Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

全然わかりませんでした…~グレタ・ガーウィグ監督『バービー』


もともと、映画『バービー』は、予告編を何度も観たが興味が湧かず、スルーするつもりでいた。
それが、いわゆる「バーベンハイマー」*1での炎上騒ぎで悪い意味で注目される一方で絶賛評も多いことから、少しずつ気になっていったが、決め手は、もう一つの炎上騒ぎだった。

漫画「GANTZ」の作者、奥浩哉氏がミソジニー批判に反論 映画「バービー」をめぐる議論で(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース


奥浩哉先生がどんな思想の持ち主かは知らなかったが、この騒ぎを見て「またアンチフェミが騒いでる」と思ってしまった。しかし、その後、奥先生は、騒動に乗っかり映画を観ないまま発言を叩く人が多いことに苦言を呈していて、まさに自分のことではないかと反省し、観に行くことを決めたのだった。
なお、その後、DJ SODA関係の(フェミニズムの話というよりは)性差別の話*2も出て、それも含めて「叱られに行こう」という気持ちで映画館に行った。(この姿勢がダメなんだと思うのだが、フェミニズムに関する作品というと身構えてしまうことは確か)


で、観た直後の感想は「わからない…」

良いところ

最初に、映画の良かったところを挙げる。


まず、マーゴット・ロビーが魅力的。
そもそも、予告編で最初に感じたのは、バービーという「お人形さん」を演じるには年齢が行き過ぎていないか?というものだった。日本で「お人形さんみたい」という褒め言葉は未成年、行っても22、23歳くらいまでの女性に対して使うと思う。33歳のマーゴット・ロビーが演じるのは、無理があるのではないか、と感じたのだ。
でも、観てみると、マーゴット・ロビーの無邪気で豊かな表情(楽しい、悲しい、泣きたい、疲れた)は本当にキュートだったし、スタイル含めてバービーそのものの外見によって、バービー文化を体験できたように思う。


次に、ピンクを中心としたデザイン。この世界の中でバービーやケンが歌い踊るのを見るのは、それだけで楽しい。バービーたちが乗り物にのってバービーランドとリアルワールドを横スクロールで行き来するシーンが何度か繰り返されるが、ここも見ていて飽きない。


そして、「エンディング」を、「恋愛」に持ち込みたい社長の意図に反して、バービーは、大統領や医者、ノーベル賞受賞者などではなく、「何でもない女性」を選ぶ。しかも、あれほど変化を嫌っていたバービーが、死が待っている人間社会にチャレンジする、という終わり方は、わかりやすいと言えばわかりやすい。


ただ、この映画は、ストーリー上の突っ込みどころ(難点)が多く、そのメッセージをどう受け取ればよいのかさっぱりわからなかった。
自分の感じた難点を少し整理して説明する。

バービーランド、バービーの考えが幼い

バービーランドの大統領は確かに女性だが、その「大統領」自体が、おままごと遊び*3の大統領なので、リアルワールドの大統領とは意味合いが異なる。医者でさえ、具体性に欠け、それはケンの職業が「ビーチ」(ライフガードなどではなく)であることと、大して変わらない。
確かにケン達は蔑ろにされているが、バービーランドに「女社会」が出来上がっているというより、女性キャラクター主体のおままごと遊びが繰り広げられているのがバービーランドというイメージだ。


そして、バービーも、素朴、という言い方もできるが、悪く言えば、考えが幼い。
リアルワールドの人間に会って「私が、あなたたちの憧れのバービーよ!どう!」みたいな発言をしてしまう、無邪気すぎる感覚は、初対面のサーシャ(グロリアの娘)が感じたように痛々しい。
バービーランドに戻ると、そこがケンランド(ケンダム)になり、元の世界が失われてしまったことに絶望して寝転がるバービーは可愛い。しかし、つまり物語の終盤になっても、観客は、幼い子どもに対する視点で、物語の主人公であるバービーを眺めている。ここからは深い話が広がりようがない。


バービーランドの住人のほとんどが、バービーとケンである、というのも(商品に忠実だからなのかもしれないが)、物語理解の邪魔をしている。端的に言って、リアルワールドと別世界過ぎて、何をどう捉えて良いのかわからない。
バービーが女性、ケンが男性を表しているとして、バービーの味方をしたアランは、クィア?。それにしては、ミッジ等、非バービーのキャラクターの配置に特に意味が与えられていないように見える。

男女逆転世界の描き方が機能していない

男女逆転世界は『大奥』や『ザ・パワー』で履修済み。フィクションで上手く使えば、作品メッセージを伝える上で大きな武器になると知っているので、そこにも期待した。


序盤は女性優位のバービーランドでケンたちは蔑ろにされており、いわばリアルワールドでの女性の扱いを表現しているのだろう。(が、先述した通り、ケンが特殊過ぎるので、あまりピンと来ない)
終盤では、リアルワールドからケンが輸入した「男社会」という考えが広まり、バービー達もそれに洗脳される。このコンセプトはわかる。しかし、ここで描かれる、バービーランドに現れた「男社会」の「おぞましさ」は、これまでバービーが自分勝手にふるまえたピンク色の世界の一部が失われた、言うなれば楽しいおもちゃが奪われたことでしかなく、現実世界と状況が大きく違う。


そして物語終盤の展開。もともとのバービーランドは女性上位の社会であり、ケンランドは男性上位の社会なので、両方を経験したバービーたちによる「融和」が、作品の結論になるのかと思ったら、元の姿に近い形で、バービーランドが復活する。
それどころか、バービー達は、「女性を使って」(ケン達をたぶらかして)、その隙に、ケンランド成立を阻止する。
話し合いも選挙もなく、単に議会を占拠して思い通りの世界に戻そう、とするさまは、トランプ支持者たちの議会占拠事件と何が違うのか。また、そこに至る過程で、性的に男をたぶらかし、結果的に対立状態を煽るような展開は、フェミニズム的に言ってもどうなのか。


その他、リアルワールドに降り立ったバービーが、最初に(通常は下層の仕事と見られがちな)工事現場を見に行く、というのもよくわからない。前半部にバービーランドで工事現場が魅力的に描かれるシーンがあったのだろうか。
また、ラストで、人間になることを選択したバービーが最初に行くところが「婦人科」?このギャグは高度過ぎてわからない。
作品内で何度も言葉が出てくる「ツルペタ」を直したいということなのだろうか?であれば、性別適合手術ということになるが、生々し過ぎて全然笑えない。

リアルワールド住人の悩みに焦点があたらない

物語で一番スリリングだったのは、サーシャが「誰もバービーを好きじゃない。バービーはファシスト」と言い放ち、学校まで訪れたバービーを泣かせる場面。
彼女がどうしてそう思うに至ったのか、彼女の悩みは何なのか、バービーとの出会いを通してそれはどう解消されたのか。そこがあってこそのハッピーエンディングのはずなのに、そこが全く描かれない。
ドラえもん映画なら、のび太たちが仮想世界の住人と過ごし、双方が成長する、もしくは、のび太が仮想世界を救って別れる。(この映画ではそれが逆になっていて、最後にバービーがリアルワールドに行く選択をするところが興味深い。)
しかし、『バービー』では、ドラえもん映画なら焦点が当たるはずの、サーシャやグロリアの成長は描かれない。


映画の中で最も女性を鼓舞するメッセージとしてわかりやすいのは、グロリアが、自らの経験を踏まえた強い言葉でバービーたちの洗脳を解く場面。
ここに、グロリアの物語が、また、サーシャの物語が嵌まれば、受け取り方は違ったかもしれないが、ストーリーの裏付けのない、スローガンのようなものに聴こえてしまった。言っている意味は分かるが、例えば『82年生まれ、キム・ジヨン』でも『僕の狂ったフェミ彼女』でも、フィクションならば、印象的なセリフの背後には、発した人物の物語が広がっていたように思う。


彼女たち母娘が、バービーランドの経験で得たものもあまりないように感じるし、2人の扱いがおざなりだったのは残念だ。
繰り返すが、バービーやケンは素朴かつ別世界過ぎて感情移入しにくいので、リアルワールドのキャラクターに重きを置いてもらった方が作品に乗りやすかった。実際、男性キャラクターで、一番「こういう人いるよね」という意味で愛憎入り混じる気持ちを持てたのは、ケンではなく、リアルワールドのマテル社社長だった。

メッセージ

エンディング近くに、作品の持つメッセージが、ある程度時間をかけて語られる。
現代は女性が輝く社会、ということで大統領を目指す人もいるし、医者を目指す人もいる。しかし、誰もがそれらの職業を目指す必要はないし、誰もが恋をして結婚するべき、ということもない。
男性、女性それぞれが、「男性だからこうあるべき」「女性だからこうあるべき」ということから逃れて生きて良い。(ケンが「ケン is me!」*4と喜んだように)
ただ、「そのままの君でいい」は、日本のフィクションや歌の定番過ぎて全く新鮮味がなく、一周回って、自分にとっては、メッセージ性ゼロの物語となった。しかも、ケンは完全に別世界の人なので、男性の自分にはなおさらメッセージの受け取り方がよくわからない。
ケンみたいに、馬と男社会にしがみついている男性なら感じるところが多い映画なのかもしれない。
でも、自分はケンじゃない。


幼い頃に(もしくは大人になってからも)バービーで遊んだ記憶がたくさんある女性なら楽しめるのは間違いないだろうが、バービーに馴染みがなく、ケンからも程遠い男性が観た場合は、「なんだこれ?」という感想になるのが普通ではないだろうか?
ということで、最初に戻って、奥浩哉先生の感想を拾うと、

  • 最初の方はお洒落だし可愛いし笑いながら観てたけど後半になるにつれてだんだん冷めていった。なんか強烈なフェミニズム映画だった
  • 男性を必要としない自立した女性のための映画。こんなの大ヒットするアメリカ大丈夫なの?
  • きっと田嶋陽子先生は大拍手するだろう

確かに、グロリアによる洗脳解除からバービー大勝利までの流れは、「強烈なフェミニズム映画」「男性を必要としない自立した女性のための映画」という言い方が正しい気もする。また、無意味に男女の対立を煽るような内容にも取れるし、そういう意味では、「こんなの大ヒットするアメリカ大丈夫なの?」という奥先生の感想も的外れではないのではないか。
しかし、繰り返し書くが、自分は、この映画がフェミニズム的な主張をしているのかどうか、わからない。というか、作品の持つメッセージという観点で考えると、やっぱり全体的に何だかよくわからない映画だった。


わかった人たちは、最後にバービーが婦人科に行くところで、くすっと笑ったり涙を流したりするんだろうか。


…ということを確かめるために、(あとで読もうと思いブックマークしていた)有識者たちの解説・感想を読んで勉強しようと思います。

*1:『バービー』+『オッペンハイマー』を意味する。解説は、例えば→原爆投下のネタ画像に批判殺到→ハリウッド映画『バービー』が謝罪…大炎上の背景は? | 井の中の宴 武藤弘樹 | ダイヤモンド・オンライン

*2:これはひどい話→DJ SODAさん “音楽イベントで性被害受けた” SNS投稿で拡散 | NHK | 大阪府

*3:ここで意図しているのは、女性の政治が三流とか、そういう意味ではなく、おままごと遊びに使う人形の演じる大統領は、リアルの大統領と全然違うよね、という程度の意味です。

*4:全国の、ケン・イズミさんに思いが及びます。立憲民主党の党首の人とか…笑