Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

10年ぶりの夢枕獏〜夢枕獏『神々の山嶺(上)』

神々の山嶺(上) (集英社文庫)

神々の山嶺(上) (集英社文庫)


驚いたことに、本当に驚いたことに、10年ぶりの夢枕獏だ。
中高生〜大学生の頃はあんなに夢中になって読んでいたのに、このブログの中で取り上げていないなあ…と思ってはいたが、著作の感想を書くのは、2007年1月のたむらしげるとの共著『羊の宇宙』以来ということになるので、実際、それだけの期間読んでいないと思う。
こんなに離れていた原因は、自分の「固め打ちしない主義」にある。この人の作品をもっと読んでみたいと思ったとしても、「ばっかり読み」はしない。そもそも、小説というジャンルも、数冊続けば、新書やノンフィクションを読むようにする、一種の強迫観念があるのかもしれない。昔読んだ清水義範の短編に、人生のイベントも含めて全てのバランスを意識する人の話があったが、とても納得しながら読んだ覚えがある。
特に、ここ数年は、未読作家の中でも、女性作家を贔屓して読む傾向にあったので、高校〜大学時代に好きだった田中芳樹夢枕獏新本格系のミステリ作家などはとにかく後回しになってしまっていたのだった。


ということで、久しぶりに読んだ夢枕獏だが、予想以上に時間がかかった。
確かに文庫上巻だけで500頁近くあるから、時間はかかるのだが、なかなか波に乗れなかった。
後半になるにつれ、ミステリ(謎解き)要素が増えてくるので、一気に読みやすくなるのだが、前半は専門用語が頻出する登山シーンが、イメージしづらかったのが理由だと思う。ビヴァークだとか、ツェルトだとか、靄がかかったようなイメージのまま読み進めていた。ここら辺は谷口ジローの漫画を読もうと思うので、最終的には問題なくなるだろう。
あらすじは以下の通り。

カトマンドゥの裏街でカメラマン・深町は古いコダックを手に入れる。そのカメラはジョージ・マロリーがエヴェレスト初登頂に成功したかどうか、という登攀史上最大の謎を解く可能性を秘めていた。カメラの過去を追って、深町はその男と邂逅する。羽生丈二。伝説の孤高の単独登攀者。羽生がカトマンドゥで目指すものは?柴田錬三郎賞に輝いた山岳小説の新たなる古典。


物語は、主人公・深町が、現在は所在不明である羽生丈二の半生を、関係者の意見を聴きながら再構成することで進んでいく。


上巻での読みどころは、中盤の7章に登場する羽生丈二の手記だろう。
モンブランの北東にあるグランドジョラス北壁に単独で挑んだ羽生は滑落。しかし、後に「奇跡の登攀」と呼ばれる片腕だけの脱出行を成し遂げることになる。手記は、その際に書かれたものだ。
途中からどんどん文章がシンプルになってくる。何しろ五体満足ではない。負傷した身で、闇の中で書かれた文章だ。最後はほとんどが平仮名だ。
そんなわけないだろ、と思いつつも、これだよ!これだよ!平仮名だけで頻繁に改行されるような切羽詰まった文章が好きだった!これこそが夢枕獏だよ、と興奮しながら読んだのだった。

(一部抜粋)
そうか。
あしたは、やるぞ。
これまで、にじゅうねんちかくも、おれは、岩にしがみついて、のぼることだけやってきた。
あしたの25メートルは、みせてやる。
これまでのおれのありったけを。
きし。
きしよう。
もういちどかおをだせよ。
p288


さて、この本の構成は、驚いたことに、映画『凶悪』にそっくりだ。『凶悪』で、「先生」の悪を暴こうとして、取材を続ける雑誌記者・藤井の様子は、そのまま羽生丈二を追い求める深町の動きと重なる。取材の成果によって、当時の状況が、リアルタイムにその場所にいるような視点で再現されるのも同じだ。
そして何より、深町が羽生丈二の居場所とカメラを突き止めようとするメインストーリーに対して、深町本人の女性問題が、「今そこにある危機」として描かれる。ここもサブストーリーとして、藤井の家庭問題が描かれ続ける『凶悪』と同じだ。


しかし、映画『凶悪』の「先生」が半ば過去の人間として描かれるのとは異なり、上巻のラストで、深町は羽生丈二と直接会うことになる。深町は常に関係者の証言を通してしか羽生丈二には触れられないのかも、と予想していた自分は相当に驚いた。
バディものの映画っぽい流れになった『神々の山嶺』が下巻でどのように展開するのか、本当に楽しみだ。


なお、昨年の映画は、このようなキャストだという。
夢枕獏の作品は、何となく谷口ジローで映像化している自分にとっては、岡田准一は少し違う気がする。もう少し上背のある人の方が似あう気がする。岸涼子、岸文太郎、長谷渉はイメージ通りかもしれない。