Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

スガシカオの方程式(9)〜届くメッセージソングと届かないメッセージソング

コノユビトマレ

コノユビトマレ

Progress

Progress

新譜『FUNKAHOLiC』で一番のお気に入りは、先行シングルでもある「コノユビトマレ」。
「コノユビトマレ」は、インタビューなどで本人も口にしているようにメッセージソングである。

「Hop Step Dive」の時もそうだったのですが、誰かへのメッセージソングを書こうとする時、ぼくはいつも激しく戸惑います。わかりやすい未来や希望や永遠を歌うことが、それでも結局誰かの背中を押すことになるのだろうか??それとも現実を厳しく歌うことでリアルなメッセージを残すべきなのか??・・・いつも深い迷路に入ってしまうのです。で、考えに考えたあげく「コノユビトマレ」という場所にたどり着きました。 この曲はアレンジやPVこそPOPでとっつきやすいイメージがありますが、ぼくの中ではギリギリのメッセージソングのつもりです。 「ハンドル手放すな」 という言葉が、沢山の人に届いてくれるとうれしいです。

このエントリでは “「ハンドル手放すな」 という言葉を、沢山の人に届ける”ために、「コノユビトマレ」に施された工夫について、過去の楽曲「Progress」との対比から考えていく。

PVで読み解く「コノユビトマレ」

コノユビトマレのPVは、動きがあって何度見ても飽きない内容だ。映像の中で、しつこく使われる「メガネ」というアイテムにも象徴されるように、この曲はディスコ調の楽曲と変な振り付けなど一つ前のアルバム『PARADE』収録の「午後のパレード」のPVとの共通点が多く、正式な後継者?といえる。
ただし、表面的には似ているPVも今回の方がストーリー性があり、概ねこんな感じ

  • 悩む若者たち(女子高生、OL、サラリーマン等)
  • 忍び寄る黒い影
  • メガネをかけたダンス集団
  • 悩む若者たちも、それぞれがメガネを手に取り、集団の仲間に入っていく

ということで、PVから読み取れるメッセージは「悩んでいないでバカになろうぜ」(笑)というもの。
歌詞の内容からは、もう少し深いメッセージが伝わってくる。

届かないメッセージソングとしての「Progress」

ところで、自分は何かというと「閉塞感」をテーマにしている作品に惹かれがちで、このブログの過去のエントリを見ても、福満しげゆき僕の小規模な失敗』やカズオ・イシグロ『私を離さないで』などを、閉塞感という観点から熱をこめて取り上げている。
流行りに合わせて「自分を客観的に見」*1てみれば、それは自分の日常に不満があるからなのだろうが、そういう不満も抱え込んでやり過ごしてしまう。それでまた自分が嫌いになる。
そういう負の連鎖にはまり込んでしまってしまった場合、なかなかメッセージは届きにくい。


これも前のアルバムになるが、「Progress」という曲がある。サビは以下の通り。

ずっと探していた 理想の自分って
もうちょっとカッコよかったけれど
ぼくが歩いてきた 日々と道のりを
ほんとは“ジブン”っていうらしい

世界中にあふれているため息と
君とぼくの甘酸っぱい挫折に捧ぐ・・・
“あと一歩だけ、前に 進もう”

紹介記事では以下のように語られている。

一方で、これまで通り貫いた面もある。「きれいごとを書かない。無責任に夢は追わない」という心がけだ。

「Progress」は、その信念が伝わる1曲。NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」の主題歌で、応援ソングだが聴き手を大げさに鼓舞せず、自分の失敗や甘酸っぱい挫折を盛り込んだ歌詞が新鮮に響く。

「無根拠に明日いいことがあるように歌ったり、それを希望という言葉に置き換えるのは日本のポップスのすごく悪い所。応援するにしても、もっとリアルに『あと一歩だけ、前に進もう』っていうメッセージを発したかったんですね」

自身の言葉でも語られるように、この曲も、「コノユビトマレ」同様、スガシカオ流を貫いた「メッセージ・ソング」だった。
ところが、挫折をテーマにした番組とはいえ、内容的には成功者が道のりを振り返るという形式をとっていること。それに加えて、プロジェクトXという怪物番組の後番組のテーマソングであるということで、この作品自体が「スガシカオもここまできたか」的な大作であること。さらには、綺麗事は書いていないながらも、説教を聞くモードに入らないと受け入れにくい、こそばゆい歌詞などが災いして、「閉じてしまった人」には伝わりにくかったのではないだろうか。
ある程度、自分に自信が持てるときに聴けば純粋に感動できるのだが、不安があるときには、あまり素直に受け取れないし、聴きたくない。「閉じた人」を天岩戸から出す力に欠ける、そんな曲だったように思う。あくまで自分自身の印象だが・・・。

誰かのために何かできる人

「閉じてしまった人」にもメッセージを届ける。
そのためにスガシカオが取った戦略は、馬鹿騒ぎをして、天岩戸から出してしまうことだったのではないか。
「悩んでいないでバカになろうぜ」というPVと脳天気な曲調は、閉じた人を開かせる餌なのだと思う。


そうやって岩戸から出た人に対するメッセージはサビの部分に表れており、タイトルの理由にもなっている。

(1番サビ)
どこにも居場所がないって思う人 ぼくのこの指とまれ
ムリヤリもう 探さなくていい
希望見つけるのやんなっちゃった人 ぼくとかくれんぼしようよ
必ず君みつけるよ

(2番サビ)
誰かといても寂しいって言う人 ぼくのこの指とまれ
ムリヤリもう 笑わなくていい
いつかの悲しみが消えない人 ぼくとにらめっこしようよ
笑いかた思い出すまで

(ラスト)
自分のことあまり好きじゃない人 ぼくのこの指とまれ
ムリヤリもう かわらなくていい
誰かのために何かできる人 明日まで競争しようよ
君の方がずっと早いよ

こう並べると、ラストの落とし方の巧さが際立つ。
ラスト以外の「どこにも居場所がないって思う人」「希望見つけるのやんなっちゃった人」「誰かといても寂しいって言う人」「いつかの悲しみが消えない人」「自分のことあまり好きじゃない人」に向けてのメッセージは、要約すると“頑張らなくていい”というもの。ものすごく受け入れやすい意見だが、これだけならば、引きこもりだって何だって“そのままでいい”ことになり、結局は、プラスのメッセージにならない。
だからこそ、ラストの異質な「誰かのために何かできる人」という言葉が光る。
これまでのくだりからすれば、これは相手を限定しているのではなく、「どんな人でも」誰かのために何かできることが少しはあるだろう、ということを示しているといえる。袋小路に入り込んでしまったときでも、「誰かのために何かできる」ことだけを、まず頑張ってみよう、ということを歌っているのだと思う。
「ハンドル手放すな!」という強い歌詞もそうだが、伝えたいメッセージを終盤に持ってきているのは、はじめからでは伝わりにくいことを意識してなのだろう。個人的な感覚からすると、「Progress」と比べると、断然に聴きやすいメッセージソングだし、ただ単に「頑張れ」以上の中身がある。

今回のアルバムは、楽曲こそアッパーなものが多いが、歌詞は全体的に、過去への想いや人間の負の部分に焦点をあてた引きこもり系のものが多いように思う。そんな引きこもりファンクの中で、自分にとっては、灯台のように周りを照らす光となる一曲が「コノユビトマレ」だ。この曲がなかったらアルバム全体の印象も違っていたように思う。*2

シリーズ全体の目次

こちらを参照のこと。

*1:このエントリの下書きを書いたときが、ちょうど福田首相辞任会見のときで、「私は自分自身は客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」という言葉が流行していたときだった。少し日が経って、流行りでも何でもなくなってしまったが、一応、そのまま残しました。

*2:スガシカオもはまっていたというperfume『GAME』でいえば、「ポリリズム」みたいに核となる曲。