの大きな視点を得ることができた。それについて少しまとめておきたい。

長崎と浦上

最終章で、長崎が広島に比べて存在感のない理由として、原爆ドーム以外に、長崎と浦上という二つの地域の文化的隔絶が挙げられている。

『原爆は長崎に落ちなかった』という言葉があります。それは、港長崎とキリシタン・マリアの町浦上という構造があり、原爆は浦上の方に落とされたということなのです。諏訪神社を中心とする政治、経済、宗教にとっては、浦上の原爆はもうひとつピンとこないところがあったわけです。(P263:「新・長崎学」を提唱する高橋眞司・前長崎大学教授の分析)

実際、3キロしか離れていない浦上との間に横たわる小高い山並みの陰になっていた長崎市の中心部では、爆風や光線などの威力がかなり減少したという。

一部の市民は「市街に落ちなかったのは、お諏訪さん(秋の大祭「くんち」で知られる諏訪神社)が守ってくれたおかげ」と言ってはばからなかった。そして「浦上に落ちたのは、お諏訪さんにまいらなかった“耶蘇”への天罰」との悪罵を浴びせた。それは長いキリシタン迫害の歴史のなかで醸成された長崎の一般民衆の異教徒への信仰差別が吐かせたものだった。(P264:西日本新聞の馬場周一郎記者の言葉)

この本の中では、キリスト教の歴史についても多く触れられており、キリスト教への弾圧については、教科書的な知識として知ってはいた。しかし、昭和に入って20年過ぎる頃に、ましてや原爆被害に対して、このような差別があったというのは、自分にとっては衝撃的だった。

残す意味

少し話は飛ぶが、先週の日曜から始まった日経新聞の連載「熱風の日本史」。第1回は「旧物破壊の嵐」として、明治維新の際に、文明開化の名のもとに、様々な分野で行き過ぎた前時代の否定が行われたことが紹介されている。
代表例として取り上げられているのは廃仏毀釈、廃城令による寺院、城郭などの文化財の破壊。
廃仏毀釈」としては、多くの地域で仏像、仏具が破壊・焼却されたほか、芝・増上寺や上野・寛永寺、鎌倉・長谷の大仏をつぶして外国に売り払おうという話までが出たそうだ。
また、当時、封建時代の遺物として敵視されていた城についても、1873年に出された廃城令によって全国で144城が廃城対象となり、天守閣が創建時のまま残った城は、松本、彦根、姫路、犬山、松江、高知、伊予松山、丸岡、備中松山弘前、丸亀、宇和島のわずか12城に過ぎないという。姫路城も100円で払い下げられたが、取り壊し費用が莫大になるという理由でそのまま放置されていたというのは(有名な話なのかもしれないが)、初耳で驚いた。


このように、日本人は、未来に向けて前進するために、過去の歴史をクリアにしようとする(水に流す)傾向があるのかもしれない。文庫版の『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』には、東日本大震災を受けて、かなりの内容が追記されている。

全てを残せとはいわない。しかし、南北500キロにもわたって被災した数百年から千年に一度と言われるような津波の爪痕を保存し、後世への教訓としてどう残していくのかという議論は真剣に為されていたのだろうか。
歴史資料を可能な限り残し、「記憶」を編集していくということについて、日本の社会は全体としての意識がまだまだ低いのではないか。「被害者の気持ち」という言葉が出たとたん、「被害者感情」の前に口をつぐんでしまう。
歴史を継承するための「論理」が被害者に寄り添うという「感情」にどうしても負けてしまうのである。
広島の原爆ドームが紆余曲折を経て、保存されたことで、「ヒロシマ」は辛うじて視覚化された。これまで原爆ドームの前に、いったいどれほどの人が訪れたことだろう。人々は、ドームの前に立ち「ヒロシマ」を想像し、核兵器や核戦争の悲惨さや、人類の未来について考えるだろう。そのためのきっかけとして、現存する「歴史の証人」の果たす力は計り知れないほど大きい。P310


この本のメインストーリーは、アメリカの戦後世界戦略の拡がりに関するものだった。政治的圧力よりも、もっと影響力の強いものとして、日米双方の民間の草の根をまきこんだ、それこそ「絆」を感じさせるような多方面にわたる戦略によって、日本人はどんどんアメリカを好きになるように誘導されていった。例えば「トモダチ」作戦も、その一つだろう。
作者はそういったアメリカのしたたかさを見てきたからこそ、日本の戦略性の無さに苛立ちを覚えているように感じる。さらに強い言葉で、こうも書いている。

災害にしろ、戦争にしろ、犠牲者を悼み悲しむことだけで、「鎮魂」とするならば、人間の未来に光は刺さないだろう。P311


先日も話題にしたドラマ『あまちゃん』では、東日本大震災の様子が描かれる。が、それと同じくらい印象に残るエピソードに、母親の突然の蒸発をきっかけに、アイドルを目指していたユイが夢を諦め、高校をやめて自暴自棄になる話がある。結局、ユイは落ち着きを取り戻し、母親は戻ってくるが、家族は決して「元通り」にはならない。ならないが、前に進んで行く。
“既に起きてしまったことと向き合って生きていく”というのは、何度も繰り返し描かれる、『あまちゃん』の大きなテーマだ。
そして、個人としてではなく国として、過去の戦争や災害に対して、日本は、日本人はどう向き合っていくのかということを、この本は問いかける。
そして、浦上と長崎のように、被害に差がある地域間でのわだかまりをどう扱っていくのか、そういった問題は、震災後の今だからこそ、強く考えさせるものがある。
その意味で、この本は非常にタイムリーで、今読むべき本だと思った。