Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

「叱られる小説」と思って読んだら「呆れられる小説」~ミン・ジヒョン『僕の狂ったフェミ彼女』


以前「狂ったフェミ彼女」の本を読んだことがある。
pocari.hatenablog.com


この本の衝撃(というか罵倒され体験)は自分にとって過去最大級に大きく、そのせいもあり、「叱られ好きな自分」でも、身構えるようにして、この本を読み始めた。

(あらすじ)
就活を前に不安な僕を癒してくれた、愛らしい僕の彼女。毎日のようにベッタリで、付き合って1周年を迎えた。そんなとき僕は、1年間の海外インターンシップに行くことに。遠距離は不安だけど、彼女なら安心だ、待っていてくれるはず――。しかし、出国当日。空港にいたのは、涙ぐむ彼女を抱きしめる僕ではなく、別れのメールをもらってメンタルが崩壊した僕だった。
そんな初恋を引きずりながら 大企業に就職し3年目を迎えた「僕」ことスンジュン。周囲はほとんど結婚して、「まだ独身なの?」とからかわれることも多い。結婚する女性を選ぶだけなのに、なかなか結婚への意欲がわかない。そんなある日、初恋の彼女と出くわした! 心がまた動き出す……ところが、彼女はこともあろうにフェミニストになっていた! 


この本の登場人物は基本的に2人。「僕」(キム・スンジュン)と「彼女」(名前は出てこない)のみ。

僕は彼女を「メガル」と呼び、
彼女は僕を「ハンナム」と呼ぶ。
 ⇒「メガル」は、韓国でフェミニスト女性への蔑称。日本で言うツイフェミに近い使われ方をする言葉か。
 ⇒「ハンナム」は、韓国で家父長制にどっぷりつかった男性に対する蔑称。

本を読んで一番良かったのはネット上のフェミニストと、それに対する男性側の向き合い方・認識が言語化され、頭の整理になったこと。これを読み改めて、フェミニズムに関する分断は、日本と韓国は似ていると思った。(ただし韓国には兵役があり、その分だけ分断は深いと想像する)
読む前に予想していたのは、「狂ったフェミ彼女」によって罵倒され続けた「僕」が考えを「アップデート」*1するという話。
お互い傷つけあうが、最後にはわかりあえる。
ドラマ化、映画化されるというし、であれば最後は恋愛ドラマっぽい終わり方なのか?と思っていた。


ところが、この予想は全くの不正解。
ラストは、喧嘩別れして、でも未練たっぷりの「僕」は、アイルランドに旅立つ彼女を見送りに空港に向かう。
つまり、2人は、わかりあえない。
それよりも、一番驚いたのは、「僕」がほとんど考え方を「アップデート」しないこと。


ラストシーンの「僕」の独白が印象的だ。

わざわざ国際空港に行くも、彼女には会えないまま、「フェミ彼女」との思い出を振り返る。

いつだったか、いきなりわけのわからない涙をあふれさせた彼女の前で、どうすればいいかわからず無力だった夜中のことを思い出した。あの時の彼女がどんな気持ちだったのか、相変わらず僕にはわからないままだ。実際わかろうともしなかった。ただ驚き、戸惑うだけで、早くその時間が過ぎることだけを願っていた。

「僕」視点で見れば、「哀愁漂う別れの場面」だが、「狂ったフェミ彼女」視点で見ると、「コイツ本当に何も考えてないな…」というドン引きのラストになっている。つまり、この小説は予想していた「叱られる小説」ではなく「呆れられる」小説だった。


最初に読んだときは、読み口が軽すぎて、また、「僕」が通常のドラマの主人公然とした「いい人」設定過ぎて(また、「彼女」に罵倒されて変わるだろうという希望もあり)、最後になるまで、彼のダメな部分を黙認しながら読んでしまった。*2
しかし、再読してみると、「僕」の無神経すぎるところは色々なシーンに散りばめられており、温存される。

  • 再会してすぐの場面。彼女の考えを聞いたうえで「よくはわかんないけど、君の傷ついた心を癒してあげたいし、昔の明るくてポジティブな君に戻ってほしい」と慰めの言葉をかける。(p87)
  • 電話での会話。性暴力事件で裁判にも持ち込めないまま嫌疑なしの処分が出たことに憤慨していた彼女に対して、(事件のことを知らないのに)「被害者の言い分だけを信じるわけにはいかない。冤罪かもしれない。」と執拗に主張する。(p100)
  • 妊娠、中絶の話題について「男は何の心配もなくセックスできていいよね」という彼女に対して「女の方がいいだろ。特に君みたいな可愛い女は、男がみんなご機嫌とってくれるじゃん」と言い、心の中では「男はセックス一回のためにどれだけ頑張らなきゃならないか。女は違うじゃないか」と筋違いの主張。(p136)
  • 作家-編集者の立場を利用したセクハラ被害を訴え、カフェからタクシーで帰るときに泣き出した彼女を見て、これはチャンスと捉えてしまう→「逆境を共に克服する愛。僕が彼女の力になってあげて、彼女が『彼氏がいるメリット』を実感しながら、頼れる安定したパートナーの存在価値に気づくいい機会。」(p195)
  • デートで見たシスターフッド映画。「可愛かった女優が、なぜ、よく悪態をつく荒っぽいキャラクターを演じるように変わってしまったんだ」と嘆く(p205)
  • 彼女を皆に紹介して別れる原因となった友人結婚式について「メガルを社会復帰させようなんて、二度と考えるもんか。そう悟れただけでもかなりの収穫じゃないか」と嘯く。(p286)
  • 別れたあとの最後のデートでも「昔は普通の女の子だったよな。何で変わったの?」「男の方が辛いことが多いと思っていたのに。力仕事もみんな僕たちがやってるし」という頓珍漢過ぎる会話。(p306)
  • 最初から最後まで彼女のことを好きで好きでたまらないのに、「読んでみて」と渡された彼女が編集を担当したルッキズムの本すら読み切れなかったことが最後に判明。(p318)


「僕」が変わる、というオーソドックスな理想的な終わり方をしないことについて、著者あとがきを読むと、この本は、理想の上乗せを拒んだ、「リアル」な物語を志向していることがわかる。
著者のミン・ジヒョンさんは1986年生まれの女性で、この小説は、自身を映した「狂ったフェミ彼女」を男性側の視点から描いたものと言える。
あとがきで彼女は、今の強固な家父長制社会に取り込まれること、別の言い方をすると「通常の恋愛」を行うことを、「ゾンビになること」に喩えている。

愛は非理性的なものとは言うけれど、本当に理性を手放さなければ愛することなど不可能に見えてしまうほど、現実は暗澹としている。厳しい言い方をすれば、下手に愛を見つけようとして、見かけは人の姿をしたゾンビに嚙まれる可能性も高い。これを書いているわずか数週間前にも私たちは、裕福で端正な顔立ちの有名人たちが、実はドラッグを使ったレイプを楽しむ盗撮犯だったという事実を確認した。(そして現在も確認中だ)
ウォーキング・デッド」はいくら殺伐としていようとドラマに過ぎないが、悲しいことに、2019年の韓国のこの状況は現実だ。
これだから自分の人生を安全に守り、自分らしく生きたいという欲求と、誰かと共に生きたいという欲求が正面衝突するしかない。女性の場合は特に。
(略)
小説の中の「彼女」は選択をする。
だが外に出ればゾンビに噛まれることが目に見えている世界で、一人残ると決めることが、果たして本当の意味での選択と言えるだろうか?他の選択肢があって初めて、その選択には意味があるのではないか?今の状況ではこれは、ただ生きていくための最善策に過ぎない


ここで語られる通り、この小説は人生の「選択」の物語だ。
最初に出てくるデモや彼女がアイルランドに行く理由として繰り返される「中絶の合法化」についても、「選択できる人生」が主要テーマ*3だからなのだろう。
結婚式の帰り、「僕」と「彼女」が別れを決める場面で、結婚願望が強い「僕」に対して、彼女はこう言う。

「結婚を諦めたんじゃなくて、人生を選択したの!」

その後、「僕」が全くわかっていないことを見越して彼女は最後に、長い間貯め込んでいた言葉を堰を切ったように口にする。

「自分がすごくロマンチックで優しいと思ってるでしょ?あんたの愛し方、可愛がって、女の子扱いして、守るって建前で束縛して、みんなの前で着飾って式上げようってせがんで。私はそういうの望んでないんだって。なのに自分のやり方を強要し続けているよね。それがどんなに息苦しいかわかる?本当に自分勝手なのはどっち?」
「わかったよ。歳とって孤独死する時にせいぜい後悔するんだな」
あまりにも頭に来て、僕は本当に稚拙な言葉を吐いてしまった。

さらにその後の最後のデートの場面でも、この話は続く。

「だけどほんと、正直さ、考えると怖くならない? 将来、旦那も子どももいなかったら寂しいんじゃないの?」
「その代わり、私がいるはず。たぶんね」
「私」がいる……。彼女の言葉に、複雑な気持ちになった。
「いきなりだけどさ、僕ほんと、これからどうやって生きてけばいいんだろ? 結婚しろって親のプレッシャーがすごいから、友達になんで結婚したのかって聞いたことがあるんだ。だけど結論は何だったと思う?他にすることがなかったから、だってさ。たまにほんと、何のために生きてるんだろうって気になるよ」
「じゃあ一回ちゃんと考えてみないとね。本当に望んでることは何なのか。他人が望むことじゃなくて、自分が望んでること」
「だけどそんなに簡単にはいかないよ」
そうだよ、大変なことなんだよ

選択する「彼女」が、選択しない(というか、考えない)「僕」に対して、子どもに話すように諭しているこの場面は、(ウォーキング・デッドの怖さに気づかずに なあなあと生きてきた)自分にとっても耳が痛い。
しかし、そんな「彼女」の選択さえも、生きていくための最善策を選ばされただけであって、真の意味の「選択」とは言えないと著者が考えていると知ると、その絶望の深さは計り知れない。

ただ、あとがきには「絶望」と合わせて、2019年の堕胎罪の違憲判決など、「希望の光」についても触れられているのが救いでもある。

ハッピーエンド」へと向かうためのこの厳しい闘いの中で、この小説が、私たちが交わすべき無数の話を引き出すための小さな銃声になれるのなら、それ以上望むことはない。


なお、著者のミン・ジヒョンさんと訳者の加藤慧さんは、数十年来の友人のようで、あとがきだけでなくインタビュー記事でも、仲の良さが伺える。そして、それらには、必ず実際に起きた事件について触れられている。日本版向けの著者あとがきには、伊藤詩織さん事件についても書かれているが、日韓で、根っこが同じ事件が話題になっている(同時に、否定的な取り上げられ方も盛りあがっている)ことがよくわかる。


そうした事件に対して、また、現実に目の前の女性に対して、どうふるまうのか。スンジュンは最高の反面教師だと思う。彼のようにならないよう、日々考え、選択して生きていく必要がある。
book.asahi.com



補足(中絶について)

今年(2022年)の夏に、中絶をめぐる米連邦最高裁判所の判断(いわば逆行)が何度もニュースになった。
そして、この本でも書かれているような、韓国での堕胎罪無効化も2019年で最近。
日本での中絶の状況がどちらに向かっているのか気になってくる。日本における中絶の歴史については河合香織『選べなかった命』でも一通り勉強したはずだったのに、覚えていなかったが、簡単に調べてみると、変化の速い韓国から置いて行かれていないか心配になってきた。

  • この本で何度も登場する「堕胎罪」については、日本ではまだ残っており、廃止を求める声がある。(共産党の山添さんの記事:赤旗
  • 米連邦最高裁判所のニュースの際に、日本の課題として挙げられることの多かった、中絶の「配偶者同意」は、立憲民主党のサイトになるが、「中絶に配偶者の同意が必要な国は、「203か国中11だけ」だという。

www3.nhk.or.jp

www.harpersbazaar.com

www.jcp.or.jp

cdp-japan.jp


いずれもさらっと読んだだけでは、理解しにくい部分もあるので、何か一冊本を読んでみようと思う。
あ、今年の8月に新書が出ているので、こちらから。


参考(過去日記)

韓国フェミニズム文学と言えば、何と言ってもキム・ジヨン
pocari.hatenablog.com

*1:最近は、アップデートという言葉は揶揄的に使われる。この言葉を使うこと自体、「アップデートしている私>アップデートしていないあなた」というような見下しの視線を感じるからだと思う

*2:つまり、自分は家父長制社会にどっぷりつかっているということの証拠

*3:そもそもフェミニズムの本質が「選択できる人生」なのか。