- 作者: 千野境子
- 出版社/メーカー: 国土社
- 発売日: 2011/02
- メディア: 単行本
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さて、この本は、ティーパーティー運動から、東インド会社、アヘン戦争、そして日本のお茶など、幅広い時代と場所を横断して、紅茶の歴史が語られる小中学生向けの本。
- 世界中のお茶を意味する言葉は、中国・広東語のCHAと福建語のTAYの2系統に分けられる
- 英語でblack tea(茶葉の褐色から)と呼ばれるのに、日本語で「紅」茶と呼ばれるのは、日本人の色彩感覚の豊かさ故
- 明治政府が最初に紅茶の生産をしようとした際は、緑茶と紅茶が同じ種類の植物の葉とはしらず、イギリスで流行っている「赤茶」の種を仕入れようとしたこと(当時は「赤茶」と呼ばれた)
など、出だしのエピソードがなかなか魅力的で、まさに掴みはOK。
全体としても、紅茶よりもコーヒーの方が歴史が古いこと、18世紀前半くらいまでは、欧州でも緑茶やウーロン茶(中国茶)が中心だったこと、対中関係の悪化によって中国よりもインドの茶が飲まれるようになる中で紅茶が普及して行ったこと、など、紅茶の歴史についても全体を通して把握できたように思う。
紅茶といえばイギリス。イギリスの紅茶の歴史を見ると、まさにこの本のタイトル通り、歴史の節々に紅茶(茶)が登場していることが分かる。
- 17世紀に3度起きた英蘭戦争で勝利したイギリスはニューヨークを奪取。(1664年にニューアムステルダムから改名)その後、オランダ頼みだったお茶の調達を自前で。18世紀に入ってからは中国からの輸入が増加。
- アヘン戦争のきっかけは紅茶。中国から輸入する紅茶の見返りとして銀が流出。密輸も増えたため、アヘンを中国に輸出し、銀を取り戻す。清朝は輸入を禁止したが戦争に突入(1840*1)。負けた中国は南京条約で香港を割譲。
- フランスとの戦争で勝利し、フランスからカナダ、アメリカ東海岸、西インド諸島などを奪ったイギリスは戦費の穴埋めを新大陸の13の植民地の増税で行なおうとする。このうちの茶条例に反対した植民地の人々が停泊したイギリス東インド会社の船に乗り込み、茶箱を割って次々とボストン湾に投げ捨てたのがボストン茶会事件(1773)。これが独立戦争につながり1776年にアメリカ合衆国が誕生。
- 2010年のティーパーティー運動は、オバマ政権の「大きな政府」への抗議から始まり、「税金はもうたくさん(Taxed Enough Already)の意味もある。これに対抗するコーヒーパーティー運動もあった。
また、明治に入ってからの日本からのアプローチも面白い。
- 戊辰戦争で負け、各地に散り散りになった会津藩の人の中にはアメリカに移民し、お茶と生糸を現地生産しようとした人たちがいた。(1869:ワカマツ・ティー&シルク・コロニー)しかし彼らの夢は2年で潰える。
- 明治政府は当初、緑茶を輸出していたが、世界で求められているのは紅茶と知り、紅茶を国内生産しようとするも失敗。武士出身の多田文吉が最初は中国に渡らされるも何も学べず、その後、インド・ダージリン、アッサムで紅茶の知識を身に付けて帰った。多田は全国24県で紅茶づくりの指導を行ったが、インドやセイロンの紅茶に勝てず衰退。しかし、現在人気を誇る丸子紅茶は多田の生涯最後の地で生まれた。
最初の話に戻るが、こうして世界の歴史と日本の歴史を並べてみると、日本が鎖国していた江戸時代というのは、イギリスがアジアでもやりたい放題やっていたのだな、と怖くなる部分もある。紅茶の歴史自体が植民地の歴史とセットにして語られている中で、鎖国していなかったら、日本もイギリスの茶畑となっていたかもしれない、と考えてしまう。
ということで、紅茶を通して、日本史と世界史を学ぶきっかけをつくることのできる良い本だった。よう太にも進めたけど、自分と同じく世界史に苦手意識があるのか、全く手に取ってくれなかった。いや、そもそもよう太は紅茶を飲まないから余計に興味がないんだろうな。