かつて「レディコミの女王」と呼ばれた漫画家のSNSに届いた、ハリウッドスターからのメッセージ。
当初はウソだと思い、相手にもしなかったが、ある日、ビデオ通話をすることに。そこに映し出されていたのは、まさに映画で見たあのスター俳優だった――。
70歳の女流漫画家が偽りの恋に落ち、借金をしてまで工面した7500万円を失った全記録、そして悪夢から目覚め、失意のどん底から立ち上がる女の意地と強さをここにすべて綴る。レディコミの女王が騙された国際ロマンス詐欺の全貌が明かされる。
国際ロマンス詐欺とは「SNSなどで知り合った海外の異性と懇意になり、将来を誓い合う関係となったあとに、金品を要求する詐欺の手法」と説明される詐欺の手口で、自分がこの言葉について初めて認識したのは、とある映画*1。
その映画では、後半で種明かし的に登場する犯罪者集団側の描写が興味深かったが、この本は、騙された側の視点に限られるので、詐欺集団が、どの国で活動し、どの程度の規模のチームなのかはわからない。
ただ、騙す側の登場人物はかなり多く、また、騙す期間が長いため、2~3人という少人数ではなく、少なくとも5~10人以上の規模のチームが、世界規模で同時並行的にだましているのだろう。
...という風に好奇心がそそられる内容ではあるが、実際に読んでみると、およそ3年5か月にわたり、小出し小出しで合計7500万円を騙し取られる話で、その様子を延々と読み続けるのは、なかなか辛い。
うんざりするのは期間が長いことよりもパターンが全く変わらないことにある。
彼女はずっと同じやりとりでお金を騙し取られているのだ。
基本パターンは、この通り。
- 詐欺「お金が必要なので送ってほしい」
- 井出さん「もうお金がない。」
- 詐欺「僕を信じられないのか。」
- 井出さん、原稿や服を売る、子どもに借りる等、無理をして用意する
- 詐欺「今度、日本に行くよ。その日が楽しみだ。愛してるよ。」
相手がハリウッドスター(マーク・ラファロ)ではない、ということにも早く気づけよ、と苛々しながら読み進めるが、ネットを通した「血の誓い」により「2人は既に夫婦」ということになっているので、赤の他人を相手にしているのではなく、家族を助ける気持ちなのだろう。
「夫」となったラファロ以外にも多数の関係者が登場し、こちらが何か(お金や、後述するオイル)をもらえる場面では「日本で直接渡す」という話が何度も出てくる。
しかし、関係者が来日し、直接コンタクトを取ろうとする場面で、必ずこのようなパターンで直前に会えなくなる。
- 詐欺「フライト代を送ってほしい」←送ってあげる
- 詐欺「空港の税関(など色々な場所)でトラブルが発生した。すぐにお金を送ってほしい」←送ってあげる
- 詐欺(入国後に)「コロナの関連でホテルで隔離生活をするためにお金が要る」←仕方ないので送ってあげる
- 詐欺(やっと会える日の直前に)「娘が病気になって、家に戻らないといけない」
- 詐欺「必ずまた会える。愛してるよ。」
つまり、あともう少しで(あと〇日で、あと数十万円払えば)「報酬」(元々はラファロに会えることが最大の報酬)にありつける、という気持ちが正常な判断を奪う。それが詐欺のテクニックということになるのだろうが、その「報酬」には自分の知らなかったパターンのものがあった。
それが、詐欺界隈(?)では30年以上前から行われている「ブラックマネー」「ブラックノート」と呼ばれる古典的な手口だ。
先ほど、直接のコンタクトは、いつも直前で失敗する(直接顔を合わせることはない)、ということを書いたが、「ブラックマネー」については直接のやり取りを伴う。
- ラファロから、1200万ドル(約120億円)入ったバッグを、届けられる(運び屋が直接自宅に届けに来る)。
- しかし、バッグの中には、紙幣ではなく、大量の「黒い紙」が入っている。
- その場で運び屋が「黒い紙」のうちの数枚を特殊な「オイル」にさらすと、100ドル札に変わるのを「実演」してみせる。
- 運び屋いわく、すべてを紙幣に変えるには追加の「オイル」が必要だ。また、その「黒い紙」には、「毒」がまぶしてあるので触ってはいけない。「オイル」はあとで持ってくるので、バッグを保管しておくように。
これにより、ラファロと会うため、とは別に、「オイル」を手に入れるための「送金」地獄が開幕する。
このあたりの「報酬」がすぐ近くにある、と思わせる手口が巧いということなのだろう。結局、井出さんは、3年半の間、ずっとお金を送りっぱなしで、読んでいる間はひたすら辛いのだが、改めて目次を眺めると、波乱万丈なストーリーが展開されてる感がある。
- 「はじめに」にかえて―
- 第1章 愛の「ブラックマネー」
- 「1億円」を受け取るための上京/突然のプロポーズ/始まった借金の申し込み/ 「1200万ドルを送る」到着は「京都の空港」?/待ち合わせ場所に現れ た2人の黒人/1200万ドルがやって来た/真っ黒の紙片が100ドル札に
- 第2章 偽りの出会い
- 第3章 オイルの誘惑
- 借金まみれ状態に陥る/「オイル」をめぐる攻防/詐欺師たちへの送金方法/ 届いた「財産差押予告」/家に来なかったジョン
- 第4章 待ち人来ず
- マークが日本に来る!/強引に開けたキャリーバッグ/Batan cue. / 「僕だって、死にたいさ」/怪しい領収書/「今、韓国のソウルにいる」
- 第5章 突然のコカイン
- 第6章 赤ちゃんの命
- リコママこと Kanna Mio/再び、強盗現る/熱を出した赤ちゃん/突然のインド行き/マークに初めて芽生えた不信感
- 第7章 目覚めの朝
- 愛の贈り物は「6万ドル」再び入ったジョンからの連絡/長女との激しい口論 /「母さん、早く目を覚まして」/すべてを受け入れた朝
- 第8章 私が騙された理由
- 人生に対するあきらめ/気づけなかった「鍵となる出来事」/翻訳機能の便利さとリスク/「悲劇のヒロイン」を演じていた/絶対君主だった自分への後悔
- おわりに
要所要所で挟まる、インド、韓国、ドバイなどの「突飛な移動」が、不自然過ぎて驚く。特に、4章~5章で、成田行きの飛行機に乗ったはずのマークが、到着日に、何故か韓国から「税関でオイルが見つかり、賄賂を要求された」などと助けを求めるくだりは、何故こんなに無理のあるシナリオなんだろうか、と思ってしまう。
そんな風にして物語は、壊れたレコードのように同じような話を繰り返し、7章で、長女から諭されて、やっと自分が騙されることに気がつくまでは、本当にずっと騙されているだけの話。
したがって、「学び」があるのは、分量的に非常に少ないが、8章および、自らの人生を振り返った2章前半、ということになる。
先ほど引用した目次にも書かれている通り、「騙された理由」として井出さんが挙げたのは以下の5項目。
- 人生に対するあきらめ
- 気づけなかった「鍵となる出来事」
- 翻訳機能の便利さとリスク
- 「悲劇のヒロイン」を演じていた
- 絶対君主だった自分への後悔
このうち、1は「老い」と直結する話だが、もう自分の人生には無関係と思い込んでいたところに「恋愛」が飛び込んできたら、その誘惑に負けてしまうこともある、という話。
若い人ほど、そんなの無視すれば、と言うだろうが、年を取って社会との接点が減り、人と出会う機会が少なければ少ないほどワンチャンスに縋ってしまう、という井出さんの感覚は理解できた。「人生に対するあきらめ」という言葉は、なかなか胸に刺さる言葉だ。
次に4、5。この部分は井出さんの性格的な要因があるので普遍的な話とは言えないかもしれない。
4は、日常の大半をストーリー作りに費やす漫画家という職業が災いしてしまったという話。漫画家ゆえに、現実を、創作の世界のようにとらえ、キャラクターを演じるように、そこに入り込んでしまったと井出さんは分析する。勿論、ここも「恋愛のマジック」が果たした役割も大きいはずだが。
5は、読みながらずっと感じていた違和感の部分。井出さんは序盤から子ども達に状況を伝え、金の工面のために貯金を崩させるだけでなく借金までさせている。普通は、子どもたちから猛烈な反対を受け、すぐに相手にされなくなるはずなのに…。
その理由は2章で明かされる井出さんの過去とも関係する。のちに離婚する暴力夫から子ども達を守るために、家の中のルールなど決まり事をすべて守らせ、母親の命令は絶対という親子関係ができていたのだ。あとから聞くと、途中で「おかしい」と思っていた子ども達は、母の激怒を恐れて、言われるがままにふるまっていたそうだ。
そして、これらに付け加えれば、彼女は漫画家としてかなり成功し、自由になるお金がたくさんあった、ということが全ての元凶とも言える。
普通の家なら、7500万円という大金を工面することがまず出来ない。家族の過去を読んでも、暴力夫が働かずにお金をせびるようになったのは、やはり家にお金があることと、彼女のお金の管理が大雑把だったからと読める。
そう考えると、ありきたりな言葉だが、金は人を狂わせる、と言えるのかもしれない。
2は、あとから考えればおかしいアレコレについて書かれている。最初から最後まですべて怪しいとも言えるが、預かった「ブラックマネー」が1200万ドル(約13億円)という巨額過ぎる金額であったことなど、疑って然るべきタイミングは確かにあった。しかも、このブラックマネー、最初のメールのやり取りでは、120億ドル(約1.3兆円)だったのを、向こう側が「やり過ぎた」と感じたのか、途中から1200万ドルに言い直している経緯がある。このあたりも、かなり行き当たりばったりなシナリオだ。
そして3。ここは知識的な部分で、詐欺を防ぐためにすべての人が知っておくべき内容になっていた。
- SNSでの公開情報への注意:すべてはマーク・ラファロのツイートに常に「いいね」をつけている妙齢の日本人女性(連携しているFacebookで年齢・職業がわかる)、ということで、詐欺集団から目を付けられたところから始まった。
- デジタルリテラシーの習得:数回のビデオチャットで相手を「本物」と信じたが、これはディープフェイクによる合成動画だった。また、要所要所で送られてきた現金の証拠画像なども、ネットからの拾い物であったことが、Googleの画像検索で、次々と明らかになった。
- 英語能力:そもそも英語がわかる人が読めば、チャットの英語もネイティブではない、片言英語であったことがすぐにわかったはず。常に翻訳機能を通してやり取りをしていたため、意味が通りにくい部分は「翻訳」をさらに「意訳」して都合の良いように解釈していたことで、自ら問題に蓋をしていた。
- 詐欺犯罪に対する知識:国際的な振り込め詐欺の、よくあるパターンを知っておけば、警戒できたはず。先述した通り「ブラックマネー」も30年以上前からある古典的な手法。
今回、笑っていられないな、と感じたのは、ここで「騙された要因」として挙げられているデジタル技術の進化が目覚まし過ぎて、ついていける自信がないため。
先日話題になった、生成系AIにハマり過ぎて自殺してしまった男性の話は、ロマンス詐欺の話に近い。
www3.nhk.or.jp
井出さんの事例で、杜撰過ぎると感じたシナリオや、証拠画像や動画については、生成系AIに担当させることによって、詐欺の精度がかなり高まるのではないか、と感じられる。(生成系AIの利用に関する法的な縛りによって防げる部分ではあるのかもしれないが)
このあたりの、ディープフェイクなどの動画技術や、生成系AIを使った詐欺の話は検索するといくらでも記事が出てきて怖い。
www.nikkei.com
news.yahoo.co.jp
さらに嫌なのは、井出さんが一つ目に挙げた「人生に対するあきらめ」の問題は、高齢になるほどリスクが高まり、デジタルリテラシーは高齢になるほど低レベルになる。つまり二重の意味で、孤立した高齢者ほど、こういった詐欺の餌食になりやすい、ということ。孤独・孤立対策が、国が取り組む課題とされるのは、こういった理由もあるのだろう。
そう考えると、騙されないためには、リアルな人的ネットワーク(それが「騙さない人たち」であることをどう担保するのかは難しいかもしれないが)で、孤独・孤立化しやすい高齢者を、ケアしてあげる必要がある(また、自身が孤独・孤立化しないように気をつける)、ということなのだろう。少なくとも、家族がそのような被害を受けないため、頻繁に連絡を取るようにしたい。
英語能力やデジタルリテラシーは、自分が頑張るしかないが、最新の詐欺の手口には関心を持って積極的に情報収集をしなくてはいけないと感じた。
ただ、自衛には限度があるので、何かもう少し法的な縛りで詐欺を減らせないのだろうか。
70を超えて被害に遭っても、本を出版して挽回しようとする井出さんのバイタリティはすごいが、そのように立ち回れる人はごく一部だ。
7500万円という被害額以上に、胸を熱くした3年5か月という年月がすべて嘘だったことによるダメージは計り知れず、生きる気力を失ってしまっても不思議ではない。
改めてそう考えると、詐欺事件は、騙す側は「金」を目当てにしているかもしれないが、騙される側は「人生」を奪われる大問題。
これまで以上に関心を持っていきたい。
*1:ここで映画名を出してしまうと、ネタバレになってしまうので避けますが、ブログ内で「ロマンス詐欺」と検索すると出てきます