- 作者: 小野不由美,山田章博
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/03/28
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「…私は、国を営むということがどういうことだか、まだよく分かっていない。良い国を作りたいと思う。けれど、良い国とはどういう国だろう?」
「それは難しいなぁ」
「豊かな国であってほしい、と思う。私は慶の国民に飢えてほしくない。だが、豊かだったらそれでいいんだろうか。私の生まれた国はそれは豊かだったけれど、良い国だったかと問われると、そうだとは言えない。豊かな分、たくさんのことがひずんでいた」
上巻p53(陽子と六太の会話)
十二国記の根っこの部分にある「良い国とはどういう国か?」という難しいテーマに真正面から挑んだ作品と言える。ここで挙げた疑問を、ラストに初勅*1というかたちでバシッと明示する。その切れ味は本当に鋭い。
特に、これを陽子に言わせるところが痺れるところだ。上に引用したように、陽子は現代日本を「良い国」とは思っていなかった。つまり、ここで陽子が辿り着く「良い国」のために必要なものは、そのままそっくり「現代日本に不足しているもの」ということになるのだ。見事過ぎて日本人に刺さる陽子なりの「答え」は、是非小説の中で確認してほしい。
このテーマで言えば、今回読んでみるまで全く予想していなかったことだが、十二国記は『ワンピース』に近いといえるかもしれない。
特に、最近では、ややパターン化してきている、理不尽な王政に耐える市民というワンピースのフォーマットが今回の十二国記に当てはまる部分が多くあるからだろう。覇気という言葉の使われ方や、差別を受ける半獣のキャラクターの活躍も似ている。
なお、『風の万里 黎明の空』では、陽子以外の2人の同世代の女性(祥瓊、鈴)を主人公として話が進んで行くが、物語の舞台である慶国だけでなく、祥瓊(しょうけい)の故郷である芳国についてもわざと、国民と国王の二つの視点を往復するように物語が描かれるのが特徴的だ。
そして、主人公の女性3人それぞれが、最初は無知で未熟な部分がありながら、人との出会いの中で徐々に成長して行く様子がいい。彼らを諭す人物たちの言葉は名言に満ちている。
鈴、言葉が通じるからといって、互いの考えていることが分かるというものでもないのです。
なまじ言葉が通じれば、分かり合えないとき、いっそう虚しい。必要なのは相手の意を汲む努力をすること、こうだと決めてかからずに、相手を受け入れてあげることなのです。(p150 黄姑の言葉)
人が幸せであるのは、その人が恵まれているからではなく、ただその人の心のありようが幸せだからなのです。
苦痛を忘れる努力、幸せになろうとする努力、それだけが真に人を幸せにするのですよ。(p152 黄姑の言葉)
空想ってのは、ぜんぜん労力いらねーもん。今、目の前の問題をどうしようとか、やらなきゃいけないことをやる、なんてのに比べたら、ぜんぜん楽。けど、その間考えないといけないことも、やらないといけないことも棚の上に置いてるだけだろ?なーんにも変わらないし、むなしーに決まってるじゃん。(p295 清秀の言葉)
なんの努力もなしに与えられたものは、実はその値打ち分のことをあんたに要求してるもんだ。祥瓊(しょうけい)はそれを分かっていなかった。だから、憎まれる。(略)
祥瓊は贅沢な暮らしをしてきたろう? それに見合うだけのことをしてきたのかい?(p318 楽俊の言葉)
王さまや公主は不便だな、なにしろ、一回玉座を失えば、やり直しはきかねえからさ。そのてん、ただの民は楽だ。死なないかぎり、やり直しのきかねえことなんてねえからさ。(p327 楽俊の言葉)
ということで、これまで以上に名言に満ちた本作。
3人のメインキャラクターだけではなく、采王の黄姑や、供王の珠晶など、他国の魅力的なキャラクターも登場し、彼女たちの国の状況も気になり、さらに先を読みたくなる、シリーズの楽しみを十二分に味わえる内容だった。
ただ、個人的な好みから言えば、祥瓊はあまり甘やかさず、もっと厳しく扱って欲しかった。(笑)
講談社文庫版の裏表紙の「あらすじ」について(ネタバレあり)
- 作者: 小野不由美
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ところが、この講談社文庫版は、イラストの問題だけでなく、裏表紙の「あらすじ」に大きな問題があった。
まずは問題がない最新版(新潮文庫)の「あらすじ」はこのような感じ。
人は、自分の悲しみのために涙する。陽子(ようこ)は、慶国(けいこく)の王として玉座に就きながらも役割を果たせず、女王ゆえ信頼を得られぬ己に、苦悩していた。祥瓊(しょうけい)は、芳国(ほうこく)国王である父が簒奪者(さんだつしゃ)に殺され、公主の平穏な暮らしを失くし哭(な)いていた。そして鈴(すず)は、蓬莱から流され辿り着いた才国(さいこく)で、苦行を強いられ、蔑まれて泣いていた。それぞれの苦難(くるしみ)を負う少女たちは、幸福(しあわせ)を信じて歩き出すのだが──。(上巻)
王は人々の希望。だから会いにゆく。景王陽子は街に下り、重税や苦役に喘ぐ民の暮らしを初めて知り、己の不甲斐なさに苦悶した。一方、祥瓊は、父が弑逆(しいぎゃく)された真相を知らず過ごした自分を恥じ、同じ年頃の娘が王に就いた国を訪ねる。鈴もまた、華軒(くるま)に轢き殺された友の仇討ちを誓い、慶へ。だが邂逅(であい)を果たす少女たちの前には民を苦しめる豺虎(けだもの)の影が。──立ち向かう者に希望は訪れるのか。(下巻)
次に講談社文庫版。
天命により慶の国、景王となった陽子は民の実情を知るために街へ出た。目前で両親を殺され芳国公主の座を奪われた祥瓊は、父王の非道を知り自らを恥じていた。蓬莱から才国に流されてきた鈴は華軒に轢き殺された友・清秀の仇討を誓った。それぞれの苦難を抱いて三少女はやがて運命の邂逅の時を迎える―。
(講談社文庫版−上巻)
思うままにならない三匹の豺虎を前に自らの至らなさを嘆く景王・陽子の傍にはいつしか祥瓊、鈴、二人の姿があった。“景王に会いたくて、あなたは人人の希望の全てなのだから”陽子は呪力をたたえる水禺刀を手に戦いを挑む。慶国を、民を守るために。果てしない人生の旅立ちを壮大に描く永遠の魂の物語。(講談社文庫版−下巻)
一般的に、裏表紙のあらすじは、中盤の山のネタバレが載っていることがままあって、基本的には読まないようにしているのだが、今回は中盤どころではないネタバレが発生してしまっている。
というのは、講談社文庫版で上巻のあらすじに書かれている内容、「鈴は華軒に轢き殺された友・清秀の仇討を誓った」のは、下巻冒頭の話であって、だからこそ新潮文庫版では、下巻のあらすじに入れてある。そもそも上巻では、ラストまで清秀は鈴の旅の仲間として同行し、まさか死ぬとは思わないキャラクターとして描かれている。自分は、上巻を中盤まで読み進めた時点で、「もういいだろう」と油断して、このあらすじを読んでしまい、ショックを受けた。
これ以上はないほどの、最悪な「あらすじ」だと思う。誰かチェックして止めることは出来なかったのだろうか。
ということで、そもそもイラストが無い時点で魅力が少ない講談社文庫版ですが、それ以上に「あらすじ」が酷くて全くオススメできません!!
参考
*1:新王が初めて発布する勅令で、王がこれからどういった国を作るのかを端的に示すためのもの