高千穂遙の自転車関連本は、ちょうど一年前の2022年7月に『ヒルクライマー』を読んだのが初めて。その後、新書で自身のロードバイク生活を語った『ヒルクライマー宣言』を読み、『自転車の教科書』を読んだら解説で名前をお見掛けするなど、1年前には全く思いもしなかったが、完全に「自転車」の人だ。
そして、僕自身にも変化があった。50歳でロードバイクを始めた高千穂先生(今は71歳)に倣って、ではないが、ちょうど僕自身も今年、49歳になってからロードバイクを購入。今は週一回走っている。
走り始めると、『ヒルクライマー』が読みたくなった。確かに、ロードバイク購入の一因もこの本にある。しかし、それ以上に、尾根幹など、近場の練習コースの存在を知らしめたのがこの本で、昨年夏以降、ランニングコースに尾根幹を取り入れて、10-11月のフルマラソン前の非常に良い練習コースにさせてもらった*1。それを思い出して、『ヒルクライマー』では、尾根幹以外ではどのあたりを走っていたのか確かめたくなったのだ。
そんなとき、まだ読んでないのがあったことを思い出した。
それが『ヒルクライマー』の2009年から少し空いて2017年に出版された自転車小説『ペダリングハイ』。
しかも、今回も調布周辺が舞台になっているというのでちょうど良い。
で、読みました
一気読みした。本作は、『ヒルクライマー』よりもかなりシンプル。
上京して深大寺付近に引っ越してきた大学生・日夏竜二が、自転車店・深大寺サイクルに集う実業団チーム「調布ゴブリンズ」の大人たちに誘われ、ロードバイクの楽しさに目覚めていく。だけでなく、成長著しい竜二は実業団レースにも挑み、同い年のライバルとも切磋琢磨することになる。
『ヒルクライマー』では、40歳でヒルクライムレースに魅せられたサラリーマンと大学生という2人の主人公がいたが、本作では、主人公は一人に絞られ、18歳の竜二の成長に焦点が置かれている。
驚いたのは、その描写の細かさ。練習に関する情報のやり取りにLINEやFacebookが頻繁に登場するのも前作との違いだが、前作以上に細か過ぎる練習コースの地理的描写と、具体的な持ちタイムの数字が登場する。この付近をマラソンで頻繁に走っているのでよくわかるが、主人公竜二の通う大学が一橋大学をもじった八橋大学であることと、「深大寺サイクル」が実在しないことを除けば、完全に実名の地名や店名*2ばかりだ。
登場する中で、尾根幹と同様に、馴染みのある坂で驚いたのは「病院坂」(多摩丘陵病院の横の坂道)。この坂は、個人的なマラソンの練習では、奈良ばい谷戸を通って多摩センター駅に向かう際に通る坂で、尾根幹の坂道を走り慣れた今でも途中で歩きたくなってしまう辛い坂。ときどき自転車の人を見かけて、よくもこんな坂を…と思っていたが、ここは何度も登場する調布ゴブリンズのメインの練習コースのひとつ。
もう一つは「連光寺坂」。右岸側の多摩サイクリングロードが途切れる関戸橋~是政橋の間にあるゴルフ場付近の坂道。坂の上から聖蹟桜ヶ丘駅の駅名の由来ともなっている聖蹟記念館のある桜ヶ丘公園に行けるので、マラソン練習で使う場合は坂の上からそちらに抜ける。
ちょうど先日気になってマラソンに行ったら、やはり異常に速い自転車の人がいて驚き、その中の1人がかなり高齢だったので、まさか高千穂先生?と思っていたところだった。
さらに、深大寺サイクル近くの「3.5㎞コース」*3の中で登場する「神中坂」(神代中学の横の坂道)。ここも短時間で負荷をかけたいときにマラソンの練習で使う、非常に馴染みある坂道。
というように、非常に具体的な練習コースが登場する。今はポタリング的にしか利用していない(坂道も避けている)自転車だが、トレーニングをしようとすれば、その近さから確実に利用するだろうと思われるコースで非常に参考になる。
また、ポタリングコースとして登場する江の島行きも具体的な時刻と合わせて書かれているのでイメージしやすい。
- 7:00 矢野口のローソン
- (尾根幹~町田街道)
- 7:50~8:05 町田小山のコンビニ(ファミリーマート?)
- (境川サイクリングロード)
- 鷺舞橋
- (境川サイクリングロード~467号)
- 10:40 江の島着 「Cafeとびっちょ」でしらす丼
「Cafeとびっちょ」は8時から開店しているから、早めに出発して一般道を多めに通れば江の島まで行って帰っても無理すれば半日で帰ってこられるかも。
と、書いたが、ここまで具体的過ぎる練習コースを書いて、誰得?と思ってしまうほど、僕にとっては実用的で嬉しいのだが、あまりに度を超していて土地勘がない人がどこまで楽しく読めるのか、ということは気になってしまう。
文庫解説では、佐藤喬さんがまさにそのことを指摘しており、最近読んだ中では(当然、文庫解説では作品を高評価するのが普通なので)珍しく厳しい評価をしている。つまり、エンターテインメントとしての側面と実用的入門書としての二通りの楽しみ方ができる本と褒めつつも、その問題点を以下のように指摘している。
だが落ち着いて考えると、この本の作りは少し奇妙だ。
エンターテインメントとしての側面と実用的入門書としての側面が、齟齬をきたすとまでは言わないが、完全には溶け合っていないように見えるからである。「連光寺坂の金網屋根区間」とか「タイヤはコンチネンタルの4000SⅡ2Cを三本」とか書かれても、尾根幹付近の地理やロードバイクの機材に詳しくない読者にはちんぷんかんぷんだろう。こういった詳細は、エンターテインメントとしての本書に本当に必要だったのだろうか?
あるいは逆に、小説であることをやめ、実用書に徹することもできたはずだ。現に著者は『自転車で痩せた人』(NHK出版)とか『ヒルクライマー宣言』(小学館)といった啓蒙的エッセイも書いているではないか。
なぜ著者は、フィクションに、過剰なほどのディティールを盛り込んだのか?
このあとに書かれている「推測される理由」は、高千穂先生本人にとって「余計なお世話」な内容なので、特に引用しない。(一方で納得しやすい意見ではある。)
なお、本編後半は実践編ということで、「第4章 二時間エンデューロ」では、千葉での「ぼうそうクリテリウム」、「第5章 ゴールスプリント」では山梨笛吹ロードレースを舞台とした竜二の活躍が描かれる。ここでは、『弱虫ペダル』の渡辺航先生*4をモデルとした人物が登場するのも面白い。(宮永暖房先生。特徴的な名前だが、どのように文字ってこうなるのか不明)
ここではレースの駆け引きと、登場人物のバックストーリーが描かれて、一番普通の小説っぽい流れで、コースの具体的描写が少ないのが物足りなくなり、3章までの異常な詳細さを改めて知る。
物語は、主人公の明確な挫折が描かれることなくトントン拍子で終わるので、続編の構想もあったのかもしれない。
まとめ
さて、ロードバイクは買ったものの、まだ坂道にその楽しみを見出していない自分としては、しばらくして坂道に興味が出てからチャレンジしてみたい課題をたくさん出してもらって本当に実用的な一冊となった。また、作中に「やまめの学校」で教わるような運転の基本テクニックについての言及もあり、改めて堂城賢『自転車の教科書』も読んでみようという気になった。
まあ、でも普通に考えれば、このディテールはやり過ぎと思います。思いが入り過ぎてしまっている感じも含めて好きですが。