Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

世界の終わりはきっとこんな感じ2~エルヴェ・ル・テリエ 『異常(アノマリー)』

一週間くらい前に、奇妙な津波があった。

通常は、地震発生⇒津波注意報津波発生という流れになるはずが、地震発生の形跡がなく、いきなり津波が観測されて、それをもとに注意報が出される事態となったのだ。海底地すべりが原因かもしれない、という話も出てきているが、地震に慣れ過ぎているためか、「通常」とは異なる流れに、そして、まだ未解明な地球の動きに「不安」を感じたし、より大きな災害の前兆ではないかと怖くなった。

news.tv-asahi.co.jp


このニュースと同様に「不安な感じ」「不穏な空気」が残るタイプの小説がある。
自分の場合は、圧倒的に恩田陸『Q&A』。
読んだ直後に東日本大震災が起きてしまったこともあり、ちょっと読み返すのが怖いほどだ。(ということもあり、ほとんど内容を忘れてしまったのだが)
映画だとやはり『クローバーフィールド』。当時の感想を読むと、やはり震災のときの体験と合わせて書かれており、自分の記憶の引き出しの中では、これらは同じインデックスで整理されているようだ。



数週間前に読み終えた『異常』も、同様に「不安な感じ」が残る小説。
これらの作品の共通点は、オープンエンド的であることだ。
「これでおしまい、チャンチャン」で、作品世界とオサラバできず、作品内の非日常が現実世界に沁み込んでくる。
また、オープンエンドであるということは、「正体」が未解明のままで話が終わってしまう、ということでもある。
この、モヤモヤ感がそのまま「不安」に繋がっているのかもしれない。


さて、『異常』は、店頭での売り方も含め、かなり「先の展開」を伏せて紹介されている。
Amazon記載のあらすじは以下の通りだが、本当に最小限だ。

殺し屋、ポップスター、売れない作家、軍人の妻、がんを告知された男……なんのつながりもない11人だったが、ある飛行機に同乗したことで、運命を共にする。飛行機は未曾有の巨大嵐に遭遇し、乗客は奇跡的に生還したかに見えたが――。ゴンクール賞受賞作


多数の登場人物の話が同時並行的に進む序盤は正直言って読みづらい。
どうも同じ航空機(パリ発ニューヨーク行きのエールフランス006便)に乗った事実はあるようだが、墜落事故どころか、機内で特殊なことは起きておらず、皆が飛行機を降りたあとの日常を過ごしている。物語がいつ始まるのかわからないまま、登場人物のエピソードばかりが増えていき、何度も意識を失った。


しかし、3部構成の第1部のラストで起きる事件によって、大きく見方が変わる。
そして、その事件こそが、この小説のほとんど唯一の「異常」な設定であり、世界を混乱させる出来事だった。

「異常」な出来事とは何か?(以下で大々的にネタバレ)

ここで起きたのは、3月10日に到着したはずの飛行機AF006便と全く同じ飛行機が、3か月後の6月になってから、全く同じ243名の乗員乗客を乗せて到着する、という事件。
つまり、この航空機の乗員乗客は、すべて世界に2人いる。
6月のAF006便で到着した人たちは、3か月の時間をすっ飛ばしているため、3月到着者(作中では登場人物名+マーチで呼ばれる)、6月到着者(作中では登場人物名+ジューンで呼ばれる)は全く同じ人間(作中の呼称で言えば「重複者(ダブル)」)ではあるが、3か月分の人生経験が異なる。乗客の中には、3か月の間に、恋人と別れたり、余命3か月を生きた人もいる。世界的ヒットを成し遂げたミュージシャンがいたり、メタ的にはなるが『異常』という小説を書き上げたあと自殺を遂げた人物もいる。(彼の場合は2人おらず、世間的には、「生き返った」ように感じられる。)


したがって、後半は、彼らがどのように人生を選択するかについて、実際に重複者同士が顔を合わせて対話したり、思いを巡らせる様子が描かれる。マーチの人たちおよびその家族、また職場の人たちにとっては、ジューンの存在は寝耳に水で、文字通りジューンには「帰る場所」がない。したがって、政府の支援のもとで別の人生を生きることもできる。
この面では、たとえ3か月でも人生の転機を迎える可能性がある、という点への気づきと、まさに「自己との対話」の中から、「どう生きるか」が、色々なケースで示されており、誰にとっても読み応えのある、いわば「人生訓」になっている。


しかし、真に面白いのは、「重複者が存在すること」の解釈についての議論だ。科学的立場からの議論と、宗教的立場からの議論があり、宗教面では、「あってはならないこと」と解釈する狂信者によって悲劇的な事件も起きる。

科学的な立場から示される最も有力な案は「シミュレーション仮説」で、我々は実在しないこと=他の存在がコンピュータ上で流すシミュレーションの一部であることを前提とする考え方だ。つまり、この世界は、生じうる無数のケースが同時並行的にテストされているシミュレーションに過ぎず、「事件」は、それらの2ケースが交差して起きたバグだと考える。
シミュレーション仮説を説明する中で出てくる「デカルト2.0」という考え方や、今の時代を生きているように見える人類は、実は、「絶滅したネアンデルタールがコンピュータを駆使して【あり得たかもしれないケース】としてシミュレーションした存在」と考える考え方はとても刺激的だ。

「要するに、ハイパーテクノロジーを駆使した文明が”偽りの文明”をシミュレートする確率は、本物の文明が存在する可能性よりも千倍高いのです。これはつまり、大統領でもわたしでもとにかく誰かが偶然"考える脳”を持ち合わせた場合、千分の九百九十九の確率でそれが仮想の脳であり、 千分の一の確率でそれが本物の脳であることを意味します。言い換えれば、デカルトが『方法序説』で記した〈われ思う、ゆえにわれあり〉は時代遅れで、むしろ〈われ思う、ゆえにわれはほぼ確実にプログラムなり〉と言えるのです。そうした主張を唱える学派に属するある位相幾何学専門家はこれを、"デカルト2.0" と名づけています。ここまでは理解できましたでしょうか、大統領?
p205

「わたしたちはネアンデルタール人クロマニヨン人の世界をシミュレートして生み出されたものなの? あの〝サピエンス"種は一般に考えられているのとは裏腹に絶滅なんかしてなくて、いまから五万年前にこの世界のシミュレーションシステムをつくりだすことにほんとにほんとに成功したってわけ? そしてネアンデルタール人たちは、アフリカから世界中に広がった超攻撃的な霊長類が、かわいそうに絶滅の憂き目に遭わなければいったいなにを成し遂げられたか見てみようって、そう考えたってわけ? それなら目論見は成功したと思う。だってネアンデルタール人たちはいまや知ってるんだから。クロマニョン人は救いようもないほどばかで、自分たちを取り巻く仮想環境を荒廃させ、森林を破壊し、海を汚し、非常識なほど繁殖し、化石燃料をせっせと燃やし、 シミュレートされる今後のわずか五十年で、熱暑と愚行によってほぼ根絶やしになるってことを。
あるいはそうだ、これは可もなく不可もない説だけど、ひょっとしたら恐竜たちのしわざかもしれない。恐竜は隕石で絶滅なんかしてなくて、恐竜の子孫がわたしたちの暮らすシミュレーションシステムをつくり上げ、哺乳類が支配する世界を観察して楽しんでる可能性もある。それともわたしたちは、DNA二重螺旋構造をベースに考案された、炭素を主要構成要素とする生物学のペテンのなかに暮らしていて、その世界は三重螺旋構造を持ち、硫黄原子を主要構成要素とする地球外生命体によってシミュレートされてるとか?
はたまた、はたまた、もしかしたらわたしたちは、ひとまわり大きなシミュレーションのなかで同じようにシミュレートされた別の存在によってシミュレートされていて、その別の存在もまた別の存在にシミュレートされてるのかもしれない。つまりシミュレートされた世界がネストテーブルみたいに入れ子状になっている…..…..。
p239

通常のSFなら、このあとで、シミュレーション仮説を裏付けるような事件が次々に起きる、というような展開になりそうだが、それが一切ないのが、この小説の面白い、というか「気品」(エンタメになり過ぎず、哲学的余韻に重きを置く)を感じさせるところ。

小説の中で示される「異常」は、これ以外では、実は中国でも少し前に同様の事件が起きていたことと、ラストに起きる事件のみ。
習近平(小説の中で各国首脳は実名で登場する。習近平プーチンマクロン等々)が言っていた通り、中国到着機には外国人も乗っていたが、彼らの無事を心配する声は出てきようがないから、国内で「拘留」を継続しても、誰も文句を言わない。

そして、ラストで3期目のAF006便が到着し、大統領は撃墜を命じ、世界が終わりを迎える。
作中の科学者の弁を借りれば、シミュレーションが上手く行かなければ、それを継続する必要がなくなり、計算主がそれをリセットする。それが生じたのがラストということだろう。


最初に『クローバーフィールド』の例を出したが、何だかわからないことが起き、その展開も経緯も全く理解しないままに突如世界が終わる。まさにその通りのラスト。
そして実際、今、もっとわかりやすい「戦争」という形で、世界の綻びが次々に表れてきている。2021年から続くウクライナ戦争に加え、アルメニアアゼルバイジャン、そして、イスラエルパレスチナ
クローバーフィールドのように、そして『異常』のように、何が起きているかよくわからないうちに世界が終わる可能性は、今まさに高まっているのかもしれない。と思うと、やっぱりとても怖い小説だと言えるのではないでしょうか。