Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

独特の「文法」は漫画のコマ割り〜夢枕獏『キマイラ2 朧変』

2巻は、山の中の描写が多い。冒頭は丹沢に来た男女の登山客が迷うシーン。
先に進めば進むほど「怖い」空気が濃くなるこの場面での言葉の選び方が上手い。
漢字文化の日本だから可能こと事なのだと思うが、意味ではなく、ビジュアルが怖いのだ。
例えば、迷い込んだ男の不安が恐怖に変化する場面。

また下り始めて間もなく、これまで歩いていた道が、いつの間にか消えていることに男は気がついた。キャラバンシューズの底が踏んでいるのは、斜面一面に生えた羊歯であった。
男はぞっとした。
見えない何ものかに、騙され、陥れられたような気がした。p14

ここで、「斜面にはえたシダ」なら怖くないが、「斜面一面に生えた羊歯」だと、一気に気持ちが悪くなる。一面に「歯」が「生えて」いるイメージが浮かぶからだ。
「けもの道」ではなく「獣道」、「食う」ではなく「喰う」という文字が選ばれているのも同じような効果を生んでいる。


そう考えて見返すと、キマイラはビジュアル的に面白い。ある種の詩のようでもある。
平仮名の、漢字の、文字そのものが持つビジュアルイメージが小説の内容に侵食している。
それは、本人も書いているように「漫画」をライバルにしているからなのだろう。

30歳そこそこで『キマイラ』を書き出した時、心に決めたのは、
「漫画よりおもしろい」でした。
ジュブナイルラノベ)とか、大人の読み物とかいう考えを頭の中からとりはらう。
とにかくおもしろいものを。
(角川文庫『幻獣少年キマイラ』あとがき。2013年7月15日)

つまり、漢字の選び方や、独特の改行の多さ、そしてキマイラの叫び声などの、いわば「キマイラ文法」は、漫画の「コマ割り」に対応しているのだと思う。
特に戦闘シーンでのスピードと、久鬼や大鳳が人間の枠を徐々に超えていく部分では、「キマイラ文法」が存分にその力を発揮する。
「怪鳥(けちょう)」のように舞い、「猿(ましら)」のように駆ける、など、るびで読ませる漢字が多用され、キマイラ化する場面では、その声が平仮名で展開される。

久鬼の肉体の内部から、それがゆっくりと這い出ようとしているのだ。久鬼の肉体が軋み、皮膚の下で、イモ虫のようなものが、もぞもぞと動いている。気が遠くなり、眩暈を起こしているような、現実味を欠いた光景だった。
ごっ、
ごご、
ごご、ごぐぐぐ……。
何かを詰まらせているように、久鬼の喉が鳴った。
ぎ、
ぎ、
ぎる、
ぎる、
ぎるるり、
ぎるぎるりるるる……。
(2巻p192)

読み手としては「待ってました!」と言いたくなる様式美もある、こういった「キマイラ文法」は、小説のストーリー以上に、物語の魅力になっているのだと思う。今回読み直すまでは、天野善孝のイラストが、漫画顔負けのビジュアルイメージを支えていたと思っていたが、それ以上に「キマイラ文法」の力が強かったのだと思い直した。
なお、2巻は「朧変」という副題がついているが、人間か獣かはっきりしない「キマイラ」という存在を表しているという「意味」以上に、月(美しいものの象徴)と龍(人を超えて強いものの象徴)が合わさったビジュアルイメージを考えると、最高の副題だ。勿論、この巻で初登場する龍王院弘の「龍」が入っているのも良い。

2巻の話

  • 久鬼麗一が姿を消してから一か月半。久鬼と由魅は退学して所在不明。大鳳は、雲斎のもとで修業をしていたが、夏休みに入り「山にこもる」と言って、丹沢に入ってしまった。
  • 「話がある」と言って九十九を海に連れ出して喧嘩をしかけた坂口は、大鳳と深雪への謝罪を伝えるとともに「菊水組のやつらが大鳳を探している」と言う。その後、阿久津に聞いても、それは本当の話らしい。
  • 話を聞いた雲斎は、久鬼の父親、久鬼玄造に直接会うように、九十九に助言する。一方で、雲斎本人は明日から「大鳳のことで」台湾に行くことになったという。
  • 酒を飲み交わした帰り道、九十九は謎の人物(龍王院弘)から襲撃を受けるも何とか無事。
  • 2巻の冒頭シーンで遭難していた男女2名の登山客の死体が見つかるも、熊のしわざではないかということになる。
  • 九十九が龍王院弘に襲われた翌日(つまり、雲斎が台湾に出発する日)に、円空山に菊水組の市川というチンピラら3人が訪れる。その後、龍王院弘が登場し、大鳳の情報をめぐって九十九と対決することに。しかし、龍王院はその途中で帰ることに。
  • 翌々日、久鬼邸で、久鬼玄造と話をした帰り道、九十九は由魅と会う。箱根の久鬼玄造の別荘に久鬼は囚われており、明日、久鬼を助けにいくつもりだという。
  • 円空山に向かう途中で、菊水組の車に拉致されそうになった織部深雪を坂口が救う。しかし、龍王院弘が坂口の指を一本ずつ折る様子を見て、深雪は、大鳳が丹沢の山に入ったことを教えて、自ら車に乗り込むことになる。
  • 坂口から深雪がさらわれたことを聞いた九十九は菊水組の事務所に殴り込み、沼川から、大鳳を探していたのは、久鬼玄造の指示であったことを知る。
  • 九十九は由魅とともに、箱根の別荘に侵入し、久鬼を救おうとするも、屋敷の連中との争いの途中で久鬼がキマイラ化。そこに亜室健之が登場し、暴走する久鬼を麻酔銃で撃って、由魅とともに、車でその場を立ち去る。
  • 深雪と大鳳を探す九十九は、丹沢に入って5日目に大鳳を見つける。さらに、山に迷い込んだ黒豹に致命傷を負わせ、龍王院弘を助けることになる。しかし、深雪の声を聞き油断した九十九の太ももに龍王院弘はナイフを突き、それをきっかけに大鳳はキマイラ化。深雪を奪おうとするも、九十九に阻まれ、人間の表情を浮かべなどしながらその場を離脱。さんざん走った先で久鬼麗一と出遭う。