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誰にでもオススメできる2014年最も面白かった漫画〜三部けい『僕だけがいない街』(1)〜(5)

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kindleで漫画を読み始めてから、以前よりも多くの漫画に触れるようになりました。その中で、最近、特に印象的だった設定のよく似た二つの漫画があります。ひとことでいえば、「主人公が小学生に戻るタイムスリップもの」ということになりますが、

  • 主人公が30前後の男性(漫画家志望)である
  • 彼は、現在進行形の世界に強い不満がある・もしくは、どうしても変えたい事件が発生した
  • 突然、自らの小学生時代にタイムスリップして、大人の記憶を持ったまま、以前と異なる生き方を試すことができるようになる

という部分が共通しています。


いずれも連載中の漫画で未完ではありますが、読後の評価は両極端で、一方は2014年に読んだ最も後味の悪い漫画であり、もう一方は2014年に読んだ中で最高に面白い漫画となりました。
後者の漫画こそが、三部けい僕だけがいない街』です。(前者の漫画については、今回は触れません。)
今回、「このマンガがすごい!」のインタビュー(2014年6月・4巻発売時点:ネタバレあり)がとても充実しているので、この記事も引用しながら、自分が『僕だけがいない街』のどこに惹かれるのかを以下の4つにまとめてみました。

  • (1)サスペンス・ドラマとしての完成度
  • (2)単行本のまとめ方の巧さ
  • (3)強いメッセージ性
  • (4)生きている登場人物とその言葉


このうち、(2)以降は、ネタバレを意識せずに書いています。それほど核心に触れた内容はないのですが、この作品自体は何も知らない状態で読み始めるのがベストだと思いますので未読の人は飛ばして頂くようお願いします。というよりも、未読の人は、まず一巻を読むことをお勧めします。(1巻についてはkindleではセールをやっていることが多いです。自動的に5巻まで読み進める羽目になると思いますが…笑)

毎日を懊悩して暮らす青年漫画家の藤沼。ただ彼には、彼にしか起きない特別な症状を持ち合わせていた。それは…時間が巻き戻るということ! この現象、藤沼にもたらすものは輝く未来? それとも…。
Amazonあらすじ)

インタビュー記事はこちら。

(1)サスペンス・ドラマとしての完成度

基本的には「ホワイダニット(なぜ殺したのか)」「フーダニット(誰が殺したのか)」が中心に据えられた話となりますが、自らが容疑者に仕立てられながらの犯人探しという設定がサスペンス度を高めます。これは、映画でいえば『逃亡者』などと同様の展開となっていますが、過去(1988年)の事件の真相究明と、現在(2006年)の事件の犯人探しが平行して展開しているのが特徴です。
18年前の事件を追いかけるという部分で有効に機能しているのが再上映(リバイバル)というSF設定です。これは、直後に起こる「悪いこと(事件・事故等)」の原因が取り除かれるまで、その直前の場面に何度もタイムスリップしてしまうという、主人公だけが持つ「症状」*1です。このあたりの重要設定は、物語の流れの中で理解ができ、説明がくどくて物語の邪魔をするようなことがないのも上手いです。
さらに、伏線が巧妙で、5巻でほぼ確定的となった真犯人を巡る犯人探しも、1話目から読み直しても破綻したところがほとんどなく、ミステリとしての完成度が非常に高いと思います。この点の素晴らしさは、読んだ人のほとんどが指摘する部分で、とてもよくまとまった伏線読み込みのサイトもあります。







(以下からネタバレあります)

(2)単行本のまとめ方の巧さ

1巻から5巻まで、それぞれのラストはどれも印象的で、単行本のまとめ方が非常に巧みです。

  • 1巻:18年前の1988年に戻っていることに気が付く(雪の降る小学校の見開き大ゴマ)
  • 2巻:Xデーを乗り切った翌日、雛月が学校にこない、つまり未来を変えられなかったことが分かる
  • 3巻:2006年において愛梨から真犯人の情報を得てすぐに、藤沼悟逮捕。(真犯人と目が合う)
  • 4巻:雛月加代の虐待の件が一旦解決。(八代に父親像を見出しながら雪の中で明るい未来を信じる)
  • 5巻:これまでと違った表情をする八代に驚くと同時に危機に陥る(見開き大ゴマ)


このように、4巻を除く全ての巻で、急展開がありつつそのままラストとなっており、読み始めたら途中で漫画から離れることが難しくなっています。インタビューを見ると、1巻の構成は担当の目論見通りということのようで、それが成功しているから続刊も同様に…となっているのでしょう。

(担当) コミックスの構想は比較的早く決まりました。1巻ではどこまで物語を進めるかを決め、そこから各話のエピソードを詰めていく感じですね。

(三部) 俺は母親が死ぬところまでを1巻だと考えていたんです。でも担当さんから「前の時代にさかのぼるところまで入れられないか?」と相談され、俺も「なるほど。そっちのほうがおもしろい」と思ったんです。それが4話目を描いているときだったので、4話目から急に話がスピードアップしてるんですよ。

第1巻のクライマックスである主人公の母・佐知子との別れ。

(担当) チェンジ・オブ・ペースというか、1巻の終わりまでいくと、それまでとはまったく違う世界が始まりますからね。1巻の終わりまで読んでもらえれば、このマンガをおもしろいと思ってくれるはずでは、と考えていました。

(3)強いメッセージ性

後でも述べますが、この漫画は自己啓発的ともいえる強いメッセージに満ちています。
中でも読者に最も強く語りかける中心的なメッセージは、「自らの行動によって未来は変えることが出来る」ということです。
通常であれば、タイムスリップもの、ループものでは、「未来を変えられて当然」なので、こういったメッセージは読者の心には響かないはずです。読者は、言葉の意味は分かっても、読む側の世界とは地続きでない「お話」としてしか受け取ることが出来ません。
しかし、そこは巧く工夫が施されており、序盤に、物語の中でも、「未来を変えること」が困難であることが繰り返し描かれます。
例えば、未来を変えるために、雛月加代を科学センターにデートに連れて行くことに成功した際に、(ひとりで科学センターに行った)以前の1988年にも、雛月とは同じ場所で会っていた(同じ刻のレールに乗ってしまっていた)ことに気付くエピソードがあります。このように、1988年に戻った1度目のリバイバルでは、時を遡っても、世界は微かに生じた綻びを直すように進み、未来を変えることができないのではないか?という不信・不安が払拭できませんでした。むしろ1度目のリバイバルは、「生半可な行動では未来を変えることはできない」ということを伝えるような展開になっています。
自らの逮捕(3巻末)後の2度目のリバイバルで、雛月の事件遭遇と家庭虐待をともに(一時的に)解決することができ(4巻末)、これによって悟はようやく「未来を変えることができる」ことを信じることができるようになります。

雪が景色を真っ白く塗り替えていく
俺にも出来るだろうか?


未来は常に白紙だ
自分の意志だけがそこに足跡を刻める
加代の向かう未来が明るい場所であることを俺は信じる
(4巻p191)


インタビューによれば、この漫画はもともとヒューマン・ドラマとして企画されており、読者に毎月読んでもらう工夫としてサスペンス要素が足されているようなので、こういったメッセージを強く受け止めるのは、まさに作者の意図している読み方なのではないかと思います。

(3)生きている登場人物とその言葉

好きな作品の特徴として、「登場人物が無駄死にしない」「駒として扱われない」というものがあります。
僕だけがいない街』では、その部分が徹底されており、作者・三部けいの考える「物語の登場人物(キャラクター)」の扱い方が、まさに作中の冒頭で、主人公・藤沼悟を通して語られています。

一番応えたのはこの言葉だ
「あのですね…作品から『作者の顔が見えてこない』んですよね…」


これは「自分」と「キャラクター」を同化させるということではない
キャラクターの心の奥まで掘り下げる事によって出てくる
「読み手の心に届く言葉」が足りないという意味だ
それは同時に、自分の心を掘り下げる作業でもある
「踏み込んでいない」部分があるとしたらそこだ


怖い
踏み込むのが怖い
自分が「何も無い」者、「つまらない」者であること…
それを確認してしまうことが怖い
(略)


日々心によぎる「あの時こうしていれば」という言葉
後悔の言葉なんかじゃない
「こうしていれば出来たはず」という
自分の心が真に折れるのを防ぐ言い訳だ


その言い訳が成り立たない領域…
「自分の顔」をさらして他者から評価をされるということ…
自分自身の存在そのものにイエス・ノーをつきつけられるようで
怖い
(1巻#1p6)

例えば、典型的な例として第11話(2巻#11)だけを見ても、悟が科学センターの展示物の中でもエゾヒグマの標本を「友達」のように認識していたという話は、伏線でも何でもありません。しかし、物語の展開に関わりのないエピソードも、昭和63年当時の悟の価値観をよく表しており、結果として、悟が「生きた登場人物」として読者に迫ってくることになるのです。また、同じ回で、虐待の止まない雛月の母親に対して救いの手を延べるような佐知子(悟の母)のアプローチも、彼女の考え方をよく表していると同時に、漫画によっては「悪」としてしか描かれない雛月・母にもある人間性が見え隠れすることになります。


その佐知子の考え方の基本的な部分は、本人から他のところで語られています。

悪かった部分を考えるウチはダメに決まってるべさ
いい所を伸ばす事を考えな(略)
自分に出来る事なんて限られてるっしょ
後から「自分のせい」なんて思うのは思い上がりってもんだべさ
(3巻#13p19)

この言葉は、(元)石狩テレビの澤田が「佐知子さんの受け売り」として悟に話しています(3巻#16)が、これによって作中の登場人物たちが、お互いを尊敬し合い、影響を受け合って、作中世界を必死に生きていることが分かります。


また、主要登場人物の一人・片桐愛梨の人生観の根本にあるのは「信じる」という言葉です。
3巻#15【信じたい】で語られる「父親の万引き事件」に絡めて愛梨は次のように語ります。

「信じてもらえない」ことって
すごく怖いことだと思う


愛梨の「信じたい」は自分の為だよ
誰かに「信じて欲しい」の裏返しなんだよ
(3巻#15p92)

これに対して、愛梨の母親は「愛梨を信じてる」(3巻p154)と身代わりを引き受け、悟は逮捕直後に「君が信じてくれたから僕はまだ頑張れる。ありがとうアイリ、君を信じて良かった」(3巻p183)と返します。ここも、作中の登場人物たちの言動が互いに影響を受け合っていると解釈できる部分です。


「主要」とはやや外れる登場人物にもそれぞれの想いがあります。例えば作品冒頭の2006年現在で確定死刑囚となっているユウキさん(白鳥潤)。

真似してみたらどうかな?
ひとつでもふたつでも出来る事だけ
恥ずかしがらず勇気を持って
(1巻#2P71)

そもそもユウキさん(白鳥潤)は、何事にも「勇気」「勇気」と繰り返し語るために、ユウキと呼ばれているのであり、その意味で主張の強い人なのです。この言葉も、後に出てくる悟のモノローグの中で再登場します。


これらの工夫によって、『僕だけがいない街』は、ゲームのイベントのようにプロットのみを接ぎ木したのではない、厚味のある物語となっているといえます。登場人物たちは駒ではなく、それぞれが作中世界を必死に生きているからこそ、そこから生まれる物語に一層引き込まれるのです。


まとめ

僕だけがいない街』を自分が好きな理由は、大きく分けて、エンターテインメント要素(1)(2)と、読者へのメッセージの要素(3)(4)の二つがあります。(1)(2)の点について面白い漫画や小説は数多いですが、(3)(4)も満足度の高い作品は少なく、(3)(4)の部分こそが、作品の一番の魅力だと思います。
繰り返しになるかもしれませんが、例えば、片桐愛梨の

「言葉」ってさ口に出して言ってるうちに本当になる気がする(1巻#1p41)

という台詞は、字面だけ見ると陳腐ですが、場面・話者の表情・性格などが絡み合って、その台詞が字面だけではない「力」を持つことができます。これこそが「物語」の持つ力で、物語の力を最大限に発揮することに意識的な作品なんだと思います。
これから大きく「真犯人」に向かう物語がどうなるのかは分かりませんが、5巻までの登場人物たちの描かれ方を見ていれば、この漫画を面白くなく着地させる方が難しいんじゃないかと思います。繰り返し読むに値する、2014年最も面白い漫画で、2015年最も楽しみな漫画です。


メモ

疑問に思っている点をいくつか。(何かの勘違いかもしれませんが…。)

  • タイトルは、インタビューによれば「文芸の臭いがするタイトル」ということで付けたようだが、雛月の作文「私だけがいない街」の内容を考えると、物語の悲劇的な結末が予想されるが…。
  • 1巻p106 ショッピングセンターの駐車場という衆人環視の中での誘拐は、犯人にとってリスクが大き過ぎないか?
  • 3巻p127 「凶器から母、悟、娘の指紋」とあるが、愛梨の指紋はいつついたのか?
  • 3巻p146 「白鳥潤は小児性愛に加え、同性愛の傾向にあると結論」とあるが、犯人の同性愛傾向を語り出すと、男であるヒロミを女と間違えて誘拐した、という前提と矛盾しないか?
  • 4巻p17 アッコねえちゃんを狙っていた変質者は加渡島建設の社長なのか?佐知子が会社を辞めた理由と関係がある?
  • 4巻p82 ここでのモノローグ「悟…俺はお前の予備(スペア)だ。」に代表されるよう、ケンヤは状況を理解しすぎている?

*1:三部けいさんがアシスタントを務めていたという『ジョジョの奇妙な冒険』風に言えば、主人公が持つ「スタンド能力」ですが、能力の発動を自らコントロールできない部分がスタンド能力と異なります。