Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

コロナ禍で読む感染症漫画~朱戸アオ『リウーを待ちながら』

富士山麓の美しい街・S県横走市──。駐屯している自衛隊員が吐血し昏倒。同じ症状の患者が相次いで死亡した。病院には患者が詰めかけ、抗生剤は不足、病因はわからないまま事態は悪化の一途をたどる。それが、内科医・玉木涼穂が彷徨うことになる「煉獄」の入り口だった。生活感溢れる緻密な描写が絶望を増幅する。医療サスペンスの新星が描くアウトブレイク前夜!!


3年くらい前のビブリオバトルで紹介されて、気になりつつも放置していたものを、読むならこのタイミングしかないだろう、と手に取り、一気に読み終えた。
ただし、コロナ禍で、高嶋哲夫『首都感染』と韓国映画『FLU 運命の36時間』を見ており、ウイルス(感染症)パニックのフィクションは慣れてしまっているせいか、期待していたほどの衝撃はなかった。
むしろ、以前読んだ『ネメシスの杖』と比べると、やや尖ったところの少ないストーリーであるとも感じてしまった。

首都感染 (講談社文庫)

首都感染 (講談社文庫)

FLU 運命の36時間(字幕版)

FLU 運命の36時間(字幕版)

  • メディア: Prime Video



考えてみると、理由のひとつは、先行作品が都市部を舞台にしているのに対して、あえて地方を舞台にしていること。これによって、「日本」としての切迫感が小さくなってしまったように思う。
自衛隊の海外派遣隊員が帰国時に持ち込んだという設定から地方(富士山の麓の駐屯地で、作品内の地名は横走市)を舞台にしており、確かに、無意味に都内で感染が広がる設定にするよりもリアリティはある。
しかし、やはり「コロナ禍」という状況では、一地方のみで生じるエピデミックという状態にはあまり怖さを感じず、「こういうことがあったら怖いな」という方向での素直な楽しみ方ができなかった。
(勿論、ここで取り上げられる新型ペストが非常に致死率の高い病気であることは理解しているが)


もうひとつは、キャラクターの描き分け。
ネメシスの杖』のときには全く気にならなかったし、メインキャラクターが少ないのにそう感じたのは、おそらくメインキャラとモブキャラの区別がつきにくかったため。 一読目に、「あれ?この人誰だっけ?」と思うことが何回かあり、再読してみて初めて、序盤から終盤までの人物の一致を理解できた部分がある。(それが分かるとよく出来た構成)

理由を考えてみると以下のようなものが考えられる。

  • ネメシスの杖』のときは単行本で、今回はkindleで読んでいる
  • 防護服やマスク姿で登場するキャラクターが多く、「顔全体」の登場頻度が少ない
  • 直前に、他メディアと比較して「顔」の主張が強い「ドラマ」で類似作品を観ていた(ドラマ『アンナチュラル』第一回)

上述した3つの理由のうち、2つは読者である自分自身の問題なので、作品というよりは受け手の感覚の問題なのかもしれない。
切迫感を感じなかった原因も、結局は、この部分が影響しているのだろう。  


一方で、コロナ禍だからこそわかる漫画のリアリティ、そして、現実との違いもあった。
まず、非常事態宣言発令、濃厚接触者の確認と自宅待機の措置。このあたりは現実の通りだ。
『首都感染』についても同じように感じたが、これは、考えてみると、2009年~2010年の「H1N1新型インフルエンザ」の流行で日本でも一度経験済みで、これを受けて2012年5月に「新型インフルエンザ等対策特別措置法」が公布されていることから、法の手続きおよび、パンデミックのシナリオがある程度できており、そのシナリオをなぞった内容になっているのかもしれない。
その意味では、『アンナチュラル』『首都感染』は、シナリオ通りともいえ、逆に『リウーを待ちながら』の新奇性は、対象が新型ウイルスではなく、ペストであることだ。
しかも、『リウーを待ちながら』のペストの設定が巧いのは、途中からペスト菌が変異しており、いわば第一波と第二波があること。
このあたりは、今のコロナウイルスの状況とも通じるところがある。


ただ、コロナ禍で一番うんざりしていることで、このようなフィクションが描かない重要なポイントは「時間」の問題だ。つまり、現実には、フィクションで描かれるほど短期間では収束しない。結果として、感染拡大防止と経済の立て直しという矛盾した二本を同時に進めなくてはいけない困難に直面する、
『首都感染』は、おおまかに言えば、初期に厳戒な首都封鎖(ロックダウン)を行うことで防ぎ切るという展開で、これは、コロナで言えば中国の対応に通じるが、現実には、ロックダウンが成功したかに見えた中国でも未だに感染者が発生している。
(勿論、致死性の高い極悪ワクチンの方が封じ込めが楽という面はある)
 映画『FLU 運命の36時間』に至っては、36時間で大団円になるのだが、映画の惨状を考えると、このあと数か月~数年は引きずるに違いない。
なお、いずれも、有効なワクチン、治療薬がカギとなるが、そもそもそこに多大な時間がかかるということを、今では皆が理解しているため、今後のフィクションでは、薬の扱いには工夫が必要になるだろう。


現在の新型コロナ騒動も、5月の緊急事態宣言明けという短期間で終わっていたら、「いろいろあったけどいい思い出」になる可能性もあった。(職業や立場によるが)
しかし、あまり想定していなかった夏の流行(いわゆる第二波)が広がったのに対して、政府の対応が臨機応変と言えるものではない。それどころか、夏には収まっていることを前提とした対策(GOTOトラベルキャンペーン)をそのまま実施する、また、誰も望まないのに、何故か二度目のアベノマスクが発注されている等、「一度決めたら止められない」日本の悪いところが(国際的にも)目立つ結果となった。
感染症などのパニックもののフィクションでは、政府が有能というのがセオリーだという。そうでなければ、ウイルス(細菌)の怖さが描けないからだ。(ウイルスが狂暴なのか、政府が無能なのか、理解しづらくなるため)
しかし、現実の政府と地方自治体の対応が一貫していない(その象徴がGOTOキャンペーン)、地方公共団体の対応もポイントをしっかり押さえていない(東京では、東京アラート、感染防止ステッカー、大阪では、雨がっぱ、イソジン)中で、ひたすらに外出を控えることばかりを求められるのは、終わりの期限が見えない中では苛々も募る。
全く同意できないが、「クラスターフェス」(このネーミングのセンスの無さ…)なるものをやろうと発想する人が出てくるのは理解できる。


と、むしろ、現状に対する不満が多くなってしまったが、全3巻とコンパクトにまとまっており、また、ウイルスでなく「ペスト」というのは新鮮ではあった。タイトルも含め、全編で引用されているカミュ『ペスト』は、実際、書店でも多く見かける本で、これも今のタイミングで読むべきだろう。
なお、川端裕人『エピデミック』は2007年発売ということで、10年前の新型インフルエンザ騒動よりもさらに前に書かれている本で、しかも評価が高いので、こちらも読んでみたい。

ペスト(新潮文庫)

ペスト(新潮文庫)

エピデミック (BOOK☆WALKER セレクト)

エピデミック (BOOK☆WALKER セレクト)



その川端裕人さんがラジオ番組で紹介していた本として、瀬名秀明さんの本と、テレビでも見る機会の多い尾見茂の本も気になるところだ。
Twitterやワイドショー、また新聞も含めた日々の報道を追っていると、何が何だか分からなくなるので、基礎の勉強も必要だろうと思うので、こういったフィクションでない本も読んでみたい。

WHOをゆく: 感染症との闘いを超えて

WHOをゆく: 感染症との闘いを超えて

  • 作者:尾身 茂
  • 発売日: 2011/10/21
  • メディア: 単行本

参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com