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絶対オススメの「禍々しい小説」〜阿部和重『ニッポニア・ニッポン』

ニッポニアニッポン (新潮文庫)

ニッポニアニッポン (新潮文庫)


一気に読んでしまえる面白い小説を探している人には是非ともオススメの小説。

18歳のひきこもり少年、鴇谷春生(とうやはるお)が、佐渡の「トキ保護センター」襲撃を計画する。学名「ニッポニア・ニッポン」を持つ特別天然記念物のこの鳥は、日本国歌の象徴でもあり、もっか繁殖の危機に晒されている。名字の「鴇」の字が「トキ」を意味するところから、少年はこの鳥を、自分にとって特別な存在とみなしていた。その鳥をケージから解放する、あるいは殺す。そのとき少年は大胆な秩序の転覆者として、悪漢=英雄となるだろう。この「ニッポニア・ニッポン問題の最終解決」のために、少年はインターネットを駆使してトキの情報を収集し、またスタンガンやサバイバルナイフといった武器を調達する……(巻末解説から引用)

この物語の、最も魅力的でスリリングなところは、インターネットを駆使すれば、春生と同様の「人生の大逆転劇」的な計画が、読み手にも可能なのではないかと感じさせるところだと思う。強盗や殺人では絵空事に思えてしまうが、トキ保護センターの襲撃ならば、周到に計画すればもしかしたら…。
そういう意味では、序盤では読者も春生に共感し、その犯罪に加担しながら話の先を見つめることになる。しかし、読者はすぐに春生に裏切られることになる。最初は、春生のことを、社会に不満を持つあまり、鬱屈としたエネルギーを犯罪に昇華させようとするまっすぐ過ぎる若者なのかな、と思いながら読み進めると、次第に、非常に共感しにくい性格の持ち主であることが分かってくるのだ。
特に、中学生時代に思いを寄せていた同級生・本木桜との一件(単純に言えばストーキング)が明らかになるにつれ、春生が社会や家族に抱いている不満の大半は、自身に問題があることが分かる。


異常な性格の持ち主であることが分かった主人公に共感できなくなったあたりからは、以前読んだ『シンセミア』の、「あの感じ」を思い出してきた。
阿部和重の作品の醸し出す「犯罪」の空気。いや、犯罪よりももっと大きな「不吉」な出来事が起きる空気。これが作品内に充満している。ひとことで言えば「禍々しい」という言葉がぴったりだ。*1
春生の妄想によって支えられる物語の特質は、斎藤環による巻末解説でも指摘されている。

  • 少年の造形と行為の連鎖はすみずみまで小説的必然に貫かれており、まさに小説的にリアルというほかはない。
  • ほんらい妄想とは、論理的徹底性の産物なのだ。臨床的にもパラノイアが治りにくいのは、彼がわれわれ以上に、厳密に論理的な考え方をするためだ。

春生の妄想は、ときに非常に突飛で笑ってしまう。例えば、春生が計画実行に向けて着々と準備を進めていた2001年に実際に起きたこのニュースに対する反応。

佐渡トキ保護センターにおいて飼育されているトキ、優優(ユウユウ・雄)と美美(メイメイ・雌)のペアについて、環境省新潟県はこのペアの産卵を確認したと発表した。
 佐渡トキ保護センターでは、平成13年3月26日に優優と美美の第1卵産卵を確認、続いて同28日に第2卵目、同30日に第3卵の産卵を確認した。2羽は交互に抱卵しているが、佐渡トキ保護センターでは4月3日にこれらの卵を採卵し、人工ふ化器に移し、有精卵かどうか調べる予定。


以下、春生の感情描写。

この報道に触れて、最初に感じたのは憤りだった。
(略)
春生が特に許し難く感じていたのは、この切迫した(と彼自身が考える)状況下にあって、ユウユウとメイメイが思う存分に交尾に励みつづけていたことだ。事実、後に見つけた「読売新聞 新潟支局のホームページ」の3月27日付け記事には、「優優と美美のペアは20日以後、交尾とみられる行為があったが、24日からは毎日交尾が確認されていた」などと書かれている。
ということは、こちらが一生懸命に計画を練り上げて、適切な交通手段を思い付けずに頭を抱え込んでいた間、ユウユウとメイメイのペアは大いにやりまくっていたというわけだ。いくら繁殖期だからとはいえ、いったい何という強欲な、あさましい家畜どもであろうか!俺は未だにただの一発もやったことのない、ずぶの童貞だというのに!---これが春生の怒りのあらましだった。P86

春生が何故このように考えるに至ったかについては、小説中でもさらに詳しく説明がついているが、最も思いを寄せて自己を投影していたユウユウに対する嫉妬は、春生の中では一貫していて非常に論理的なものだ。
全く共感できないキャラクタを、リアルに描き切っているという意味で、やはり阿部和重の作品は面白い。ここで「リアル」というのは、現実に存在するというよりも、小説内の人物としての存在感がはっきりしている感じ、斎藤環の指摘通り「小説的にリアル」。今回は直接登場しなかったが、一連の作品の舞台である神町(じんまち)自体の持つ、禍々しい感じも春生の存在と同様に「小説的にリアル」なのだ。小中学生の頃の隣町の噂話のように、自分では見たことがないけれども、すぐそばで大変なことが起きているらしいという伝聞+妄想で成立する話。
例えばそれは、先日「鉄板」と評した貴志祐介作品に求めているエンタメとは全く違うもので、阿部和重作品には、エンタメ的な話の収束は全く求めていない。しかし、同じ著者の作品であっても、群像劇『シンセミア』とは異なり、話の中心軸が「トキ=俺=ニッポン」と分かりやすく設定されているので、興味の焦点を絞りやすく、通常のエンタメ小説のようにも読める。また、甘すぎも無く、辛過ぎもなく、とにかく多くの人に薦めやすい本だった。


ところで、斎藤環の巻末解説はかなり良かった。
表紙デザインがクイーンのパロディであり、二人のヒロインの名前が、アニメのキャラクタの引用であるという話から始め、阿部作品は隠喩的に深読みしてはならないと解くあたりは、サブカル魂がくすぐられる。また、「盟友」である東浩紀榎本俊二、そして「仮想敵」である村上春樹(の文学的曖昧さ)を引きあいに出しながら、阿部和重が志向している(と思われる)「形式的に描く」ことについて説明がなされるあたりは、もともと親しみのある他の作家の作品を読み返したくなるような文章で、これも文章の主旨以上に、枝葉部分が心を揺らす。ただし、文章の本旨についても例が多いので、普段なら面倒くさい内容も結構分かりやすく読める。他の阿部和重作品を読んだら、比較のために改めて読み返してみたい。また、斎藤環の著作も今更ながら読んでみたいなあと思わせる、いろいろ読みたくなる解説でした!

オペラ座の夜

オペラ座の夜

*1:どうでもいいが「禍」の字のデザインは、一つ目小僧がギョロッと横を向いている感じがして怖い。