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振り回される上巻〜佐藤正午『鳩の撃退法』(上)

鳩の撃退法 上

鳩の撃退法 上

かつての売れっ子作家・津田伸一は、無店舗型性風俗店「女優倶楽部」の送迎ドライバーとして地方都市で暮らしている。
街で古書店を営んでいた老人の訃報が届き、形見の鞄を受け取ったところ、中には数冊の絵本と古本のピーターパン、それに三千万円を超える現金が詰め込まれていた。
「あんたが使ったのは偽の一万円札だったんだよ」
転がりこんだ大金に歓喜したのも束の間、思いもよらぬ事実が判明する。
偽札の動向には、一年前に家族三人が失踪した事件をはじめ、街で起きる騒ぎに必ず関わっているという裏社会の“あのひと"も目を光らせていた。


ここまで振り回される小説は久しぶりだ。
佐藤正午は『月の満ち欠け』で、第157回(今年前半)の直木賞を受賞。
基本的に、直木賞は、文芸というよりエンタメ寄りという理解は間違っていないはずだし、以前読んだ『ジャンプ』も、エンタメ小説として優れていて、大満足だった。
その頃に話題になっていた『鳩の撃退法』も、山田風太郎賞を受賞したということで、『ジャンプ』同様のエンタメ感を期待して読み始めた。


エンタメ小説が何か、という厳密な定義は置いておいて、自分がそれに何を期待しているのかを書く。
自分が思うエンタメ小説は、読者が迷わない小説だ。作者が、その小説の読み方、楽しみ方を序盤で提示して、読者は、そのレールにしたがって楽しめばいい。
よく、ジェットコースター小説という言い方をするが、ジェットコースターに乗る際に、乗り方で迷ったりはしない。好き嫌いはあるが、乗れば、どこで盛り上がるように作ってあるのかは自明だ。
したがって、ほとんどのミステリ小説は、序盤に「解くべき謎」が提示され、それが解決されて終わりを迎える、という典型的なエンタメ小説といえる。


そして、帯の文句を見る限り、『鳩の撃退法』は、明らかに「迷わない」、典型的なエンタメ小説なのではないか、と思ったのだった。

この作者の新作を、ずっとじっと、ひたすら待っていました。
待っていたその時間も、一瞬で読む快楽に変わります。 角田光代さん(作家)


睡眠不足必至!著者5年ぶりとなる待望の長編小説


ところが、実際に読んでみると、迷いに迷う。
上巻の中盤まで進んでも、この話の中心に来るものが何なのかがさっぱり分からない。


まず、冒頭でクローズアップされる幸地秀吉は主人公でなく、2章の最後に登場する「僕」こと、小説家・津田伸一の方が語り手であり、その後、小説内には、たびたび津田が書いた文章(と、文章への津田の意見)が登場する。このようなメタ構造自体が、この小説を迷いやすくしているが、問題は、読者が何を追いかければいいのか、が、なかなか見えてこないことだ。
確かに、事件は起きている。一家失踪事件と偽造紙幣の事件が物語の中心にあるのだろうことは分かる。
しかし、津田がこのように注意を書かなければならないほど、緊張感がない。

彼らの失踪はいまも続いている。
幸地秀幸と、彼の美しい妻と、そして舌足らずな四歳の娘の生死は依然不明のままだ。つまりこれは、いまあなたが読んでいるこれは、基本、深刻な物語である。(p83 4章)


緊張感がないのは、語り手である津田に真剣さが感じられないことに関係がある。
偽札事件がメインならば、自分が窮地に追い込まれないように、必死で「キャリーバッグ」の謎を解くべきだし、失踪事件がメインなら、そこに向けて少しでも調査を行うだろう。
しかし、それらに取り組む様子は見られない。
特に脈絡もないままに、綴られる文章の時系列も昨年と今年が錯綜するので、本当に振り回された。
内容を復習するために、各章の時系列と簡単なポイントを並べると、以下の通りである。

  • 1.〜昨年2/28 17:30 幸地夫妻
  • 2.昨年2/28 3:30〜 津田×幸地
  • 3.昨年2/28 18:00〜21:30
  • 4.現在(その後1年を経ての振り返り)
  • 5〜6.今年5/7 11:00〜 慎改よりキャリーバッグを受け取る
  • 7.今年5/10 キャリーバッグの中を確認
  • 8.今年5/中 キャリーバッグの中身について考察
  • 10.今年5/26 散髪
  • 11.今年5/27 21時〜 (偽札指摘前のまとめ)
  • 12〜13.今年5/27 21:30〜 社長から偽札に指摘
  • 14.今年5/27 23:30〜 券売機で偽札であることを確認
  • 15.今年5/28 1:00〜 帰宅
  • 15.今年5/29 11:00〜 沼本に1万円借りる
  • 17.今年6/2 2:30 沼本に電話
  • 18.(ここまでの振り返り)
  • 19〜21.今年6/2 3:00〜 「スピン」でのエピソード
  • 22.昨年2/28 21:30〜 慎改、高峰、晴山
  • 23.翌朝 慎改家のベビーシッター
  • 24.昨年3/上 高峰秀子の噂 
  • 25.昨年3/中 高峰と最後に会う。晴山の荷物預かる。
  • 26.昨年6月 同居の銀行員にキレられる
  • 27〜29.今年6月 沼本にハンディカム借りる
  • 30.2年前夏〜昨年2/28 23:30〜 幸地夫妻、晴山

30章と1章が円環構造になっており、失踪した幸地一家の夫婦関係(と不倫関係)が明らかになったことで、やっと、失踪事件について興味を持てるようになったのは救いで、これが無ければ、下巻を読み始めなかったかもしれない。
上巻時点では、タイトルの意味も全く分からず、偽札事件も失踪事件とどう絡むのか見えてこないが、ここまで振り回してくれた落とし前をどうつけてくれるのか、という、半ば喧嘩腰の姿勢で、これから下巻を読み始める。
なお、「鳩の撃退法」で検索したときに、このような↓撃退グッズが出てくる。さて、本作のタイトルの意味はどうなのでしょうか?

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⇒下巻の感想はこちら:小説完成を祈る下巻〜佐藤正午『鳩の撃退法』(下)