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肉体が全てを物語る〜ミッキー・ローク主演『レスラー』

レスラー [DVD]

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栄華を極めた全盛期を過ぎ去り、家族も、金も、名声をも失った元人気プロレスラー“ザ・ラム"ことランディ。今はどさ周りの興業とスーパーのアルバイトでしのぐ生活だ。ある日心臓発作を起こして医師から引退を勧告された彼は、今の自分には行く場所もなければ頼る人もいないことに気付く。新しい仕事に就き、疎遠だった娘との関係を修復し、なじみのストリッパーに心の拠り所を求めるランディ。しかしその全てにつまづいた時、彼は悟る、例え命を危険にさらすことになっても、自分はプロレスラー“ザ・ラム"としてしか生きることが出来ない男なのだと―。


評判がいいのは知っていた。
ピークを越した、かつてのスーパースターが、どう年を取っていくか。
そんなテーマの映画なのかなと思っていた。
いや、観てみると、「映画賞54冠」は伊達じゃない凄い映画だった。
特に、テーマが…とそういうのではない。言葉ではなくて映画だから映像だから伝わるものがとても多いと強く感じた。


具体的には、言葉ではなく体だ。
ストーリーよりも肉体の変化が気になって仕方がなかった映画はこれまでになかった。
とにかく主人公ランディを演じるミッキー・ロークの肉体が全てを語る。

  • 年をとっても元気であるという映画前半の「現役」感
  • 試合での出血、傷の生々しさから湧いてくる「痛み」
  • 私生活で、補聴器をかけて眼鏡をかけたときに滲み出る「老いさらばえ」感
  • 胸の手術跡の痛々しさと、もう「”全盛期”を取り戻せない」感じ

確かに、プロレスというのは、その肉体で紡ぐ物語なのかもしれない。その意味では、この映画はプロレスを体現していると言える。
仕事もプライベートも何となく上手く行きかけた中盤以降、淡い期待のあったストリップクラブのキャシディからの愛情も、何とか取り戻したかに見えた一人娘のステファニーからの信頼も、自分のせいで全て駄目にしてしまう。その流れさえ、ミッキー・ロークの肉体が表現しているようだった。
というか、ほとんど、ミッキー・ロークのドキュメンタリー番組を見ているような展開で、どこまでが真実か教えてほしいという気持ちになる。


この映画で、後半、およびラストでランディ(ミッキー・ローク)が取る行動は、自らの不幸を顧みず、破滅的なまでに今を生き抜く「男のロマン」に満ちている。こういう人は現実にいると迷惑な気もするが、筋が通っていて感動を誘う。
ちょうど読んでいた夢枕獏神々の山嶺』とも共通するカッコよさだった。

だが、と考えている。
人は、生きてゆかねばならな。この自分も、あと何年か何十年かは知らないが、生きてゆかねばならないのだ。
どうでもいい時間であろうが、どうでもよくない時間であろうが、死ぬまでその時間は生きてゆかねばならない。
どうせ、生きてゆく。
生きてゆくそのことはわかっている。
そのことがわかっているのなら、死ぬまでのその時間は、何かで埋めなければならない。どうせ、何かでは、埋めることになる。
それがわかっているのなら…
どうせその時間を埋めるのなら、たどりつけないかもしれない納得、何だかはわからないがあるかもしれない答え、踏めないかもしれない頂に向かって足を踏み出してゆくこと、そのようなもので埋めるのが、自分のやり方だろう。
夢枕獏神々の山嶺』(上)p354)

とにかく、ミッキー・ロークといえば「猫パンチ」だった、自分の印象がガラリと変わった映画。
何のために生きるのか。
そんな深い疑問を投げかけられた感じだ。